なかなかな街並みで、川越並みの街並みや、高い建物も多いし、
そして、川越同様に「城」も「街道」にもなっている。。。
でも、そこから「し」は、消え、街道端の「寺町」に、吸収合併されてしまったのだ、、、
さいたま市岩槻 ” 区 ”
大宮から見て、川越と同程度の距離にある「岩槻」
ここは、あの川越同様に「時の鐘」まで、あるような「城下町」
そして、考えてみると、岩槻街道と言う街道もある。(東北道の下の道)
でも、街の中を歩いて居て、この街の衰退原因は、日本文化の衰退を反映していることを知る。
日本人形の町 岩槻
私には、甥っ子がいますが、考えてみると、親も七五三とかの際に、人形を送るなどのことは、してこなかった気がする。
今、日本人形文化と言うものが、かなり、衰退しているなぁ〜
って、この街を歩いて見て、思ってしまいました。
最低でも東京周辺では、人形を飾ると言う習慣は、ほぼ、消えたといっても過言じゃないと思う。
そのためだろうか、、、
岩槻区内は、かなり、空き地や、廃店舗、空き店舗が、散見されました。
現在、さいたま市の一つの区として、岩槻市領域が全て、岩槻区として、継続されているようです。
浦和三園まで走っている、東京メトロ南北線直通の「埼玉高速鉄道」の「岩槻延伸計画」もあるようですが、まだ、進んでいないようです、、、
この街を眺めてみて、川越並みの街並みであり、城跡もあるような街だと言うのに、「中仙道」の「宿場町」に吸収合併される形で、「さいたま市」になってしまった印象を感じてしまいました。
自分勝手に思うに、、、
「日本人形文化」の衰退と言うものが、街の力を弱くしてしまったのと、昭和ベビーブーム時代に、「人形」で潤ってしまい、街並みを古いものを残すと言う意識が欠如してしまったことも大きかったのかもしれないと、川越と比べて、思ってしまいました。
今もまだ、川越並みに、「古い町並み」を残せておけば、「人形の町」だけでなく、「小江戸」と称することも出来たはずで、鉄道も、しっかりと、東京から走っていたのかもしれないって、感じてしまいました。
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