ドライブ・マイ・カー | アレレの映画メモランダム/休日は映画の気分

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ジャンルや新旧問わずに週末に映画館に通っています。映画の感想から、映画がらみで小説やコミックなんかのことも書ければ。個人の備忘録的なブログです。

ドライブ・マイ・カー

 

2021年作品/日本/179分

監督 濱口竜介

出演 西島秀俊、三浦透子、霧島れいか

 

2021年8月28日(土)、TOHOシネマズ府中のスクリーン1で、11時00分の回を鑑賞しました。

 

舞台俳優で演出家の家福悠介は、脚本家の妻・音と幸せに暮らしていた。しかし、妻はある秘密を残したまま他界してしまう。2年後、喪失感を抱えながら生きていた彼は、演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島へ向かう。そこで出会った寡黙な専属ドライバーのみさきと過ごす中で、家福はそれまで目を背けていたあることに気づかされていく(以上、映画.comからの引用)、という物語です。

 

「ハッピーアワー(15)」「寝ても覚めても(18)」の濱口竜介監督の新作でカンヌ映画祭で脚本賞を得た作品と聞いて大変楽しみにしていたのです。前の二作をご覧になった方にはお分かりいただけると思うのですが、言葉では形容し難い人間の複雑な心理・感情を描いてきた濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」もまた、人の心の奥底を覗き込むようなドラマでした。しかしこの作品ではトンネルの先に灯りが見えました。

 

喪失感を共有するための長いアバンタイトル

 

映画が始まると舞台演出家の家福悠介と、その妻で脚本家の音(おと)との関係が長い時間をかけて描かれていきます。観客は特異な二人の夫婦関係の理由を明らかにされないままにずっと観続けていくことになるのですが、あるところで突然、二人の過去に起きた悲劇を知ることに。悠介と音はそれ以来ずっと深い喪失感のなかで生きてきたことが分かります。そして、その傷は二人ではどうにも癒すことができなかったということも。

 

時間にしてどうでしょうか、1時間ほどもあったでしょうか。本作ではこのタイトルが画面に出る前のドラマが、これに続く本編とも言える残り2時間のドラマを支えていく重要な役割を果たしています。長い長い時間をかけて描かれる悠介と音のドラマを観ることで、観客は二人の時間や感情を共有することになります。そして、お互いに優しく労りあっている夫婦の間に大きく見えない溝が横たわっていたことを肌感覚で感じることになるのです。

 

このアバンタイトルは、予想もしなかった〝音の死〟によって突然の幕切れを迎えます。それによって悠介の喪失感はさらに深いものに。悠介に残されたのは、音との時間を共有していた古いけれどもよくメンテナンスされた愛車の赤い〝サーブ900〟のみに。悠介は音の死後もサーブのなかで、音がテープに録音した台詞(セリフ)を使って練習を繰り返すのですが、それはサーブという音の化身と対話をしているかのようでありました。

 

▼音を演じた霧島れいかさんが全編を通じて存在感を出します

 

〝ワーニャ叔父さん〟を入れ子にした展開の効果

 

音の死を経て2年後。悠介は、演劇祭でチェーホフの「ワーニャ伯父さん」を演出するために広島へ。その時も、東京からサーブで移動し、かつ広島での宿泊施設も国際会議場からわざわざ一時間も離れた場所を指定するのです。それはサーブのなかで演劇の準備をするためだというのですが、もちろんそれもあるでしょうが、私はずっとサーブを介して音との二人の時間を大切にしたかったんじゃないのかなと感じながら観ていました。

 

それが運営事務局の規則で事故防止のために自分では車を運転できなくなり、やむなく渡利みさきという女性ドライバーにハンドルを渡すことに。このみさきが寡黙で、また謎を抱えていそうな女性なのです。悠介とみさきの間には〝自責の念〟という共通点があり、やがて明らかになるみさきの過去を通して二人は距離を徐々に詰めていくことに。なお、キーのひとつはみさきの年齢かと思います。この流れが細やかで、瀬戸内の穏やかな景色と相まって素晴らしいです。

 

この二人の心の交流を縦糸にし、一方では広島の国際会議場を舞台に「ワーニャ伯父さん」のリハーサル風景が描かれていきます。これが多言語をそのまま使用したスタイルになっており、日本語だけでなく、中国語、韓国語、さらには韓国語の手話が用いられているのです。このキャストのなかに音が生前に関係を持っていた若い高槻という男性がいて、彼が悠介の対局にいるような人間として描かれドラマに緊張感をもたらします。

 

この横糸とも言える演劇に関するドラマは二つの点で驚くべき効果をあげています。一つは「ワーニャ伯父さん」という戯曲が、何も話さない悠介の心の内を代弁させる装置として〝入れ子構造〟の機能を担っていること。加えて、お互いの言語を理解できないキャストたちのコミュニケーションを通じて、言葉という手段がもつ危うさや限界と同時に、人のつながりには言葉を超えた何かがあることを観客に理解させるための器としての機能を果たしていることです。

 

▼サーブ(音)が悠介とみさきを引き合わせたようでもあります


人は悲しみや後悔を抱えながらも生きるしかない

 

ドラマの後半、悠介は高槻という若い男性を媒介にして音が悠介には語らなかった創作話の隠された続きを聞くことになります。高槻が語るこの話が事実なのかどうかは知る由もありませんが、サーブのなかで行われるこのやり取りの緊迫感が半端なく凄いです。サーブの中なので、ここには後部座席に悠介と高槻が、そしてドライバーのみさきがいるわけですが、この映画のもう一人の主人公である音がそこにいる気配がするのです。

 

その内容はぜひ映画をご覧になって確認いただきたいと思いますが、この後に大きな仕掛けがあって悠介はある選択を演劇事務局から迫られることになります。その決断をするために、悠介はみさきと二人で、みさきの生まれ故郷である北海道へ向かいます。この静けさにつつまれたサーブでの道程が、まるで〝巡礼〟のようなのです。長い道のりを往くあいだに心が整理、浄化されていくといいましょうか。この映画屈指の美しい場面になっています。

 

ここは本当に映画館でご覧いただきたいです(ここだけというわけにはいきませんが)。でも、ここも良かったですが、この後の「ワーニャ伯父さん」の本番公演がさらに素晴らしいのです。言葉を話せないために手話によってソーニャを演じるユナが、ワーニャ伯父を背中から包み込むように話しかけるシーンを観ていると、〝〜それまで耐えて生きましょう〟というセリフが胸を打つだけでなく、彼女の表情や手の動きに心が揺さぶらて、訳もなく涙が溢れでてきました。
 

▼みさきを演じた三浦透子さん、ハードボイルドでした

 

本作のタイトル〝ドライブ・マイ・カー(自分の車を運転する)〟というのは、人生という起伏にとんだ道のりをどう最後まで走り切るかということの比喩のように感じます。そして、今現在、人生に行き詰っている人々に対して、何か温かい光を届けてくれるようなところのある作品でした。俳優もみなさんが良くて、特に西島秀俊さんについては、こんなに良い俳優だったかな?と思うほど、これまでで最高の演技をされているように感じました。

 

ビートルズで言いますと、同じアルバム「ラバーソウル」に収録されている曲でも、「ドライブ・マイ・カー」ではなく、これこそ「ノルウェーの森」がぴったりくるような雰囲気でした。

 

トシのオススメ度:5

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2 アレレ? もう一つでした
1 私はお薦めしません

 

ドライブ・マイ・カー、の詳細はこちら: 映画.com

 

 

この項、終わり。