こんにちわ。
本日はチャクラの学び その1ということで
ブログを書かせていただきます。
参考書籍:「7つのチャクラ」
キャロライン・メイス氏著

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チャクラとは、サンスクリット語で
“車輪”や“光の輪”を表す言葉。
生命エネルギーが流れる通り道で、
心身のバランスを促すための大切な場所と
言われています。
チャクラが整っている(開いている)時は、
生命エネルギーがスムーズに流れて活力を
生み出してくれますが、整っていない状態
にあると、心身ともにバランスが崩れて
不調を引き起こしかねません。
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チャクラは7つあり、
第一チャクラから第7チャクラまで
身体に沿って存在しています。

その一つ一つには
人生の意味が含まれていて
最下部の第一から
順次昇っていき、
成長に合わせて学びを
深めていきます。
不定期になると思われますが
これからこのチャクラをについて
の学びを発信していきます。
まず、は第一から始めます。
第一チャクラ
このチャクラは脊髄の底部
尾骨の部分にあり、
象徴するのは「集団の力」です。
そして聖なる真理は
「すべては一つなり。」
このチャクラはこの真理を内包しています。
人はこの第一チャクラの
エネルギーを通じて物質界に
ついて学びます。
家族をはじめ
会社とか、
趣味のサークルとか
何らかの集団に人間は属します。
そして同族のアイデンティティー
絆、忠誠心などを学びます。
根源的な恐れとしては
集団から見捨てられる
ようなことが挙げられます。
私たちは同族の絆を通じて
この「すべては一つなり。」の
真理を学んでいくわけですが、
そこで問題となるのが
個人的な内面の成長に合わせて
この集団を脱しなくては
ならないときです。
「すべては一つなり。」というこのチャクラが
象徴する真理と、
個人的に成長したい、
魂を研鑽していきたい。
という欲求が強くなっていくわけで
その際その思いに
現在属してる集団が
応えてくれなくなったとき
決別を選択しなければなりません。
もはや自分の成長を
支えてくれない人々からの離脱は
痛みを伴います。
しかし、それを
恐れてはいけないのです。
成長のための変化は
避けては通ることはできません。
まず最初に超えねばならないのは
この集団の信念です。
それはいままで 属していた集団と
これから目指す集団に移行することが
出来ずに宙ぶらりんでいる人が
なんとも多い現状があります。
同族は個人的な判断を
求めません。
たとえ、道徳に背くような
行為であっても
それが、その集団の正義であれば許されます。
「(同族の仲間)皆がやっている。
だからは私はやる。それの何が悪い。」
人間だれしも
何度となく口にする言葉です。
しかし、このような責任逃れは
「すべては一つなり。」というこのチャクラが
象徴する真理の一番下等な表現です。
だから、同族の正義が
人間としての霊的な成長を阻むときには
個人の選択の力を支配しようとする
その集団の力から自分を解放してあげる
ことがとても重要です。
あなたも、今、属している
集団で、居心地の悪さを感じつつも
ずるずると決断を先延ばしして
そこへとどまっているという
問題をかかえていませんか?
居心地が悪いということは
あなたの魂が成長するために
他のフィールドへの跳躍を
求めているということ!
迷わず、離脱をし
新たな一歩を踏み出すべきです。
本日は 居心地の悪さは魂からのサイン?!チャクラの学び その1
ということでブログをお届けしました。
ではまた。
こんにちわ。
本日は介護という問題について
ブログを書かせていただきます。
参考書籍:「介護ヘルパーごたごた日記」
佐東しお氏著

「職業」と「人生」を読む。
このドキュメント日記シリーズが結構好きで
何冊が読ましてもらってます。
今回参考とさせていただた
この書籍は、介護の登録ヘルパー
である佐東さんという方が
日ごろの介護の仕事で感じたことなどを
軽快なタッチで書いていらっしゃいます。
この本の中で、
介護というものに対して
考えさせられる一節が
ありました。
エピソードの中で
ある要介護者の話がありました。
その方は
もともと脚が悪く
そのために
結婚はあきらめ
現在身寄りなどは無く、
自分は孤独だと
佐東さんへ嘆くというシーン
があります。
その話に対して
佐東さんが言った
言葉があります。
「でも、この年齢になると
夫は支えてくれる存在というより
介護しなければならない存在ですよ。
それに今時一緒に住んでくれる子どもなんて
滅多にいませんし。」
女性の側から見た
結婚のデメリットを
ストレートに言及していて
強く印象に残りました。
「家族は資本主義社会においては
心のよりどころだった。
だが、個人化によって家族はリスクの
場に変わりつつある。」
ドイツの社会学者Wベックの言葉として
以下ので紹介されていますが
参考書籍:「居場所」がない人たち
荒川和久氏著

結婚した女性にとって
夫は自分を支えてくれる存在で
子どもは自分にとってかわいい存在。
でも、男性よりも女性の方が
平均寿命も長く、
そのため老後には
妻が夫を
介護しなければならないと
いう状況に陥りがち。
現代社会は
介護が結婚の大きなリスクに
なってしまっているのです。
しかし、介護はなぜこれほど
現代人にとっての大きなリスクに
なってしまったのでしょうか?
「厚生労働省によると、2023(令和5)年度末の要介護
(要支援)認定者数は約708万人となり、前年度に比べ
約2.0%増加しています。公的介護保険制度がスタート
した2000(平成12)年度の認定者数約256万人と比べると
約2.8倍増加しています。」
出典:生命保険文化センター
https://www.jili.or.jp/lifeplan/lifesecurity/1119.html#anchor-body
介護されるということは
人の手を借りなければ
生きていくことができない
ということです。
その人数が
ここ25年ほどで
3倍になってしまった。
これはとんでもない伸びです。
昔は介護問題などが
なかったはずです。
「1955年時点では男性63.60歳、女性67.75歳と
いずれも平均寿命は60歳台でしたが、
前述の通り、2020年(令和2年)の平均寿命は
男女ともに80歳を超えており、65年間で17~20年間ほど
平気寿命が延びたことになります。」
出典:太陽マガジン
https://www.taiyo-seimei.co.jp/net_lineup/taiyo-magazine/longlife/001/index.html
ここ50年ほどで
20年も平均寿命が伸びてしまったわけで、
やはり平均寿命が伸びたことが
この問題の原因としては大きいのでしょう。
しかし、寿命が伸びたって
生存している間は常に元気で
あれば
介護の問題などは
おこらない。
いわゆる健康寿命を延ばしましょう
という結論になってしまうのですが
介護される人は
認知症など脳機能の低下、か
腰痛や膝の痛みなど
下半身の弱り
もしくはその両方の発症という
身体の機能低下
によって、必要となってしまいます。
私個人としては
人に介護をしてもらわなければ
生きられないような生き方はイヤです。
人の手がかからない
ようにしていかねば
ならないと思います。
そういう人生をつくるしかないと
強く思います。
本日は ありきたりだが、健康寿命伸ばすしか方法はない!介護という人生の問題
ということでブログをお届けしました。
ではまた。
こんにちわ。
本日は世代間交流の必要性について
ブログを書かせていただきます。
参考:2024/12/13上毛新聞
「「闇バイト」に陥る若者 「体験の欠落」がむしばむ心理 漫画家・真鍋昌平さんに聞く《座標軸・Next》」

https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/578741
「 「闇バイト」が関わる犯罪はなぜ起きるのか。一般人を狙う卑劣さや、
交流サイト(SNS)を使う手口だけでなく、加担する若者の
心理には社会の病理がのぞく。『闇金ウシジマくん』『九条(くじょう)の大罪』
(いずれも小学館)で人間社会のリアルを描いてきた漫画家の真鍋昌平さん(53)は、
私たちをむしばんでいるのは「体験の欠落」だと指摘する。」
プロフィル
まなべ・しょうへい 1971年、神奈川県茅ケ崎市生まれ。
『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)で2004~19年に
連載した『闇金ウシジマくん』は、ヤミ金融を舞台に人間
の心理をリアルに描いて話題に。単行本は累計2200万部発
行され、テレビドラマや映画化された。弁護士が主人公の
『九条の大罪』を20年から同誌で連載中。
漫画家の真鍋さんが
若者が闇バイトにはまってしまう
要因について持論を新聞紙上で
話していました。
以下引用
「闇バイトをやる若い人は、それまで大人と
接した機会が少ないのだと思います。
体験とか、体感ですね。
お父さん、お母さんでもいいし、
学校の先生でもいいですが、大人との接点が少ない。
昔は「近づいたらやばい(危ない)人」や、
学校にも不良みたいな人がいて、関わらない
ようにしようと思う経験があった。
そういう経験なしに、(闇バイトに応じて)
とんでもない恐怖の対象に、いきなり出合ってしまう。
そうしたらやっぱり、逆らえないと思います。」
引用終わり
この意見には、私も同じ
感想をもちました。
大人と接点がない。
最近の問題点だと思います。
昔は結構、世話焼き的な
おばさん、おじさんが
近所にいたりして
自分の子でも
よその子でも
あまり隔てなく
声掛けやかかわりを持っていた
ように感じます。
でも、今はそれが全くない
と言ってもいいくらい交流が少ない。
これにより世間には大人に免疫のない
子どもたちばかりになってしまい、
大人になっても
入ってはいけない、やばい世界
という感覚が持てない子が増えていくのも
そういった状況では仕方ないのではないか?
とさえ思ってしまう。
それは子どもには罪はないと思います。
子どもなのですから
一方的に与えられる存在
であった何も問題は
ないと思います。
となれば
今の大人、シニア世代が
いけないと思います。
これについては
思うことがあります。
私が運営にかかわっている
子ども食堂があります。

おかげ様で開店から
一年が経ちました。
子どものみならず、
子どもの親世代
シニア世代
多様な世代が
一緒に食事をする
訳ですが、
この1年、その様子を
観察していて
世代間には「カベ」が
あるなぁとつくづく思います。
シニア世代はシニア世代で
かたまって
子ども世代への
あゆみよりが少ないように
感じるのです。
子どもに語りかけたり
かまったりする様子などはほとんど
見かけない。
シニア世代が
子どもへ接するのを
避けているようにも
見えます。
よその子どもへ語りかける
など、ちょっと億劫という
意識が働いてしまうのでしょうか
世代間の断絶、、、、。
この状況では
大人との距離感が
つかめない子どもを
量産してしまう。
その結果、若者が安易に闇バイトに
手を染めるような状況ができ、
シニア世代に
暴行をはたらいて
しまうような悲劇がおこるのでは
ないでしょうか。
であれば
その責任の一端は、
実際に実行してしまった若者本人だけではなく
世代間の交流を敬遠し
大人との関係構築機会を
与えられなかった
今の大人、シニア世代側にも
無いでしょうか?
そういった疑問が
残ります。
もう一度
「子どもは社会が育てるもの」という
概念を皆で考え直す必要がないか?
と思います。
本日は 世代間の絆を!闇バイトに陥る若者についての論説に想うこと
ということでブログをお届けしました。
ではまた。