こんにちわ。
本日はコミュ力について
ブログを書かせていただきます。
参考書籍:「コミュ障の社会学」
貴戸理恵氏著

前回に続いてこちらの書籍から
ブログを書きます。
いろいろな気づきを与えてくれる良書だと思います。
著者はこの本を書く目的として
生きづらさを抱える存在を通して
生きづらさを感じる人と
生きづらさなどとは程遠いと感じている普通の人
との間にコミュニケーションを回復させることである。
としています。
コミュニケーションを
歩きに例えれば
みなそれぞれ歩幅は違います。
歩幅が違う人が
意識せず、思い思いのペースで
歩いていればそのうちに二人の距離は
開いていってしまう。
だから、なかなかうまくコミュニケーションを
とれないと感じる人とは歩幅が違うだけなのだと思います。
それをコミュニケーションが
うまく回らないのは自分に非があるのではないか
などと考えをめぐらせてしまって自己嫌悪に
陥ってしまう、、。
その点、勇気づけられる
とても良い視点をこの本からもらいました。
19p
「コミュニケーションををめぐる問題とは
コミュ力/コミュニケーション能力というカタチで
個人に押し付けられるべきものではなく
一人ひとりの「あいだ」にある関係性の
問題のはずだから。」
コミュニケーションでうまく行かない責任を
どちらかコミュニケーション能力が低い人のほうへ
もっていくのは間違っている、ということです。
問題は個人にではなく
その人と人との「あいだ」にある。
この「あいだ」を
氣的に解釈してみましょう。
人が相対すれば
お互いの氣が接します。
氣はオーラと言ったほうが
わかりやすいでしょうか?
そのオーラが接するところが
「あいだ」です。
お互いの氣の嚙み合わせが
悪いとコミュニケーションも
うまくは行きません。
気まずさを感じたり
生きづらさを感じてしまったりします。
でも
悪いのは「あいだ」という状況です。
それを認識するだけで
気持ちが楽になります。
とにかく、自分を責める
べきではないと思います。
本日は 自分を責めてしまってる?! コミュニケーションが嚙み合わない状況を氣の観点から分析
ということでブログをお届けしました。
ではまた。
こんにちわ。
本日はコミュニティーについて
ブログを書かせていただきます。
参考書籍:「コミュ障の社会学」
貴戸理恵氏著

本書のテーマは「コミュ障」。
本書によれば
コミュ障とは
他者とのコミュニケーションが
うまくとれず、生きずらさを感じて
しまいやすい人としています。
そして、ひどい場合には社会と
つながることができなくなって
しまう。
そういった問題の多くは
子ども時代に不登校というカタチで
現れます。
そしてこの本には
不登校が社会でどのように
取り扱われてきたか?
その位置づけの変遷が
書かれていて興味深かった。
1980年代、
校内暴力、いじめに並ぶ
教育現場の問題として不登校は
ありました。
その当時の不登校の
位置づけは、、
「不登校は病理逸脱であり、不登校の子どもは
将来社会に出ていくのが難しい。」
というもの。
不登校は病気という認識でした。
世間が不登校をどのようにとらえていたか?
この認識がスタートだったようです。
しかし、このような不登校の位置づけに
疑問を投げる専門家もいました。
「不登校は危機を感じている子どもがとる
本能的な防衛、回避活動。
健康な反応なのである。
それはちょうど
腐ったものを食べたときに発生する
下痢の症状に例えることができる。」
下痢は腐ったものを食べてしまい、
それが体内に吸収される前に
体外へ排出して、生命を維持しようとする
人間に備わった本能。
不登校もそれと同じで
健康的で本能的な反応だとしたのです。
これによって不登校は
個人の病理ではなく、
社会病理の表れとみることで
社会問題化の視点を
もつようになってきました。
そして
学校へ行く、行かないは選択の問題である
という機運が高まってきました。
それを反映して
東京シューレなど
子どもの居場所が各地に
つくられていきました。
その機運に対して
社会どう反応したか
日本の社会は
欧米とは違い
同じ場所、同じカリキュラムで
同じ教師から教育を受けることを
平等だというみなす発想。
だから、学校以外の選択が
あることは日本社会のそのものの在り方を問う、
過激な要素をもっていました。
不登校は社会の問題を浮彫にさせ、
根本から変える契機になっていったのか?
残念なことに、
不登校問題は
90年代から
別の方向へ向かってしまいます。
この時期はバブル崩壊が起こり、
日本経済は急速に収縮します。
その後の不況は若者雇用を劣化させ
若者のキャリアを不安定な
ものにします。
職業的自立の
ハードルが高くなり
離家できず
親元で暮らし続ける
若者が増え、
晩婚化、未婚化が増えていきました。
また
行き過ぎた
グローバル化も悪影響を
およぼしました。
過度の生産性向上の荒波で
社会から漏れ落ちる人が多発。
不登校の人たちだけが
漏れ落ちるというわけではなく
普通に学校へ通っていた
人にも起こることとなりました。
こうして不登校は
個人の問題、
個人のリスクとして
の位置づけに
なってしまった。
個人が引き受ける不利益と
いう流れができてしまった。
結果、不登校になることへの
寛容度は増した。
でも、学校に行く、行かないは
選択の問題。
でも行かないことによる
将来的な不利益は自己責任ね
と応答する逃げ道を社会にあたえてしまった。
生産性の向上
利潤の追求
GDPの増大
それだけが正義。
こんな間違った考え方をしている今の社会を
変えるチャンスだったのに・・。
なんとも困ったものです。
次回のブログも本書からの問題提起について
思うことを書かせていただく予定です。
本日は ズルい社会 不登校を社会問題から個人のリスクにすり替えてきた歴史
ということでブログをお届けしました。
ではまた。
こんにちわ。
手帳を見返してみると
年明けから何かと忙しかったです。
忙しいという言葉の「忙」という字は
心を亡くす。と書くわけで
精神的にはあまりよろしくはない。
だから忙しさを避け、
心に重点をおいた時の過ごし方を
これから2月以降、努めていこうと思います。
雑念を極力排するためには
呼吸に集中してみるのが
一番いいです。
呼吸は奥が深い。

今読んでいる本にも
こんなくだりがある
「あなたは(呼吸により)1日200万リットル
の空気を取り込み、一息吸うたびに
その空気はほんの数秒の間に体内のすべての
細胞にいきわたる。」参考:あなたはプラシーボ
Jディスペンザ博士
呼吸はすごいことを
生きている間、片時も休まず行っている。
これはまさに神秘。
考えてみればすごいことです。

それもうなづける記述が
本書にあります。
宇宙には量子場という
目には見えない情報の場があります。
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「量子場」とは、生成・消滅する粒子や準粒子と
付随する物理量を持つ時空のことを言います。
この宇宙に存在する全ての物体と現象の根源に
潜むものとも言えます。宇宙、素粒子、生命など、
現代科学の大きな謎を解くためには、
量子場へのアプローチが不可欠です。
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QUP 量子場計測システム国際拠点 より
量子場はすべての物質が存在する
時間空間を超えた周波数域であり、
意識とエネルギーで構成されています。
これこそが普遍的叡智。
そして宇宙にあるすべてのものは
この量子場とつながっている。
ということはあなたも私も
自律神経を通じて
この普遍的叡智とつながっています。
まさに呼吸はこの叡智のなせる業。
だから、
毎日瞑想をすべきです。

瞑想は自分の呼吸に意識を集中させて
「今」にとどまることです。
人生が大きく変わるであろうこの
パワフルな習慣をぜひ、おすすめいたします。
本日は忙しくても少しの時間を呼吸に意識を向ける意義 自律神経は量子場の普遍的叡智につながっている
ということでブログをお届けしました。
ではまた。