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アフターコロナを生き抜く!これから起こる変化について発信するブログ

コロナ後は価値観の変容が起きます。新しい時代に向けた準備をはじめましょう。テーマは環境保護、自然農、瞑想、健康食品など、興味があればコメントください!

こんにちわ。
本日は原則について
ブログを書かせていただきます。

参考書籍:「七つの習慣」

sコヴィー博士 著








名著として名高いこの本。







いったい何が書かれているのでしょうか。







僭越ながら、
読み解きたいと思います。







まず、大きなキーポイントは
「原則」ということについて
この本が紹介しているということ。







原則とはいったい何でしょう。







ここで言う
「原則」とは
地球に万有引力という
絶対的な宇宙法則が
あるように、







人間が生きていく上で
絶対に背くことはできない、
絶対法則として
存在するもの。






それが「原則」だと
言っています。








この原則に逆らって
生きることは人間にできないの
です。






そしてその「原則」に沿って
生きていく上で欠かせないのが
本書のタイトルにもなっている
七つの習慣なのだと言うことです。





第一の習慣
「主体性を発揮する。」








主体的に行動するということは
己の深い価値観に基づいて
自ら、自分の行動を起こす、
ということです。








ところが
そうは生きていない人が多すぎます。








たとえば悪い例として
反応して生きるという
ことがあります。







例えば、






朝起きて天気が良ければ
気分も良い。






でも雨が降っていたりすると
気分も落ち込む。






これは環境に反応している
ということ。






また人間関係ではどうでしょうか?






自分に好意を寄せてくれる
人に自分も好意的になる。







逆に自分を嫌っている人は
嫌いになる。






でも、これは外界の出来事にただ反応しているだけ。






このように生きている
人は世の中にたくさんいると
思います。






自分もそうでした。







外部の刺激に対して
感情的に反応することで、
感情に振り回されて
精神的に多くのエネルギーを
消耗してしまい、たいへんです。







この状況のあなたに
主体性は無く、
外部の出来事に
あなたは支配されてしまっている。







相手があなたをどう思うかは
完全に自分のコントロールの外にあります。






であるならば
その人が自分を好いていようが
いまいが、それを自分の価値を判断する
材料にしてはいけない。







主体性を発揮するとは
自分で人生の責任をとるということ。







主体的に生きている人は
外部の出来事に反応して
外部にコントロールされて生きるのでは
なく







自分の価値基準に
もとづいて
自らを支配します。








「本当の意味からすると
人が深い傷を受けるのは
他人の行動によるものではないし
ましてや自分の間違いによるもの
でもない。
それにどう反応するかによって傷を
受けるのだ。」







これは本書からの引用。







まったくその通りだと
思います。







反応するとは
本書に例えがありますが、
自分を噛んだ毒蛇を
追いかけて行くようなものだと
言っています。







その行動によって
全身に蛇の毒が回って
しまい、死んでしまうこと
だと。






そうではなく
すぐに毒を取り除く
応急処置を講じていれば
死は回避できます。







この原則があることを
多くの人たちが理解し
日々生活していれば
傷を負うことはありません。






この教えが
どれだけ多くの
人を救うのか?





ぜひ、読者諸氏には
この習慣を取り入れ
快適な人生を送っていただきたいと
願うばかりです。









最後、本書にある名言を添えて
本日のブログを終わります。





「あなたの許可なくして、誰もあなたを傷つけることはできない。」
エリナー・ルーズベルト





本日は 感情に翻弄され、人間関係に悩む人たちを救う! 七つの習慣 その1 主体性を発揮する
ということでブログをお届けしました。

ではまた。

こんにちわ。
本日は私の読書方法について
ブログを書かせていただきます。



巷には読書法を教える
書籍もたくさんあります。


読書法関連の書籍は
以前はよく読んだように

思います。



今日みなさまにご紹介する方法は

私の読書方法です。



読書法を教える書籍から得たノウハウ
もありますが、オリジナルもあります。



とにかく、いろいろとやり方は試しています。



読書スタイルはまだ模索中で
途中経過にすぎませんが
皆さんにお伝えしたいと思います。




基本的なスタンスとしては
本は効果的に読むことを意識してます。



どういうことかと言うと
読んだからには生活に活かしたい
という強い想いがあります。



そのためにはいくつかポイントがあります。



ポイント①「繰り返し本」選定


一つ目は繰り返し読む本を決めるということ。



読んだ中で
「これは凄い本だ!」と
思わず膝をたたいてしまうほど
有益な本がたまにあります。



そういうレベルの本は
自分の血肉にしたい。




だから「繰り返し本」に選定します。



野球で言えば殿堂入りと
いったレベルの本です。



選定された「繰り返し本」
は新本と交互に読むようにしてます。



そのためのローテーションは

1番目 新規本
2番目 繰り返し本①
3番目 新規本
4番目 繰り返し本②


といった形で、
新規本もきちんと読んで

新しい情報を吸収していけるようにしています。









繰り返し本はこういったラインナップ。


精神世界の本や

たまに成功法則系の名著も

あります。





繰り返して本を
読むと、
何回目かから
だんだんと読むことが
億劫になっていく感じが
あります。





聞くところによると
これは潜在意識の抵抗なのだそうですね。





潜在意識は
昔からやっている
馴染む深い習慣を
手放したがらない性質があります。




だから億劫になっているのは

自分が変化し始めている兆候に
他なりません。




とても良いことなのですね。








ポイント②朝、集中的に読む




朝、1時間は必ず
読書に充てると決めています。
 

 

 

 

読書以外は全く何もできないように

パソコンも開きません。

 

 

 

ここは天引きされる時間ですから

「今日は本が読めなかった!」と

いうことは発生しません。







あと、付帯的なことについても少々。





新しい本は定期的に本屋さんへ行って
購入します。





すぐに読む本でなくても
購入しておいて寝かせます。




ストックしておくことで
何も読む本が無い!
という事態を避けることができます。



このあたりが購入してますが

まだ読んでいない本です。↑





あと読み方としては
読み進んでいっても
なかなか興味が湧かない
本については、途中で
読むのを中止するように
しています。





無理に読んでも
時間がもったいないと
思うからです。








本日は 私の読書方法
ということでブログをお届けしました。

ではまた。

私が所属しております
郷土史研究会の年度末事業として
手ぬぐい展を開催するとの
チラシがきましたので、行ってきました。




当日展示された手ぬぐいは
123点。






すべて郷土史研究会現会長の個人コレクション
とのことです。自宅にはまだまだあるが
開場のスペースの都合で一部のみ持ってこられたとのこと。
とにかくたいへん数の収集アイテムであります。




手拭いは昭和30年代、
贈答用などで全盛を極めましたが
昭和40年代、タオルにその地位を
取って代わられてしまったとのことです。




取って代わられた理由は
手拭いに比べて
タオルはボリューミーであり
デラックス感があり
その質感が手拭いより勝っていたので
当時の人受けてしまったからではないかと
分析されています。




確かにタオルは吸湿性に優れて
いるので、身体を拭く機能は手脱い
よりも優れています。





しかし、当時の人は
ハンカチ代わりに手拭いを携帯した。





子どもはきちんと折りたたんで
前腰に装着し、
高校生はたたまず後ろ腰に垂らし
持ち歩いた。





また暑い盛りには
手拭いを被って頭部の日よけ
にしましたが、
タオルはボリューム感が
邪魔して頭に被るのには適さない。





また当時、婦人が頭に
被るのは手ぬぐいで
タオルではいけなかったようです。
(その理由はわかりませんが、、。)





また
手拭いのもつ多彩な表現は
とても多く作品を生みました。





用途も多岐で

・記念手拭い
・受験勉強用
・デモ用
・選挙運動用
・浮世絵手拭い
・豆絞り
・書道手拭い
・コマーシャル手拭い

などなど。
まだまだあるでしょう。

個別にみていくと、、


市町村合併記念

 

古巻村が渋川市に合併されたときの

記念手拭い。

今も古巻地区はありますが

昔は古巻村として独立していたことも

手拭いからわかります。

 

個人的にはデモ用手拭いが珍しく思いました。


 

 

 

 

 

 

 

 


今回手ぬぐい展を観て
感じたことですが、
とにかく、手拭いは多彩で
観ていて愉しいものである、
ということでした。





ただ、ちょっと不便なだけ。





そのちょっとした不便を理由に
衰退の一途を辿っているわけですが
たいへん惜しいような気がいたします。





不便を楽しもう!
などと安易なことを
言うつもりはありません。






ただ、便利、不便だけで
モノを評価せず、もっと
多面的な評価が必要に感じました。

 

 

 


手拭いの場合なら
見た目の愉しさや多彩な表現が可能なことによる
「観るもの」としての価値など
トータル的な評価を
与えてもいいのではないか?






そんなことを思いました。





ではまた。