あまりの暑さにグダグダになりながら(苦笑)、考えてることを下記に。
業績アップの為の次の一手をどうするかの討議をしている時に、
「仕事の話を、好き・嫌い・でするな。」
と私はよく言われました(苦笑)。
でも、私から言わせれば、そう言う人は、
「好き・嫌いで意思決定することそのものが嫌い」
な訳で(苦笑)、大枠で言ってしまえば、それも「好き・嫌い」の範囲に変
わりがないんですね(笑)。
そういうこと言う人は、世の中の何が売れている等の、過去からの統計情報
に基づくことを良しとしたい訳で、それはそれでやりたきゃやりゃいいけど、
私から言わせれば、そんなことしたら、益々世の中で埋れまくって、選ば
れるのに一層の労力がかかるだろう?と直感的に思ってしまうので、それこそ
「好き・嫌い」が違うわけです(笑)。
仮に、じゃあ、統計に基づいてその通りやればいいんじゃないですか?となって、
でも、進めていくウチに、うまく行かなくなると、そういう時は決まって
「他社とは違う、何かウチ独自の個性的な要素はないものか?」
という討議になるんですね(笑)。
これパターンなんですね。
個性や独自ってのは、煎じ詰めれば個人の「好き・嫌い」じゃねーのか?(笑)
と、揚げ足にも似た不毛な討論になるから、もう面倒な経験は数多くしてきました(苦笑)。
最も恐いのは、「どっちもやれ。」と現場に指示を出すということ。
間違えていけないのは、どっちも知っておくことは大事です。
「どっちもやれ。」ということがいけないのです。
私の私見では、統計は今やどこでも誰でも比較的簡単に手に入るけど、
「信念を持った『好き・嫌い』」は簡単に手に入るとは言い難いんですね。
って言うか、ほとんどいないといってもいい。
でも、それが確立された場合、競争優位性は極めて高くなると思います。
ただ、この「好き・嫌い」ばっかりは主観によるものになるので、大きな
会社や組織においては、圧倒的なカリスマがいない限り、正当性が苦しくな
る側面が大きいんですね。
説得力に欠けるし、押した本人に一気に責任が被るので、基本的には会議の場
では、誰もが発言を嫌がります(笑)。
私が、中小零細、あるいは個人企業の方が、今の時代、有利なのではないか?
と思っているのは要するにここです。
とは言え、これも、私の私見、要するに「好き・嫌い」で語っているわけ
ですから、過去の統計の延長戦上に未来を予測するのか、「好き・嫌い」を
最後のよりどころにするのかは、正しく「好き・嫌い」でいいと思います(笑)。
私の統計派の方々への究極の質問は、
「実績を上げた方々の発言で、『最後は自分の好き・嫌いですよ。』という
声が統計的に多かったら、どうするんですか?」
です(笑)。
聞いたことありませんけど(苦笑)。
これは屁理屈だろうか?(苦笑)
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