随分と長い間、一緒に年末を過ごすことのできなかった、高一の娘と、中一の息子と
「なばなの里」のイルミネーションに行ってきました。
些細ながらも、年末に子供と一緒にいるというのも今年の象徴的な変化と思います。
冬の夜、街に灯るイルミネーションの光はロマンティックな気分を盛り上げてくれて
大好きですが、
太陽の光でもないのに、太陽の光並みに明るい「光のトンネル」というのは、ここまで
やると逆に冷たい感覚に見舞われて、個人的には苦手だったりしますが(苦笑)。
それでも、楽しそうにキャッキャッと歩く子供達を見ていると、それもまた良しですね。
今年の最後にキレイな写メも撮れたしね(笑)。
皆様、今年一年、お世話になりました。
私にとっては、大きな変化の年であり、期せずして転換となる年でした。
計画や予定していたことではなく、自分の中でも驚くほどの「突然」という状況のいくつか
でしたので、私にとっては「変化」だ「転換」だとカッコいい言葉を使っていますが、
私が期せずしない変化だったということは、周りの方々には大変なご迷惑をおかけしたとも
言えます。
「そうだ、そうだ、このクソ野郎。」と思われている方がいたなら、ゴメンちゃい(苦笑)。
今年の大きかったことのいくつか・・・・・・、
一つは、2月に、前職において10年以上頑張ってきた会社で株式上場の経験をさせて
頂けたことでしょう。
2/14の上場セレモニーの長くて短い一日は、言葉にはできない万感の思いで一杯
になりました。
家業の廃業後から、この10年以上、もう言葉や文章では伝達不能な、もう本当に
いろんなことがありましたから・・・・。
それだけに、あの嬉しさは、恐らくこれからも含めて人生最大になるのではないかと
思っています。
個人的に、株式上場というステージは、今後の人生においては100%無縁となる
ことは分かっていますから、今年に限らず、私の人生においてもたった一度の貴重な
経験をさせて頂けました。
今だから、振り返りながら言えますが、よく上場を目指すも失敗した会社が、もう2度と
立上れなくなるとか、自殺までしてしまう経営者がいると聞いてはいました。
私は、仕事に命なんて賭けるべきではないとは思っています。
命なんて賭けてしまうから、仕事に失敗した時に賭けた命を落としてしまうんですよ。
仕事なんかより、人一人の命の方が尊いに決まっています。
でも、思ってはいても、それは冷静でいられる時であって、あの月日の、全てを投げ打って、
目の前の色んなことをとにかくやり切ることだけを信じて、それでも最後の最後の土壇場まで
どうなるか分からない状況で闘っている時に、
「もし、これでダメだったら・・・・・・・・。」
と頭をよぎった時の精神状態は、まともであったかどうか、正直自信がありません。
失敗した時の時間的・金銭的リスクや、精魂の落胆はどんなになってしまうのか、などと
考えると、立ち上がれなくなってしまう人や、自殺までしてしまうしまう人の気持ちも
分からないではないとすら思っていました。
今でも時々夢に出てくることがありますが、当時の気持ちを思い出すにつれ、
他の人はいざ知らず、私は、あそこまでの将来への不安や心配を越える、
そこまでの器や精神力はきっとないのだろうと、
これもまたやってみたから分かった事だと思っています。
自分の人生ビジョンを真剣に考え始めたのもこの頃からだったように思います。
無事、上場させて頂けたことに、今こうして書いていても、昨日のことのようにホッとした
というのが正直な気持ちです。
お世話になった方々には、今も変わらず感謝の言葉しかありません。
1か月後には、自分でも全く予期していなかった諸般の事情により、退社意志を表明する
こととなり、4/20には正式に退任・退社をいたしました。
立ち上げ当初は社長、上場時には副社長というお立場を頂きながら、ワガママを通して
頂きました。
何もなかったと言えば嘘になるでしょうが、それでも私は今もそれぞれの道で頑張っている
皆さんを信じていますし、心から応援しています。私にできることはさせて頂く気持ちも
変わりません。
そんな矢先、5月には父を亡くしました。
家業を継ぐ3代目の期待を背負った長男として、50年の歴史の会社の廃業を父に
させてしまった不甲斐なさは事実として払拭できるものではありませんでしたが、
1月の終わり頃だったでしょうか、病院のベッドの上で、すでに理解でるものかどうかも
分からない父の手を握って
「お父さん、2/14に上場するからね。予定より長くかかったけど、株式上場できる
からね。」
と伝えた時の、あの安心したようなフワッとした優しい父の微笑みを見た時、
長年心の中でつっかえていた何かが、全部すーっと降りていく感覚に包まれました。
こういうこともあるんだな、と思いました。
そう考えると、あの報告が父の生前にできたかどうかというのは本当に大きく、
やはり、ホッとするのです。
父の通夜式・葬儀の翌日には、エクスペリエンス・マーケティング主宰の藤村正宏先生の
提唱される「ソーシャル・メディアリーダーズ」の6ヵ月特訓の合宿初日に出席していました。
晴れて(?)プー太郎となった私の新たな人生とビジネスの方向性を確固たるものにすべく
SNSの勉強を基に、再度構築し直す期間とさせて頂けました。
技術的には、動画に対して大きな興味と新たな可能性を実感しており、「動く坪井」を通して、
様々な実験をしていくに至っています。
6月には、馬場社長はじめ、東京渋谷は(株)グッドウェーブプロモーション主催の
渋谷「LIVE」セミナーの第1回目のゲストスピーカーとして講演をさせて頂きました。
新しいスタートを切るには、これ以上はないと思える場を与えて頂きました。
第3回までが終わりましたが、今後も、全面的に協力をさせて頂きます。
不安まみれで、1人大海に飛び出たようなプー太郎人生でしたが、
予想に反して、お陰様で、多くの皆様から様々なご依頼を頂戴し、
まだ、次のビジネス展開が確定前に、少しづつお仕事のご依頼も頂いています。
このブログで自分自身のことを伝えていくこと、何をしているのかを具体的な事例を
もって伝えていくことの大切さを改めて実感しましたし、SNSの破壊的なビジネス環境への
影響度も身を持って理解する年となりました。
数か月の間に、日本の色んな場所にも積極的に出かけました。
沖縄はもとより、今年は特に日本海側の地域に新鮮なご縁を頂けました。
ある方に、
「次は世界・・・・・・、かもしれませんね。ただし、家族をないがしろにしないように。」
と示唆も頂き、
ある方には、
「5年後までのビジョンに向かうこと。それまでは試練を覚悟する時期。」
とも言って頂けました。
年末には、現実にハワイに行くことにもなり、確かにそういう感じもしています。
あぁ、時間がなくなってきました。
今年がもう終わっていこうとしています。
まとまらないまま、ただ徒然と、書いているだけで、どれだけの「頂いた」の
言葉が出てくるのか・・・・・。
それだけ、やはり多くの皆様にお世話になりっぱなしの一年だったということ
でしょうね。
改めて感謝の意を込めて。
今年一年、ありがとうございました。
紅白で、大島裕子もAKBを卒業する報告を聞きながら・・・・・・・。
今年一年、ありがとうございました。
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