今年の色んな場面の中で、印象に残ったうちの一つ、日本海側の海辺です。
知らないことなんてまだ一杯あるんだろうな・・・・・、と思ってたっけ。
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今年は、とても穏やかな年末の感覚を実感しています。
いつ以来でしようかね・・・・・・。
この10年余り、年末年始の感覚を、「ゆっくり」「ゆったり」「のんびり」という
言葉に当てはまるように感じたことはありませんでしたからね・・・・・。
年末の感覚というのはこんな感じだったなぁと懐かしさすら憶えます。
まぁ、この10年余りは、年末年始はおろか、「土・日・祝」とか「休日」とか
「バカンス」とか、「大型連休」とか、そういうものを実感できたことはなかったし、
一日を、どっぷりと頭も体も休み切るという日は記憶にありません。
人のブログやFB等、SNSの発信を見ては、
「あぁ、そうか、巷ではこんな時期なんだなぁ。」
と思い出すように自覚していただけで、
でも、そこに不満や不平は一切もっていた訳ではなく、きつかった認識は
あったにせよ、
むしろとても充実していた、と言うか、休まずに走り続けているカッコ良さの
ようなものを自負していましたから、まぁ、幸せと言えば、とても幸せだったのだと
思います。
大学生の頃・・・・・、ファッションビルの小売店のアルバイトにいそしんでいた当時は、
巷の休みの日に、同世代の人達が、やれデートだイベントだと楽しそうにしている姿を
横目に、自分はヘトヘトになって仕事をせねばならない日々に、
「就職するなら、絶対に小売は選ばない。」
と何度思ったことか分かりませんが、今は遠い昔、そんな気持ちも懐かしいですね。
私は、いつの頃からか、「ONとOFF」とか、「オフィシャルとプライベート」とか、
「仕事と遊び」とか、そういう区分けをしないライフスタイルを標榜するようになって、
まぁ、ここ最近はずっとそうで、それは個人的にはとても良かったと今のところ
思っています。
世の中にはいろんな価値観の人がいて、全てがキチンと決まっていて、折り目切り目
正しく生活していくことを好む人もいれば、
全てが虚ろで曖昧で、何が仕事で、どこからが遊びで、どこからプライベートで、
どうなったらオフィシャルなのか、分からない方が人生の豊かさを感じられるという人も
いたりして、
私は、圧倒的に後者なだけなんだと思うんですけどね(苦笑)。
「ねばならない仕事」を好かないと言うことは、イコール「いつからいつまでが休み」という
規定も同様に好かなかったのでしょう。
全てには、始まりがあれば終わりがあるのは、世の道理なのは百も承知している
つもりですが、
同時に、その理解をしてしまったが最後、一つ一つがとても切なく空しく感じてしまう
感覚があります。
同じ世の中の道理なら、私は仏教用語の「無常」の方が好きです。
私の理解の上では、「世の中の全ては、常に同じ状態でいるというものは何もない。」
という教えです。
まぁ、どんなにありがたい教えを後ろ盾にしたところで、
「自分以外の何かに先に意図された規定によって決められてしまった状態」がとても
苦手、
要するに、人一倍「ワガママで自分の好きなようにやりたい」という、どうしようもない
モノグサというのが根本にあるのだと思いますが(苦笑)。
幼少のころから、一定の枠組みや規定の中で求められる成果を出し続けることが
自分の存在意義だと思い込んで、それなりにはやってきたとは思いますが、
そこには、どうしようもない違和感も同時に感じていたりもしました。
ここまで決定的に、「自分は自分で良いからまぁイイや。それが人間だろ。」、と自覚
できたり、まるで根拠なく自信を持って公に言えるようになったのは、
一般社会の中で、一通り徹底的にやってみたから、自分が分かった、と言えるのかも
知れません。
久しぶりに、「あぁ、年末らしいな。」と思える、とは言っても、例えば、
新しく造っている事務所の大掃除はしなきゃ、とか、
洋服の整理はしとかないと、とか、
子供達の冬休みはいつまでなんだっけ、とか、
まぁ、ありふれた日常めいた程度なんですけど(苦笑)、
こんな日を感じるというのも、それはそれでとても楽しく思えるものですね。
かと言って、過去のような、日取りの上では休みでも、まともに休んだ気がしない
というような日々になったとしても、それはそれで、まぁ、何だか楽しいわな、
と思える自信はあります(笑)。
何が言いたいかというと、何かの事象があったとして・・・・・・、
それが、一時的な何らかの価値基準を持ったとしても、常に反対側の何かも
同時にあるわけで、
例えば、それは、「休みがないから辛い」という感情の反対側には「人よりも自分の
価値を上げる努力をしているぜ」と言う優越感となる側面もあれば、
「のんびりできてリフレッシュできて嬉しい」という感情の反対側には「社会の中で、
どんどんボンクラになって無価値な人間になっていくんじゃないか」みたいな恐怖心も
同居しているはずです。
「忙しくして生産活動をし続けている」時は、「心にゆとりがなく未来のシナリオが描けない」
とも言えるでしょうし、
「落ち着いて色々なことを考えられている」というのは、「何一つ具体的な形として生産
できていない」とも言えますね。
要するに、目の前にある今の何かを、常に「あぁ、まぁこれはこれで楽しいや。」と
思えることそのものがとても大切なんだろうな・・・・・・、
なんてことを、今年の年の瀬近くに、フと思ったりしているということなんですけどね
(苦笑)。
私は、何でもかんでも、やれ「楽しい」だ、「ラッキー」だ、「ついてる」なんて、
脅迫めいた前提の考え方には全然共感できなくて、
「楽しい」と思えることは「楽しい」し、「辛い」と思えてしまうことは絶対に「辛い」と
思ってしまいます。自分の感情に嘘がつけません。
例えば、セミナーにせよ講演にせよ動画撮りにせよ、人様に何かを伝える時というのは
「失敗したらどうしよう・・・・。うまく行かなかったらどうしよう・・・・・。」という
恐怖心と極度の緊張から逃れられたことは一度としてないですが、
ただ、同時に、
「こんなに楽しくて嬉しくて生きている実感を味わえることはない。」という喜びも正比例
して実感しています。
不思議なことに、この二つの感情というか心の状態というのは、いつも共存しています。
このブログにしても
「今日も書かなきゃいけないから面倒くさい。」という気持ちと、
「今日は何をぶっ放しちゃおうか」というワクワクした気持ちが、常に一緒にいたりします。
本来は、誰もが、そんなもんじゃあないのかなぁと思っているのですけどね・・・・・・。
できれば、気持ちにゆとりをもって、どちらか一方でけではなく、反対側も見ながら、
世の中の動きと自分の感情とを、しなやかに、ゆるやかに、曖昧に、虚ろに、
でも、その中から自分の基準に合わせた選択がしていける人生でいられたら、
とっても素敵なんだろうなぁ、と、そんなことを思ってたりします。
こんなことを考えられていること自体、今年は、少し気持ちに余裕があるということなので、
色んなことがあった今年一年を、感謝の気持ちを忘れずに、しっかり振り返っておこうと
この土壇場で、やっと思うのでした(笑)。
今年はちゃんと振り返るようにします(苦笑)。
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