流刑に処されておりました。
久し振りのブログ更新となりましたが、果たして次は何時更新出来るかを考えますと
少々気が重くなります。
配流と言えば後鳥羽上皇、後醍醐天皇が思い出されます。
故に、今回は後醍醐天皇に縁のある地を・・・
「天莫空勾践 時非無范蠡」 児島高徳は、作州・院庄の天皇行在所の傍にあった桜の木に
漢詩を彫り、その意志と共に天皇を勇気付けたと伝わっています。
作州(美作・みまさか)にて後醍醐帝の史跡を訪ねて来ました。
岡山県 新見市(旧阿賀郡大井野村⇒阿哲郡大佐町)、県道317号線を千屋方面に向かいますと、
道沿いにこじんまりとした木製の両部鳥居があります。
道を挟んで後醍醐天皇ご飯石。
元弘の変(1331)で隠岐に配流となった後醍醐天皇が、道中ご休息され、食事を召された場所として
知られ、この地に残る岩を食卓がわりにされたとの言い伝えが残ります。
その時に老婆が差し出した山里のワラビの料理を、天皇はことのほか喜ばれた様で、現在でも
この地に生えるワラビはアクが少なく美味であるとの事。
後に村人達が、隠岐配流の道中にご休息をされた後醍醐天皇のご遺徳を偲び、建立したのが
その名もずばり後醍醐天皇宮。
階段を上り詰めると少々窮屈そうな社殿。
過疎の進んだ山村にありながら、手入れは中々に行き届いております。
屋根には金色眩しい十六弁の菊紋。
かしわ手が杉林に響きます。
天皇は、失意のうちにでは無く、再起を胸に秘めての隠岐への道中だった事でしょう。
『御所原』 天皇ご休息の地。
『大井野』 =王(天皇)が居た野。
今もこの辺りの地名に後醍醐天皇ご休息の名残を留めます。