<前回ブログ>

 

 

 

渋沢栄一記念館 

 

深谷市下手計1204 (←リンク先Googleマップ)

開館時間: 午前9時~午後5時

休館日: 年末年始(12月29日から1月3日)

入館料: 無料!

公式HP (←リンク先)

 

 

 

渋沢栄一記念館より青淵公園(せいえんこうえん)を経由して旧渋沢邸「中の家」まで小山川支流・清水川沿いを歩いて移動します。


 

 

栄一雅号(がごう)「青淵(せいえん)」より名付けられた青淵公園

※ 雅号とは、俳人であれば俳号(俳名)、吟詠家であれば吟号という通称名。

 

 

 

清水川北岸の砂利道を西に向かいます。

右に、新緑の美しい原っぱに見えますが、洪水時に水を溜めるための調整池なんだそう。

 

 

 

しばらくして小さな橋を渡り、清水川南岸を進んで行くと、「渋沢栄一の言葉」という看板が等間隔に設置されていました。

 

 

 

東西約1kmに広がる青淵公園の西端までやってきました。

この辺りはクリスマスシーズンにはイルミネーションが飾られ、冬を彩るのだそうです。

 

 

 

案内板に従って細い路地を南下していくと、立派な門構えの旧渋沢邸「中の家(なかんち)」に到着しました。

 

 

 

「史蹟 澁澤榮一生地」と刻まれた石柱。

 

 

 

 

旧渋沢邸「中の家(なかんち)」 

 

深谷市血洗島247-1 (←リンク先Googleマップ)

開館時間: 午前9時~午後5時

休館日: 年末年始 (12月29日~1月3日)

入館料: 無料!

 

 

「中の家」と書いて「なかんち」と読む由縁ですが、この町内一体に渋沢姓が17軒あったそうで、それぞれ「東の家(ひがしんち)」「西の家(にしんち)」など俗称で呼ばれていたようです。

 

 

栄一の父・市郎右衛門「東の家」の三男として生まれたが、本家筋の「中の家」に男子がなかったため渋沢ゑい(栄一の母)の婿養子として家督を継ぎ、二人の間に生まれたのが栄一でした。

 

 

 

ところで話は変わって住所の

 

武蔵国榛沢郡血洗島村

(現・埼玉県深谷市血洗島

 

 

 

血洗島(ちあらいじま)

 

 

ってなんとも凄惨な地名ですよね?

 

 

地理好きの私からすると由来が気になるので少し脱線してご紹介しておこうかと思います。

ちなみに定説はなく諸説が二つヒットしました。

 

 

 

 

【諸説①】

北に流れる利根川が大雨の度に氾濫を起こし、「地が荒らされ中州(島)ができた」「地荒島」→漢字が変化して「血洗島」

 

 

【諸説②】

古代、赤城山の山霊と他の山霊が戦い片腕を落とした。その傷口をこの地で洗ったことで「血洗島」

 

 

栄一はマスコミに【諸説②】を語っていたのだそうです。

 

私的には、この辺りの地形をGoogleマップを眺めていると「〇〇島」が多くみられ、現代の利根川にもいくつも中州を確認できるので、【諸説①】を推したいですね。

 

 

 

 

 

さて主文に戻って、正面に建つ木造2階建ての主屋を見学させていただきます。

屋根に「煙出し(けぶだし)」と呼ばれる天窓があるのは、養蚕の作業場だったからです。

 

 

実は、この主屋は栄一の妹・貞子の婿養子・市郎(旧姓須永)を迎え1895年(明治28年)再建され昨年2023年(令和5年)には改修工事されました。

親族の集まりなどでは栄一も訪れはしていたでしょうけど実際に栄一が生活していた家ではなかったそうです。

 

 

 

玄関を入ると案内所があり、住所と名前を記載します。

その奥右手に、復元された3つの釜土

 

 

 

左手には、8畳間×3部屋あり、一番奥の上座敷を客室として使用されていたので、栄一帰郷の際に寝泊まりされていたのだそうです。

 

 

 

2023年改修工事にて、1895年(明治28年)再建前に使用されていたと思われる煉瓦製カマド跡が発見され、ガラス窓で大切に保管し見学することができます。

煉瓦は栄一が中心となって設立した日本煉瓦製造㈱製である「上敷免製」の刻印。

 

 

 

 

 

NHK大河ドラマ『青天を衝け』で使用された囲炉裏と

左:渋沢栄一(吉沢亮)、右:渋沢千代(橋本愛)が着用した衣装

 

 

 

頭上に大きな三社神棚が目に入りました。

説明書きはありませんでしたが、恐らく江戸時代より脈々と受け継がれている神棚だと思われます。

 

 

 

「中の家」では、80歳頃の栄一アンドロイドがプロジェクターを使ってお話されていました。

 

 

 

記念館では70歳頃のアンドロイドでしたので、10歳以上お年を増された肌の質感、シワなど忠実に再現されています。

 

 

 

こちらは帰郷時に使用していた上座敷(客間)。

 

 

 

木階段を上って、2階に上がります。

 

 

NHK大河ドラマ『青天を衝け』(2021年)で使用された小物や資料などが展示されていました。

 

 

 

渋沢栄一役を演じた吉沢亮さんのサイン

 

 

 

「横浜焼き討ち計画」70人の血判状【撮影使用品】

1853年(嘉永6年)黒船来航以降幕末期において、アメリカ人の横行に脅威を感じ、江戸幕府を差し置いて強攻に出る計画であったが、従兄の尾高長七郎の説得により未遂に終わったのです。もし実行していたのならば早くに太平洋戦争が勃発し、歴史が変わっていたのかもしれません。

 

 

 

栄一の従妹で、のちに妻となる尾高千代(子役・岩崎愛子)の櫛。

あまりにも可愛い櫛だったので撮影しました。

 

 

その他にも様々な撮影小道具などが展示されていました。

もう少しじっくりと見学したいところではありますが、そろそろ帰ろうとするか・・・

 

 

中庭には、

1866年(慶応2年)パリに向かったとき23歳「若き日の栄一」銅像

1868年(明治元年)もうちょんまげを切って帰国した栄一に再会した妻・千代は泣き崩れたのだそう。多様性のない時代背景が面白いですね。

 

 

 

藍玉の製造・貯蔵場として使用されてい土蔵

 

 

いよいよ40年間肖像画であった福澤諭吉一万円札が引退、渋沢栄一一万円札が発行されます。

世の中に出回るのはもう少し先なのかもしれません。

 

栄一にあやかり、”青天を衝く”ように高い志を持って未来を切り開いていきたいものです。

 

 

追伸:渋沢栄一とご縁がありますように♪