いよいよ来月7月より新札が発行されますね。

仕事で行った千葉県北部から帰路下道600kmの道中に立ち寄った”今が旬”の施設。

 

 

渋沢栄一記念館 

 

深谷市下手計1204 (←リンク先Googleマップ)

開館時間: 午前9時~午後5時

休館日: 年末年始(12月29日から1月3日)

入館料: 無料!

公式HP (←リンク先)

 

 

 

 

入口頭上には、新1万円札デザインの大きな横断幕が掛けられていました。

 

 

 

そんな”今が旬”渋沢栄一とはどんな人だったのか?

深谷市公式HPより編集引用して簡潔にご説明したいと思います。

 

 

 

渋沢栄一(旧字体:澁澤榮一)

1840年(天保11年)-1931年(昭和6年) 91歳没

武蔵国榛沢郡血洗島村(現・埼玉県深谷市血洗島)の農家出身

幼少時は、家業である藍玉の製造、養蚕を手伝い、中学生になると父市郎右衛門に付き添い行商をするようになる。

18歳、隣村の下手計村出身・尾高千代と結婚。

21歳、農閑期に江戸留学、従兄弟の尾高惇忠から本格的に「論語」などを学ぶ。

交際のあった一橋家家臣・平岡円四郎の紹介で、一橋慶喜に仕えることになる。

26歳、幕臣となりフランス渡航、ヨーロッパの近代文化を学んでいたが大政奉還に伴い帰国。

明治維新後、静岡藩にフランスで学んだ株式会社制度を実践「商法会所」設立を皮切りに、産官界において快進撃が始まる。

民部省(現大蔵省)入省、日本最初の銀行第一国立銀行(現みずほ銀行)創業、約600の教育機関・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力。

古稀70歳を目前に多くの企業・団体の役員を辞任、喜寿77歳前にに実業界引退。

 

 

ちなみに福沢諭吉は、1835年(天保6年)生まれなので栄一の5歳上。

 

 

ついでに補足しておきますと、

新5,000円札津田梅子 

1864年(元治元年)- 1929年(昭和4年) 64歳没

 

新1,000円札北里柴三郎

1853年(嘉永5年)- 1931年(昭和6年) 78歳没

 

 

年齢順だと、栄一13歳下北里柴三郎24歳二回り下津田梅子と覚えておくと良いでしょう。

 

 

 

 

 

 

入館すぐ左にある資料室より見学させていただきます。

入口には等身大パネルが置かれています。恐らく80代の頃でしょうか?

 

 

資料室は写真撮影NG

 

 

執筆された書籍、自筆(達筆!)の巻物、年齢に沿った関連史料などさまざまな功績を見学させていただきました。

 

 

 

 

富岡製糸場と深谷の三偉人の浮彫りレリーフ

左より、「渋沢栄一・尾高惇忠・韮塚直次郎」

 

 

韮塚直次郎氏は存じませんでしたが、煉瓦製造や建築資材調達のまとめ役を担った方だそう。三偉人の「三」にこだわり過ぎなような・・・(;^_^A

 

 

 

館内2Fに上がり、エントランスを撮影。

 

 

 

さっそく講義室に向かいます。

 

 

おっ!教卓に立っておられるのはまぎれもなく渋沢栄一アンドロイドではありませんか!

 

 

 

めちゃくちゃリアル!!

古稀70歳の頃を再現しているのだそう。

 

 

 

生誕180年にあたる2020年に完成したアンドロイド

深谷市出身・鳥羽博道氏(ドトールコーヒー名誉会長)の寄付により制作されました。

 

 

1923年(大正12年)栄一晩年84歳の頃講演した『道徳経済合一説』の肉声をレコードに残していたものをデジタル修正したのだそうです。

アンドロイドは70歳なので多少脚色されているようです。

 

 

講演内容については、深谷市作成のPDF(←リンク先)

に掲載されておりますので参照ください。

 

 

 

 

 

新1万円札を記念したお土産ものがショーケースに陳列されていました。

 

 

 

 

 

渋沢栄一と「青い目の人形」

 

 

一見すると晩年の栄一が人形を抱え”ほのぼの”とした写真に見えるのですが、非常に奥の深い意味が詰まっているのです。

 

 

1927年(昭和2年) 栄一87歳

日米の親善を願ってアメリカより約12,000体の人形が贈られたときの取材写真が、この渋沢栄一と「青い目の人形」

当時の時代背景として「排日移民問題」が取り立てられており、アメリカは日米の友情交流を望んで贈ってきました。

そして日本全国の施設や学校に送られ日米関係改善が進み始めたのです。

 

しかし、14年後の1941年(昭和16年)12月8日、ハワイ真珠湾への奇襲攻撃により太平洋戦争勃発

その時、多くの「青い目の人形」は焼却処分されたのだそうです。。。

江戸初期キリシタン禁令における踏み絵みたいなものだったと想像します。

「青い目の人形」にはきっと平和を望む”魂”が宿っていたに違いありません。

 

この時すでに鬼籍に入っていた天国の栄一は、この状況をどんな気持ちで見ていたのだろう・・・

想像するだけで胸が痛くなります。

 

 

 

最後に、記念館北側中央に立つ高さ5mの石像を見ました。

北側群馬県の方向を眺めておられます。すぐ先の利根川の向こうは群馬県太田市となります。

 

 

 

渋沢栄一記念館の見学を終え、係員の方におススメされた旧渋沢邸(栄一生家)「中の家(なかんち)」に向かうことにします。

どうやら渋沢栄一記念館「中の家」はセットで見学するとより知識が深まるとのこと。

 

 

 

小山川の支流・清水川南岸に沿った青淵公園内ウォーキングコース約1kmを歩いて向かうことにしました。

 

 

 

次回、【後編】

旧渋沢邸

「中の家(なかんち)」

に続く。