<前回ブログ>
陸奥国一宮・鹽竈神社/志波彦神社 (←リンク先)
以前ニュースで見たことがある「四口の神釜」を見たく訪れた鹽竈神社なのですが、実は勘違いしていたようで「四口の神釜」を祀っているのは境外社の御釜神社だと授与所の方に教えていただき向かいました。
鹽竈神社からは、東参道の石段を下だり県道3号塩釜吉岡線の信号を渡ってすぐの場所。
御釜神社(おかまじんじゃ)
塩竈市本町6-1 <Googleマップ>
受付時間: 7:00~18:00
「塩竈」の地名の由来とされる「四口の神釜」が安置されている。
創建時期不詳、主祭神:鹽土老翁神(しおつちのおじ/ 鹽竈神社別宮と同神)。
1689年(元禄2年)5月8日、『奥の細道』旅中に松尾芭蕉が立ち寄った。
鹽竈神社の東参道よりすぐ南側に朱色の明神鳥居が建っています。
こじんまりとした神社ですが、平坦に砂利敷きされ整備が行き届いています。
神額には金文字で「御釜神社」、まだ新しいようです。
10mほど進むと石鳥居。こちらはかなり年期を感じられいい感じに苔も生えています。
石鳥居を潜り正面に本殿
鹽土老翁神(しおつちおじのかみ/別称塩椎神)を祀っています。
左奥に進むと、摂末社・牛石藤鞭社(うしいしふじむちしゃ)
そして、今回のメインテーマである神竈奉置所
「四口の神釜」を安置しているところです。
日本三奇の一つ・「四口の神釜」(よんくのしんかま)
※ あと二つは、石の宝殿(兵庫県高砂市)、天逆鉾(宮崎県高原町)
時刻は夕方6時と拝観時間ギリギリだったのですが、拝観料100円を支払い神竈奉置所の門を開けていただけました。
そして、釜守(かまもり)と言われるいわゆる神守さんにご説明をいただきます。
「四口の神釜」は撮影禁止なので、イメージ図を作成しました。
鹽竈神社公式HP(←リンク先)に「四口の神釜」が小さい写真で掲載されていますのでご参考に。
四畳半の小屋の中に、直径1.4mの茶色い釜が4個並んでいていずれにも海水が入れられています。
毎年7月4~6日に古代の製塩方法を伝える『藻塩焼神事』が行われ、塩釜港の海水を入れ替えるのだそう。
10円玉を釜、1円玉を透明な海水とイメージしてください。
忘れもしない2011.3.11の二日前、いつものように参拝客に「四口の神釜」を見せる為、神竈奉置所の門を解錠すると、左手前の釜の水が茶色く濁っていたのだそう。。。
今回案内して下さった釜守さんが第一発見者で、その時の様子を詳しく教えて下さり、一部割愛して当ブログでご説明したいと思います。
奥の二つの釜の上には屋根があり、手前の二つの釜は雨ざらしだけど、大雨が降ってもオーバーフローせず、真夏の日光を浴びても干上がりもせず、”日本三奇”と伝わっています。
以前に海洋学の学者の方が真相を解明する為、調査されたことがあったが、科学的根拠では解明できなかったのだそう。
二日前、茶色く濁った海水を見て、「仙台藩4代藩主伊達綱村に第一子・扇千代(せんちよ)が生まれた際、緑色に濁った」言い伝えを思い出したようです。
その時は、「茶色く濁る」→「良からぬことが起きる」とは連想しなかったが、今思えば3.11の予知だったのかもしれない・・・
左に御釜神社、この前の通りを西向きに津波が襲ったのだが、境内には濁流が入ることがなかった。しかし、右側の3階建て旧旅籠「ゑびや旅館」の1階は壊滅。写真では右下がり勾配ではあるものの御釜神社は被害がなかったのはなんとも不思議なこと。
Googleマップ航空写真を確認してみると、塩釜港までは僅か500mの距離ですが、塩竃市沿岸部は自然が作った入江の港町となっていて、東には宮戸島や小さな島が防波堤となったことで津波の被害は比較的少なかったそうです。
前述した旧旅籠「ゑびや旅館」、一時は解体寸前の被害を受けたそうですが、地域住民より「歴史的建造物をなんとか残してほしい」という懇願により解体は取り消され、現在は「まちかど博物館・旧ゑびや旅館」として施設管理されているのです。
私が訪れた時間(夕方6時前)は閉館していたため、残念ながら見学をすることは叶いませんでした・・・
神社仏閣巡りは好きですが、宗教やスピリチュアルといった神秘については信じておらず、科学的な証拠や客観的な事実のみ信じているのですが、日本三奇の一つ・「四口の神釜」には、論理的な地理・地学を通り越した神秘を感じることができました。
PS. なお、当ブログにスぺリチュアル系、占い系の方よりフォローをいただきますが、一切興味がありませんのでフォローバックは致しませんのでご了承のほどお願いします。