琴平電鉄塩江線廃線跡
【前編】ことでん仏生山駅~唐渡(からと)隧道
唐渡隧道南抗口
唐渡隧道北抗口の方の土壌は未舗装ながらも乾いた土で歩きやすかったのですが、南抗口に向かうにつれて山に染み込んだ雨水の流出の影響かぬかるみが増え、出口付近で泥溜りに足を突っ込んでしまって車運転用のスリッポンがドロドロに・・・(;゚Д゚)
若干モチベダウンしましたが、前進あるのみ。気を取り直して進みます。
唐渡隧道を出て南方が進行方向のはずですが、現在は住宅街に変貌しているので探索を中断し仕方なく西側の県道280号高松香川線(塩江街道)に迂回します。
⏱ 9:25
(出発して1時間経過)
4.8km付近
緩やかな丘陵を下っていくと左手に、
龍満池(りゅうまんいけ/「竜満池」と表記もあり)が見えてきました。
Googleアースマップ3Dで龍満池を見てみると、約90度の扇形をしており、そして一本の小径が中央に向かって延びているのがわかります。
ドラクエに見る地形図のようで、神秘を感じざるをえません。
これは誰が見ても人工池であることがわかるのですが、
「四国地方は瀬戸内式気候で降水量が少なく晴天日数や日射量の多いことから溜池が非常に多い」
と小学生の頃に教わったことがあるのを思い出しました。
2024年の干支、甲辰(きのえたつ)に龍満池に遭遇するなんて運命的ですし、謎を解明しなければ来た意味がないというものです。
廃線跡は、龍満池西岸沿いだったので本筋から脱線してしまいますが、龍満池に寄り道していきます。
野球場のような形状の龍満池北岸沿い、レフトスタンドからセンターバックスクリーンに向かうように進んで行くと、なんと見事な光景なのでしょう。
胸がトキメクとはこのことをいいます。
映画ドラえもん『のび太の・・・』のロケ地で使われそうななんとも神秘的な小径が、野球場センター側からホームベースに向かって続いています。
桜の木と無数の石灯籠がずらっと立ち並び、Googleマップで見たより遥かに直線に延びているようで驚愕してしまいました。
例えるならば、ファッションショーのランウェイを闊歩し、中央のステージに向かっているかのような感覚です。経験したことはないですが(;^_^A
さらに足を進めると、明治元年(1868年)に設けられた川東八幡神社一の鳥居がこんなところに建立されているのです。
鳥居を潜り30mほど行くと、長崎出島のように張り出た地形となっています。
石垣の上に土塁が築かれているのがわかります。
江戸時代の土木工事で築かれたのでしょうか?
出島の中央には石柱に囲まれた台座があります。
正式名称は、「お御旅所神事場」というようです。
「御旅所(おたびしょ)」とは、神様が巡行の途中で休憩または宿泊する場所のことをいいます。つまり龍神様が降りてきて、先ほど潜った一の鳥居より川東八幡神社に向かわれるのだと理解できました。
お賽銭?
この龍満池は、江戸初期1627年(寛永4年)、西嶋八兵衛(讃岐生駒藩客臣)が築造した人工池。その他に日本最古の人工池である満濃池(香川県仲多度郡)なども彼による築造で、讃岐の水利開発の功労者だったようです。
土木建築に才がある西嶋八兵衛についてもう少し掘り下げて調べてみることにしました。
1596年(慶長元年)遠江国濱松で生まれ、1612年(慶長17年)津藩藤堂高虎の近習役(秘書)に仕えた。
なるほど!築城の名手・藤堂高虎の見染められた要因は、”土木技術の才”を魅入られたことと考えて間違いないでしょう。
江戸末期、この地の庄屋・龍満権之守から名を取って、「龍満池」の呼び名が定着したようです。龍満権之守が改修工事を行ったのか?もしくはこの小径を築堤したのか?どうかまでは調べることができませんでした。
たまたまナビに映る琴平電鉄琴平線の路線図を見て不思議に思い、琴電塩江線廃線跡『ガソリン道』を知ることになり、ちょっと寄り道と立ち寄っただけなのに、こんな貴重な物件に遭遇でき、さらに教科書には載っていないであろう讃岐水利開発の功労者西嶋八兵衛を知ることができて非常に満足しました。
改めて、「御旅所」をスタートして一の鳥居を潜り、実は参拝道であった小径を通り、竜桜公園入口にある川東八幡神社二の鳥居まで戻ってきました。
折角なので参拝していくことにします。
石段一区間を上り左手に手水舎? 枯渇していました。
さらに石段を上り振り返ると、龍満池「竜桜公園」の絶景が見えました。
桜のシーズンに再訪したいものです。
石段を上り終わり、境内すぐ右手に手水舎。
左読み「漱盤(そうばん)」は、「盥漱盤(かんそうばん)」の略称なのかとは思いますが、銅製の神龍の口元から神水が流れるような構造となっていました。
三の鳥居の奥に拝殿。
境内は非常に整備されていて、ゴミはもちろんのこと落ち葉もないし、芝生もキレイに刈られています。
天皇陛下在位六十年記念に奉納された神馬の像
主祭神は、八幡社なので誉田天皇(15代応神天皇)、そして14代仲哀天皇神功皇后ご夫妻。
拝殿にてお賽銭を納め、ふと正面に目を向けると、縦横格子に覗き窓があるので覗いてみました。
筆を使わずに手や指で絵を描く指画家・濱田珠鳳先生(2021年享年78歳没)の作品『龍神之図』が飾られていました。
伊勢神宮や熱田神宮などに奉納されている濱田珠鳳先生の作品が、村社に奉納されているとはどのようなご縁があったのか?
素晴らしい作品を生で見ることができ深謝いたします。
「濱田珠鳳の世界」公式HPに川東八幡神社奉納の記事を発見しました。
そろそろ廃線跡ハイキングもこの辺で終えないと、廃線跡なので帰りの交通インフラがありません。
琴平電鉄塩江線廃線跡を終点・塩江駅跡まで歩くと、営業キロ16.2kmと流石に帰りのことを考えると無理があるので、どこでキリが良いかと考えたところ、すぐ先の香川総合センター(高松市役所香川支所)で止めておくことにしました。
🕙 9:45
(出発して1時間20分)
琴電・仏生山駅より5.1km歩いてきたようです(/・ω・)/
実際は、龍満池や川東八幡神社を観光しているので、さらに1km程度多く歩いていることでしょう。
香川総合センターに近接する香川図書館
左の舗装路が琴電塩江線廃線跡と思われます。
仏生山駅より4つ目営業キロ5.4kmが「川東(かわひがし)駅」跡なので、この先300mの国道193号×県道13号三木綾川線・香川町川東交差点付近だと思われますが、廃線跡巡りはここで終了としました。
観光マップにも載っていないような廃線跡ハイキングでしたが、
ガソリン道、唐渡隧道、龍満池などなかなか見ごたえのある物件と出会えまた雑学が増え、地理地形好きとして堪能することができました。
ありがとうございました。
さてこれから事業車を置いた駐車場までどうやって戻ろうかな (・・?
もちろん行き当たりばったりの旅でありますが、瞬時に計画は練っております(*^▽^*)
続く。。。