仕事で香川県高松市に行って来ました。
香川県を代表する神社は「金刀比羅宮(通称:こんぴらさん)」ではないでしょうか?
かつて「金刀比羅宮」は、「金毘羅大権現(こんぴらごんげん)」と称し、神仏習合の寺社だったのはご承知だと思います。1868年(明治元年)神仏分離の令を受け、1885年(明治18年)に社格国幣中社に昇格しています。
四国最大の都市で中核市である高松市からこんぴらさんの最寄り駅・琴平駅までのアクセスをGoogleマップで見てみると二つの路線があることがわかります。
瀬戸内海側を通るJR瀬戸大橋線+多度津経由+JR土讃線
営業キロ44km(約1時間5分)@980円
※ 本数が少ないですが、JR予讃線に乗れれば同じ路線内で乗り換えなしで行けます。
そして、
四国山地の北麓を縫うように琴電琴平線
営業キロ33km(約1時間5分)@700円
往路と復路で路線を変えて車窓からの景観を楽しむのも良いかもしれません。
私は岡山で大学生活を送ったので初めてのマイカー(ローバーミニメイファ1000)で同じ大学同じアパート、そして同じバイト先で夜勤明けの友達3人でこんぴらさんに参拝したのが初ロングドライブであった思い出が残っています。
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さて、仕事で行った先は高松市南部だったのですが、信号待ちでナビに映る琴平電鉄の路線図を見てみると非常に奇妙で歪に曲がっていることに気付きました。
琴電琴平線は、起点・高松築港駅より南下して仏生山(ぶっしょうざん)駅より大きく西に曲がりくねっています。もちろんこれは「金刀比羅宮(通称:こんぴらさん)」への最適ルートを辿っていることに違いはないのでしょうけど、地理地形好きの胸が騒ぐのです。
ちなみに『ブラタモリ』が大好きです(笑)
琴平電鉄塩江線廃線跡
※ Wikipediaより抜粋編集。
路線総延長: 16.2km
軌間: 1,435mm(標準軌)
電化: 全線非電化
駅数: 12駅(起終点駅含む)/数値は区間距離
0.0仏生山駅⇒1.5船岡駅⇒2.8浅野駅⇒4.0伽羅土駅⇒5.4川東駅⇒6.7岩崎駅⇒8.1鮎滝駅⇒9.7関駅⇒10.6安原駅⇒12.0中村駅⇒14.7岩部駅⇒16.2塩江駅
香川県香川郡仏生山町(現・高松市仏生山)の仏生山駅と香川郡塩江村(現・高松市塩江地区)の塩江駅を結んでいた琴平電鉄塩江線(しおのえせん)
1929年(昭和4年)-1938年(昭和13年)のたった9年間営業していた塩江温泉鉄道が経営困難に陥り、親会社の琴平電鉄に吸収合併されて同社の塩江線となりました。
しかし、モータリゼーション普及により1941年(昭和16年)廃止、以降廃線。
線路等は戦時の鉄資材供出に充てられ、日本領土であった台湾・台湾製糖株式会社に売却されました。
琴平電気鉄道・塩江線 営業経路図
※ 画像は、Wikipedia「琴平電鉄塩江線」より改変引用。
やってきたのは高松琴平電気鉄道(略称:琴電)琴平線・仏生山(ぶっしょうざん)駅
こちらは西口改札側、2018年(平成30年)新しく増設されました。
そして東口改札側、駅舎は1926年(大正15年)開業当時ではないでしょうけど、立地場所はそのまま変わっていないと思われます。
ちょうど高松築港駅を始発、ここ仏生山駅より琴平行き普通電車が出発していきました。
車番1092とあるので、かつての京急(京浜急行電鉄)1000形として1960年(昭和35年)デビュー、1991年(平成3年)より琴電に引き継がれた車両のようです。
前述のとおり、仏生山駅より次の空港通り駅へは大きなカーブを描いているのがわかります。
仏生山駅の北東方向には車両倉庫があります。
左の1200形エメラルドグリーンの車両は、香川県東部の長尾線(瓦町駅~長尾駅)を走っています。
ハウスメーカーのユニバーサルホームラッピング車両(元京浜急行700形)が留置されていました。
この日は寒波が去り、気温9度で体感温度はさらに高かったのでそれに見合ったデザインにほっこりさせられました。
さて、今回のブログタイトルにもある本題、
琴平電鉄塩江線(旧塩江温泉鉄道)廃線跡
のレポに入って行くわけですが、仏生山駅東側に1926年(大正15年)製造1000形-120号が展示?されています。恐らく塩江線はここより南側塩江温泉方面に発着していたと思われます。
車両後方より撮影しました。
前方に見える南側に延びる舗装路が廃線跡であります。
昭和初期、塩江温泉鉄道が開通していた頃、ディーゼル気動車(ガソリンカー)が運行していたので、廃線跡となった今でも「ガソリン道(みち)」として親しまれ、Googleマップにもそう記載されています。
Web検索していたら、当時のガソリンカーの貴重なお写真を発見しました。
拝借させていただきますm(__)m
※ 画像は、高松市塩江美術館公式HPより引用。
では早速、ガソリン道を辿っていくことにします。
🕣 8:25 スタート
生活道路を南に進んで行きます。
真っすぐに延びる舗装路、今は住宅街になっているので生活道路なのでしょうけど、路側帯が結構狭く、しかも土曜の朝だというのに結構ハイスピードで走行する車が多いです。
地元抜け道となっているのかと思われます。
新築分譲中の建売物件や戸建用に整備された土地などが多く見られました。
ここまで平地を進んできましたが、小高い丘を登っていきます。
ディーゼル気動車(ガソリンカー)も仏生山駅出発後最初の難所だったのではないでしょうか。
丘を上り右手の三角地には、古宮神社。恐らくどっからか移設されたのだと思われます。
鳥居はなく石碑が三柱?あり、「天照大神」と刻まれていました。
資料によると、このあたりが仏生山駅を出て1つ目1.5km先の「船岡駅」付近だと思われます。
ここまで南南西に進んできたが、進路は真南に向かいます。
「ガソリン道 GASOLINE MICHI」と書かれた標識が立っています。
ここでようやく「ガソリン道(どう)」ではなく、「ガソリン道(みち)」と読むと知りました。
右手に、イギリスの宮殿のような建造物は私立「さんさん保育園」。
失礼ですが一見ラ〇ホに見えてしまいました(;^_^A
左手手前に市営池、奥に見える美しい山は標高250mの実相寺山
この辺りが始点・仏生山駅より2つ目2.8km先の「浅野駅」があった辺りと思われます。
比較的あたらしい「ガソリン道 GASOLINE MICHI」と書かれた標識。
恐らく国交省の設置だと思われますが、地域の呼称だけに留まらず「ガソリン道」として認証されている道路なのですね。
他県から来るとなんのことかさっぱりわからないでしょうね(笑)
司法書士事務所やデイサービスを経て、次第に上り勾配も急になってきて、正面には山が見えてきました。
どうやらこの先の山は、油山というようで、数か所に登山口の道標が設置されていました。
緩やかなカーブを描き、まだまだ上っていきます。
高松市の下水道マンホール蓋
平安後期「屋島の戦い」にて、那須与一が扇の的を見事に射抜いた図柄が描かれていました。
仏生山駅より3つ目4km先の「伽羅土(からと)駅」付近
資料によると油山の頂上付近のトンネル北側にあったとされていたので、このあたりにあったのでしょう。
「ガソリン道」は右にカーブし、県道280号高松香川線(通称:塩江街道)に丁字合流するのですが、
琴平電鉄塩江線(旧塩江温泉鉄道)廃線跡は当然直線してトンネルに進みます。
唐渡(からと)隧道
竣工年が書かれた銘板等は見つけれませんでしたが、1929年(昭和4年)開通なので、同年か前年に竣工されたでしょうから築90年以上と思われます。
木製柵はしてあるが立入禁止でもなさそうですし、車両通行止めの柵であると理解し突入していきます。
全長約60m、進路は左カーブを描いており、南坑口の明かりが見えています。
築90年以上にしては経年劣化も見られず遺構とするには少々勿体ないように感じます。
2m高はコンクリ構造でその上のアーチ部が煉瓦積みという不思議な建築法。
昭和初期の建造物なのでコンクリ構造が主流だと思うのですが、なぜにこのような構造物となったのでしょう?
隧道ちょうど中間地点あたり右側に、幅1m×高さ2mくらいの待避所が設置されていました。
鉄道トンネルの証であることがわかります。
南側坑口にも木製柵がされていましたが、進入禁止等の注意書きはなし。
唐渡(からと)隧道南側坑口を20mほど離れて撮影しました。
油山の斜面低いところを掘削して工事したのだとわかります。
唐渡(からと)隧道と記載しましたが、このトンネルの北側にあったのは伽羅土(からと)駅
近くのバス停は平仮名「からと」だったので読みは「からと」で間違いないとして、
「唐渡」なの?「伽羅土」なの?どっちなんだい!?と地名の歴史について追及しました。
土木学会さんの資料によると、唐渡(からと)隧道のようでしたので、当ブログそう記載させていただきました。
別称では、伽羅土駅すぐのトンネルなので「伽羅土隧道」、油山を貫通したことで「油山トンネル」とされているのも見受けられました。
琴平電鉄塩江線
(旧塩江温泉鉄道)
廃線跡
ガソリン道
【後編】に続く。。。