前回 【●日目-●】

太田宿~伏見宿

 

 

 

 

水田に囲まれた長閑な田舎道を東に進み、国道21号に合流します。

この先も国道に合流しては左斜めの旧道に入ったりと断続的に寸断しているので京側スタートは左側通行でトレースしやすいですが、江戸側スタートの方だと逆走するように右側通行したほうが良いと思います。

 

 

本筋とは関係ないですが、この辺りは名鉄八百津線(旧東美鉄道)、明智駅(可児市)から八百津駅(加茂郡八百津町)営業キロ7.3kmを結んでいた東伏見駅があった場所でもあります。1930年(昭和5年)-2001年(平成13年)廃止され現在は遊歩道となっていました。

東伏見駅は、1944年(昭和19年)名鉄が東美鉄道吸収合併すぐに廃止になり80年も経過していると廃駅跡遺構はわからないですね。

 

 

 

では本筋(中山道の旅)に戻ります。

 

「左 伏見宿」「右 御嶽宿」と刻まれた道標を左斜め。

 

 

 

左に森林、右は田畑と自然豊かな道をサイクリングするのは気持ちがいいものです。

このあたりに五平餅屋さんがあったのですが、定休日?営業されていませんでした。

 

 

 

比衣川に架かる土橋を渡り、東海環状道路(国道475号)のガルバート函渠(かんきょ)を潜り、右カーブで進むと左手に、比衣一里塚跡(96里) 標石のみ

 

 

国道21号に合流、重複区間を進み、可児川に流れ出る用水路?に架かる小さな橋を渡り、すぐ先用水路に沿って左斜めに進みます。

 

再び国道21号に合流、中交差点を右折、緩やかな下り坂を下っていくと、右手に1821年(文政4年)建立、上部の火袋と笠が木製なのが珍しい常夜燈を左折します。

 

 

 

右手に御嵩町中公民館を見ながら県道341号御嵩可児線を東に向い、左に原写真館を見ながら十字路を右折、少し進むと右手に名鉄広見線の終着駅の御嵩(みたけ)駅

 

 

1952年(昭和27年)開業当時の駅舎を何度か改修工事を経て、2009年(平成21年)御嶽宿の雰囲気に合うように改修工事と再塗装をされたのだそう。

 

 

 

左折してこれより御嶽宿京口に入ります。

 

 

 

 

49番目

御嶽(御嵩)宿

(岐阜県可児郡御嵩町)

三条大橋から160km

日本橋まで378km

 

廣重画『木曽海道六拾九次之内 御嶽』

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※ 画像は、Wikipedia「木曽海道六十九次」より引用。

 

 

願興寺の門前町として栄え、中仙道が整備された1602年(慶長7年)に開設。

廣重の浮世絵にもあるようにかつては「御嶽(みたけ)」という漢字が使われていたが、現在の地名は「御嵩町(みたけちょう)」。木曽御嶽山(愛称おんたけさん)とは全く関係がない。

1843年(天保14年)の「中山道宿村大概帳」によると、

本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠28軒、家数66軒

 

 

 

蟹薬師願興寺(通称可児大寺)

平安初期815年(弘仁6年)創建の由緒ある寺院で1581年(天正9年)再建された本堂の改修工事を10ヶ年計画で行われているそうで、2026年修理完了予定だそうです。

 

 

 

可児才蔵(吉長)に関する説明書きがあり、御嵩で生まれた才蔵は幼少期、願興寺で過ごしたと書かれたありました。

 

 

 

全面ガルバ安全鋼板に囲まれ、本堂はまったく見えません。

 

 

 

右手前の十王堂「仮本堂」として仮設されているのでこちらでお参りさせていただきました。

 

 

 

唐沢川に架かる唐沢橋を渡ると、宿場内中心地に入りました。

 

木灯籠には「みたけ宿」「中山道御嶽宿」と旧名「御嶽」が使われているのが嬉しいですね。

 

 

 

御嵩町立中山道みたけ館(旧脇本陣、旧人馬継所跡)

無料見学できるようなので立ち寄ることにします。

 

 

 

入口右手には、県立東濃実業高校(1993年夏甲子園出場)の生徒さんによる名鉄広見線6000系「爪楊枝アート」が展示されています。

 

 

 

寄りで撮影してみると、一本一本着色した爪楊枝を事前に配色指定したプラボードに差して点描画で制作されているようでした。

 

 

 

1階は図書館になっているので、2階郷土館を見学させていただきます。

 

 

 

階段上がり 郷土館の全貌。

 

 

槍の名手として知られた可児才蔵を偲んで復元された長槍。

(※ 丸いオーブ状は天井照明の映り込みで失礼します)

目寸で2.5mくらいあるのですが、重いだろうし一刺ししたら次の一手に入り辛そうで、これぞ諸刃の剣と言えるんじゃないでしょうか。

 

 

 

先ほど転載した廣重画『木曽海道六拾九次之内 御嶽』に描かれた情景が実寸大で復元されています。

ちなみにこの木賃宿御嶽宿内ではなく、この先江戸側の細久手宿に向かう十本木立場あたりに実際にあったのだそうです。

 

 

 

岐阜県には21市19町2村と42市町村があるのですが、42体の雛人形でしょうか?

 

 

 

縄文・弥生・古墳時代の出土品、現代に至る資料をパネルやレプリカを用いて展示されています。

 

 

 

大陸を渡り、畿央を巡り、古代東山道そして中山道を辿り御嵩町まで。

私が歴史街道に興味を持つきっかけとなる定義が纏められていて興味深く読ませていただきました。

 

 

 

巧妙に作られた江戸時代の御嶽宿ミニチュアジオラマは当時と現在を非常に対比イメージしやすい。

 

 

 

薬師祭礼まつりに使用されている甲冑や太鼓。

 

 

 

亜炭の一大産地であった御嵩町は、1869年(明治2年)に炭脈が発見されて以後日本の重要なエネルギーとして支えていましたが、1960年代のエネルギー革命により熱効率の悪い亜炭は嫌われ、石炭から石油や天然ガスへ転換され1968年(昭和43年)には全ての炭鉱が閉山し役目を終えました。

 

 

これだけの展示品を無料見学させていただけるなんて感謝しかありません。

500~700円の入場料を取ってもよさそう(;^_^A

冷房の効いた館内で知識も養え大満足できたので先を急ぐことにします。

 

 

 

中山道みたけ館の隣が、野呂本陣跡とのことですが駐車場となっていました。

 

 

左に、1877年(明治10年)建築、商家竹屋跡(旧野呂本陣分家)

 

 

 

御嶽宿江戸口より京側を見てみると、湾曲しているのは防御のためだったのでしょうか?

 

 

🕧 12:35

出発して 7時間5分経過

(雨宿り2時間55分含む)

サイコン距離 40.7km

 

 

49番目御嶽(御嵩)宿を後にして、11.8km(3里)先の48番目細久手宿に向かいます。

いよいよ本日の最大難所である琵琶峠・十三峠越え区間に入ります。

 

 

 

次回、

【2日目】-⑤に

続く。