大学3年長男坊の『保護者学外見学会』に参加してきました。
毎年参加しているので今年3回目、いよいよ来年大学4年生で最後となるのかと思うと早くも寂しい気持ちが・・・
過去2回のブログは、コチラ↓
2024年 東大寺/奈良の大仏
2025年 興福寺
私は学生時代、教職を志し「学校」と名の付く場所は、幼稚園だろうが小学校だろうがすべて好きな環境で、今では愚息3兄弟の三者懇談や授業参観、体育祭などの学校行事に時間の許す限り参加させていただいています。
長男坊はもう大学生だし、親として学校活動に参加することもなく家庭教育も終わりだと半ば残念な気持ちだったのですが、まだまだ学校教育に賛同できそうです(笑)
年次総会の後、食堂に移動して栄養バランスの良い仕出し弁当を美味しくいただきました♪
昼食の仕出し弁当をいただいたばかりですが、せっかくの機会なので学食もいただくことに。
さて、今回の保護者会のメインイベント『学外見学会』に奈良交通貸切バス5台に分れて乗車薬師寺最寄り駅である近鉄西ノ京駅まで送迎いただきました。
近鉄西ノ京駅、私が学生の頃は普通列車のみ停車する駅でしたが、1998年(平成10年)薬師寺および唐招提寺が世界遺産に登録されたことで観光アクセスを向上させるため、急行全列車が停車するようになり、最近では土日一部の特急電車も停車しているようです。
薬師寺境内図
六条通りに面する南門(正門)、入って右側に三重東塔、左側に五重西塔、正面に本堂である金堂(こんどう)、さらに奥に大講堂、僧侶が食事する食堂(じきどう)、北門の與楽門(よらくもん)を出れば最寄り駅近鉄西ノ京駅となります。
※ 右側が「北」方向

※ 画像は、薬師寺公式HPより引用。
条坊制当時の位置関係で見ると、平城京五条六条×西二坊あたりが薬師寺の位置で、朱雀門よりおおよそ3kmの距離で重要な配置であったことが窺えます。

※ 画像は、産経ニュースさんより引用。
● 薬師寺 概要 ●
日本最古の都・飛鳥京(現奈良県明日香村)があった飛鳥時代の中後期680年(天武天皇9年)40代天武天皇の皇后・鸕野讚良(うののさらら/のちの41代持統天皇)の病気平癒を祈願し畝傍山(うねびやま)東麓に本薬師寺(元薬師寺)が建立されました。その甲斐あって妻の病気は全快。しかし、竣工目前にして今度は天武天皇崩御・・・
長子・草壁皇子(くさかべのおうじ)も父天武天皇に続き若くして死去されたので、孫の42代文武天皇が成長されるまでの間、中継ぎとして歴代3人目となる女性天皇41代持統天皇が即位されます。
飛鳥時代末期、持統天皇生前退位され42代文武天皇(持統天皇の孫)が即位されるも若くして崩御され、またしても中継ぎとして歴代4人目となる女性天皇・43代元明天皇(文武天皇の母)が即位、そして710年(和銅3年)藤原京より平城京へ遷都され奈良時代が始まります。
718年(養老2年)元明天皇の勅命により本薬師寺を平城京内に移設され現在に至ります。
「なんと(710)見事な平城京」から「鳴くよ(794)ウグイス平安京」の語呂合わせで奈良時代期間を覚えておられる方は多いと思いますが、740年から745年の間、平城京を離れ「恭仁京」→「難波宮」→「紫香楽宮」と短期間に引っ越し(遷都)を繰り返し、再び平城京に戻られていることを知っているの方は少数なのではないでしょうか。小学校の教科書だと平城京から平安京に遷都と教わると思います。
45代聖武天皇は”引越が趣味?”とも言えるほどこの5年間を「彷徨五年(ほうこうごねん)」と呼ばれているのですが、私は非常に興味深い歴史だと思い、2021年(令和3年)に徹底的に現地調査しました。
その当時のブログを下記にリンク貼っておきますのでご興味がおありの方がいらっしゃいましたら一読いただけると幸いです。
<2021年春訪問>
740~744年 約3年3ヶ月の恭仁京(京都府木津川市)
<2021年冬訪問>
744~745年 わずか数ヶ月の難波宮(大阪市中央区)
<2021年春訪問>
745年 わずか4、5ヶ月の紫香楽宮(滋賀県甲賀市)
少々脱線してしまいましたが、話を戻し要約します。
40代天武天皇が妻の病気平癒を祈願し、本薬師寺(元薬師寺)を建立するも皮肉にも自身が亡くなり、さらに皇位継承する長男・草壁皇子(くさかべのおうじ)も父天武天皇に続き若くして死去。
40代天武天皇と41代持統天皇の孫・42代文武天皇も薄命崩御され、43代元明天皇(文武天皇の母)が即位し奈良時代が始まるまでの30年間天皇家に不幸が続いたといえます。
それが奇しくも病気平癒を祈願し建立した本薬師寺(元薬師寺)がまるで元凶となっているかのように・・・
45代聖武天皇の引っ越しが続いた「彷徨五年」も決して”引越が趣味”だったわけではなく、病気蔓延・天災・飢饉など世の中が不安定であったことを「引越して運気を上げる!」という要素が大きかったと言われています。
つまり、元凶とも言えないこともない本薬師寺(元薬師寺)も平城京遷都に伴い、現在地に移設することになったのも非常に納得できると考えられます。
薬師寺北門である與楽門(よらくもん)より拝観させていただきます。
正位置的には裏門となりますが、最寄りの近鉄西ノ京駅より徒歩1分程度です。
食堂(じきどう)
2017年(平成29年)再建工事が終わった食堂(じきどう)は、漢字の意味は同じで僧侶約300人が一堂に食事した食堂(しょくどう)を「食堂(じきどう)」と読みます。
大講堂
室町後期1528年(享禄元年)の「享禄・天文の乱」による戦火で焼失、それから約450年後当時127代管長であった高田好胤(たかだこういん/1924年-1998年 享年75歳)が盟友であった松下幸之助氏と「日本まほろばの会(現・薬師寺まほろば塾)」を立ち上げ全国で法話や講演活動で全力を尽くし復興金を工面されたことで、2003年(平成15年)再建。
薬師寺の中では最大の建造物となっています。
本尊は、法相宗の教えを説く弥勒如来、法苑林菩薩、大妙相菩薩の三尊像(いずれも国重文)を祀られていますが、撮影はNGとのこと。
しかし、薬師寺公式HPにてお写真掲載されているようなので引用させていただいてもいいのですかね?
※ 画像は、薬師寺公式HPより引用。
大講堂~西塔~金堂~東塔の順で180度撮影してみました。
《動画 23秒》
天平時代の梵鐘(国重文)を復元した2代目梵鐘、大晦日の風物詩であるNHK『ゆく年くる年』にも登場した除夜の鐘でも有名です。
初代は保蔵庫に保管されており非公開となっています。
金堂(こんどう)
室町後期1528年(享禄元年)の「享禄・天文の乱」による戦火で焼失、その後豊臣家が本格的な再建に取りかかるも豊臣家の滅亡によって頓挫してしまい、国宝である本尊の薬師三尊像は約70年間雨ざらしになっていたという。江戸5代徳川綱吉により仮金堂が復興され薬師三尊像を安置することが出来たが、約300年後の1976年(昭和51年)ようやく再建された。
御堂内撮影NGですが、国宝本尊の薬師如来、日光菩薩、月光(がっこう)菩薩のポスターは撮影OKだったのでご紹介させていただきます。
西塔
同じく「享禄・天文の乱」による戦火で焼失、10億円の工費をかけ1981年(昭和56年)再建された三重塔。特別公開以外は拝観不可となっています。
先述したように1528年(享禄元年)「享禄・天文の乱」による戦火で焼失した4つの建造物、
1976年(昭和51年)金堂1981年(昭和56年)西塔2003年(平成15年)大講堂2017年(平成29年)食堂(じきどう)
と復興されました。その際奈良時代当時平城京の青丹(あおによし)カラーであった朱色/緑色に統一して塗装されたのだそうです。
青丹(あおによし)カラーって現代のクリスマスカラーにそっくりですよね!
東塔
東院堂
平城京へ遷都、本薬師寺(元薬師寺)も移設した主導者である43代元明天皇崩御後、娘で次女の吉備内親王(きびないしんのう)は母の冥福を祈り奈良時代中期に建立されたのがこの東院堂。
鎌倉中期1285年(弘安8年)再建の際、土間に床板を張られました。【お堂内撮影NG】
薬師寺境内の見学をすべて終え、最後に向かったのは鎮守社・休ヶ丘八幡宮。
従来寺院への参拝は、ご鎮守である神社を最初に詣り、身を清めることが作法であるとのことですが、保護者会3班に分かれての見学だったので、私たちの班は最後に参拝させていただくことになりました。
そういえば、直前に修学旅行生に出会いましたが、作法通り鎮守社を先にお詣りされていました。
休ヶ丘八幡宮(やすみがおかはちまんぐう)
平安前期宇佐八幡宮(大分県宇佐市)から勧請した大安寺の行教和尚(ぎょうきょうわじょう)が八幡大神が休息されるようにという願いで「休ヶ丘」と名付けられたことが由来となっているようです。
豊臣秀頼(秀吉の三男)が1603年(慶長8年)により社殿が造られ、真ん中の本殿に八幡大神、右の脇殿に神功皇后(14代仲哀天皇の皇后)、左の脇殿に仲津姫命(なかつひめのみこと/15代応神天皇の皇后)を祀っています。
今回アテンドいただいた歴史学の教授に御礼を申し上げ現地解散、もう一度薬師寺に戻り境内を縦断して最寄り駅に向かいます。
とっても青天に恵まれ薬師寺を堪能させていただき改めて感謝いたします。
量産型特急30000系ビスタEX京都行き4両編成が通過。
2、3両中間に二階建て車両を連結した近鉄特急の代表選手です。
《動画 14秒》
自宅での写経
写経後、返信用封筒に同封して薬師寺に送付するのです。
我が家5人家族で、数行ずつ写経して完成したあかつきには、薬師寺「納経蔵」で永久保管していただけるのです。
家族であった証(あかし)を国宝の「納経蔵」に残したいと思われる方におススメです。
とっても素敵なお土産でしょう!
詳しくは、薬師寺公式HP「ご自宅でお写経」をご覧下さい。
病気平癒のため建立されたにも関わらず何度も不幸が立て続けに起こった当時の天皇家、そして不撓不屈の努力を重ね成し遂げた高田好胤師に心を打たれ心ばかりの供養として写経を奉納させていただきたいと思います。
自宅よりママチャリでちょっと行けば世界遺産がゴロゴロある地元奈良ですが、こういう企画がなければわざわざ足を運ばないのも地元民のつたないところで改めて猛省。
奈良の歴史文化やグルメ情報など、”奈良愛”に富んだ記事をまた発信していきたいと思いますのでお付き合いのほどよろしくお願いいたしますm(__)m

※ 画像は、近鉄電車さんのHPより引用。



























