昨日ニュースを見てたら母校の高校に60人定員の中学校が併設され中高一貫校となったと報じられました。旧制時代は一年から5年まで一貫校でした。私は一貫校の方がいいと思います。それは早熟型秀才型が早くこの6年を駆け上がって大学に入れるからです。昔は4年から一校に入る秀才がいました。私の考えは今秀才教育が戻らねばとかんがえます。秀才の足えお引っ張ってはならないと思います。そして天才にはどんどん金を出して伸びてもらわねばなりません。凡庸な人間には社会を守ってもらい優秀な人間には社会を発展してもらわねばなりません。人間にはそれぞれ役割があります。犯罪者も役割かも知れません。犯罪者がゼロになることはあり得ませんから。人間が一生なんとか困難を乗り切って平均寿命まで生きるのは大変なことです。それをクリアーして最晩年安心立命の生活ができるのは本当にご褒美です。

私が卒業した高校は県内で一番古くその中で一番知られているのは最後イエール大学の名誉教授になり昭和23年にアメリカで死んだ朝河寛一です。その日横須賀軍港に停泊していた米航空母艦ミズーリー号が半旗を掲げたと伝えられます。その位朝河は米国では尊敬されていたということです。彼は1978年に日本で「日本の禍機」を出版します。私はその本を買いましたが文語調で読み難く放棄しました。しかし今は時間があるので再アタックしてみます。早稲田大学の教授は彼を「最後の日本人」と言いました。明治期には凄い日本人が輩出しています。生きてる間少しこの時期の日本人を研究したいとおもいます。

私が卒業した高校は福島県一古く第一期卒業生は文学評論家のーです。彼の他で有名人はイエール大学の名誉教授になった比較法制史で世界に知られた朝河寛一です。彼は日本と米国が戦争してはならないと時の米大統領に天皇に送る親書の下書きをルーズベルトに送ったほど日米が戦争を起こさないよう努力をしました。しかしその甲斐なく日本は真珠湾攻撃を敢行しました。2028年アメリカで亡くなりました。その時横須賀軍港に居たアメリカ空母ミズーリは半旗を掲げました。そほどにアメリカでは尊敬されていました。私は彼が1878年に日本で出版した「日本の禍機」という本を読んでいます。20年前に買いましたが文語調で読みにくく放っておきました。今は時間があるので読み始めました。早稲田の教授が彼を「最後の日本人」と言いました。明治期には凄い人が沢山輩出しました。それは世界の競争のなかで危機意識がそう言った人物を輩出したことそして江戸の270年文化を成熟させたこともその基礎をつくったと言えます。