パリの30年で一番聴いた歌は加藤登紀子の学校唱歌を中心でそれはCDからカセットに録音したものでした。引き揚げの時日本に持ち帰りましたがカセットコーダーがこしょうしてヨドバシカメラに故障を依頼した時直って帰ってきたらそのカセットは帰ってきませんでした。損赤で一番好きだったのは「知床旅情」でした。あと何百回と聴いたのはアメリカの女性歌手が歌った「the last rose in summer]

で「庭の千草」でスコットランドだったかアイルランド民謡です。仕事中は殆どクラシックを始めシャンソン、フラメンコ、モダンジャズ、アルゼンチンタンゴ、インド伝統音楽、蒙古音楽、ファド、アボリジーニの丸木をくり抜いた音楽などあらゆるジャンルの音楽を聴きました。あとは仏教講和をカセットで聴きました。これはNHK]や日本短波放送でカセット6ケ組や8ケ組できれいな布張りの箱に入っていて結構高く当時2,3万円してましたが仕事をしながら何回も聴けるのでまた友人にも貸せるので2,3万円は決して高くはありません。その他帰国の度に本を買ってきました。これは夜寝床の中に仕事が終わるのが朝の3時でそれから床に入って30分長い時で3時間呼んで寝ます。体は弱いので起きるのは午後維持頃です。仕事は3時ごろ始めます。この真夜中の習慣を昼型にしようとするたびに体をこわしましたがついに80日の腎臓移植が成功して退院して昼型にすんなり移行できました。以来遅くとも11時には消灯します。年に2回くらい零時半くらいまでテレビを見ることはあります。屋根裏には大抵9時ごろ上がりますが大抵はブログを書きます、そして赤い豆電磁をつけて音楽を聴きながら眠ります。玄関の間のベッド選りは安眠できます。屋根裏は8畳ありますが天井が一番高いところで2メートル低いところで120cmでエアコンはすぐ効きますので電気代は喰いません。屋根裏にはパソコン、プリンター、良いミニコンポーネント、固定電話、水彩パステルなど描画材料、130冊のパリ時代のスケッチブックがあります。これは屋根裏16畳の半分であと半分の2/3はがらがら空いているので将来油絵のアトリエなります。そこに300Lの温水器もあり便利です。私はネズミ年生まれで狭く座って手が届くように配置しています。震災以来10年もここで音楽も仕事もあまり泊りもしませんで結局メドチントは辞めました。震災は私にとっても人生上大きま影響を与えられました。今漸く屋根裏が日々の中心になってきつつありますが急に眼がかすむようになり心配しています。30年近く夜中の3時まで仕事をし映画も平均月3本を見それも夜11時頃家を出て帰るのは2時半、旅行者に週刊紙などもらうと朝の7時ごろまで床で読みました。その頃は国際電話代はすごく高くNHKの國際包装も無く、信念に日本大使館が在留邦人のために大使館で「紅白歌合戦」を録画して見せていました。私は一回もいったことありません。だから日本のことは旅行者からの新聞週刊紙は貴重な情報源でした。今は電話は安くまたメールは只で写真も送れる1970年代は弥生時代のようでした。私の女性の同業者など年1回母親に欠けると涙が流れ声が出なかったといいました。彼女は今故郷では超有名なアーチストです。パリで頑張れるのは芸大などより高校を出た人た方面違いで中途退学をした人の方が頑張っている印象です。かく言う私も大学には全くいっていません。5年間遊び惚けました。大学を何とか卒業して絵画を始めたころは母校の3年生より下手でした。しかしプロ意識を持ち始め特に結婚してからは頑張らざるを得ませんでした。そんな中人生の友が吐血の血が呼吸腔に入って34歳で死にました。そんなこともバネになり3ケ月でフランス」行きを結構しました。家内など何が何だか分からないままついてきました。精神がおかしくなっても当然です。結局アーチストの家庭は配偶者が犠牲にならなくてはならないようになっています。だかって私が楽をしたかと言ったらとんでもありません。アーチストの人生は綱渡りでもあります。人生の半分は半年先食えるか分かりません。それに病気にも罹ります。腎移植直前の2年間は年8ケ月しか仕事が体がだるく仕事ができずベッドで本を読んだりテレビを見たりしてました。その時家内相当は心細かったと思います。でも1回も実家にSOSを打ったことはありません。フランス人アメリカ人の友人など手を差し伸べてくれました。今も生きてる友人とは更新があります。私がもし語学が嫌いだったら今こうしてかつて世話になった友人と交信を続けてはいなかったでしょう。今では辞書引き引き1時間半もかかって手紙やメールを送っています。語学が好きばかりでなく人間に関わることが好きなのです。私のブロークンフレンチでも真心こめて必死に書くと相手が感動するようです。それがまた書く喜びを増大します。

話はいつものように加藤登紀子からそれてしまいました。加藤登紀子の歌は私には淡谷のり子、美輪明宏、森進一のように上手いとは思いませんが彼女の生き方が素晴らしくぶれないからでしょう。彼女は80歳背も低いですがこの頃メイキャップと衣装がピエロ的で非常に面白いです。私はピエロ(道化)を描くのが好きでライフワークの能面シリーずが40点以上あるのに対して自然と無理しないでできたピエロシリーズが30点以上あります。さすが能面シリーズのように超大作はありません。でも私のこのモチーフへの好みは生得のようです。ピエロ=人間とみているようです。人間は義務感のようなものから解放された時面白いものができるようです。これから何ができるか出るか頭を解放仕方によるでしょう。

この1週間午前中計ると家で訪問看護師、リハビリ士が計っても病院で自分で計っても血圧が200ミリを超えました。その15分後には75ぐらいまで下がりますが1週間200というのはないことです。昨日は月1回人工膀胱フォレの交換と循環器科の受信日でした。先生も血圧が高いことを心配し降圧剤50ミリを200に上げ5日後に再来診するようにいわれました。血圧を下げないと脳梗塞になる可能性があるとも言われました。今年後半から腎盂炎で38.6℃の熱が出たり、肺に大量の水が3回以上たまったり、貧血で500ccの血液を2回合計1L輸血したり理由は老化と言われました。精神的には元気なのですが家の中の移動がよたよたで3階屋根裏に上がると降りるのが大変で2日に1回は屋根裏で着たまま寝てしまいます。コタツにきどころ寝は実に快適です。家内はこのまま屋根裏で死んでしまうのを心配しています。というのは3階に上がるのは2階と3階の間に蓋がしてあるので2階から棒で突き上げないとあかないのです。家内はそういった頓智は回らないので下で騒ぐだけです。死んだあと騒いでも仕方が無いので救急車を呼べといってあります。人間の死は穏やかにやってくれば家族を呼ぶこともできますが大抵は病院で3,4本管をつけられて医師と看護師に看取られて逝きます。現代の智の巨人と言われる養老孟司は解剖学の大家でもありますが彼は生前「死」については考えないと言明しています。それは意識が無くなったあとは誰にも何もわからなくなる。意識が無くなることを「死」とすれば生前死についての考察は無意味であるから一切死については考えないといっています。彼は私と殆ど同年代です。死について

私はと言いますと誰も冥界から戻った人はいないので分かりませんがあの世といったものが在った方が楽しいと思います。死ねば家族や青春時代の恋人に再会できれば死ぬことも楽しみです。そうすると殺した相手とも再会しますのでそういった人間には無い方が良いでしょう。永遠に科学で死後は証明して欲しくありません。「死」は永遠の謎で結構です。私に「生」はあと何千時間残されているのか分かりませんが1,2年といったものでしょう。人間息を引き取るまでが人生すなわち「生」です。ここまではしっかりしなければなりません。そして後はアドレナリンのような快感ホルモンにまかせます。

先日寅さんの「男はつらいよ」を見たら演歌歌手の都はるみが主演でした。それで今から40数年前パリに移住したころを思い出しました。家内の2歳下の弟がパリから帰って2年たったときでした。彼は文無しで帰国しました。借金と航空券代と借金をコーモリ傘メーカーの社長に金を送ってもらって帰りました。帰ると彼のコーモリの生地のデザインやスカーフのデザインを手掛け物凄い金を稼ぎだしました。すぐ日本橋にデザインと事務所と画廊を別々に出しました。彼がパリで知り合った同じ歳の関西出身のアーチストと友人になりました。彼が日本橋にデザインの事務所と画廊をだしたごろその友人は東京で個展をやるため帰国東京では弟の日本橋の事務所のソファーに泊まったそうで版画も何点か買ったそうです。そんな関係で私たちに彼を紹介してくれました。パリ到着10日後くらいに彼を訪ねたら彼の部屋に女の衣装が掛けてありました。彼は一言二言弁明らしき言葉を吐きましたが私には何かわかりませんでした。その後半年たって有名なヘーター先生の銅版画のアトリエに入って彼が実家の両親の家に妻と子供を置いて単身国際作家になるべく渡仏し奥さんも看護師をやって多少援助と留守の両親の世話もし手編みのセーターなども送っていました。その彼は後で知ったのですがアーチストのアメリカ女性と同棲していたのです。その後知り合うことになる元特攻隊の当時50代の人間的に尊敬できるアーチストは彼の奥さんがアメリカ人との同棲を知らないで健気に将来の夫の成功を夢見て耐えているのをを心配していました。彼の口癖は「日本は昭和20年8月15日に負けそして今は精神、魂が負けた、二度負けた」と何回か彼の口から聞きました。私たちが日本に引き揚げた3年たったごろ彼の大きな作品展が大英博物館で行われ画商もついたとのことです。彼は人格的に素晴らしい人でした。同棲していたアーチストのことですが帰国した知り合いのアーチストが彼の奥さんに同棲を話したそうです。そのちょっと前に彼らの子供は病気か何かで亡くなっていたそうです。その知らせた人は独断なのかあるいは仲間と話し合って決めたのかも知れません。そのまま一生奥さんは一人で留守を守って老いたかも知れません。彼はその後そのアメリカ女性と別れ日本女性と暮らしまたアメリカ女性とよりを戻したと耳にしました。彼は努力の甲斐あってフランスの美術館が彼の作品1点1,000万円で買い上げたそうです。アーチストとしては成功しました。私の価値観からみれば同棲ということはやってはならないことです。恋人までは何とか容認できますが。同棲は生活がかかり同じ人生を歩むことです。私は奥さんに同棲を知らせた人は良いことをしてくれたと思います。夫である彼も離婚してほっとしたでしょう。日本では単身赴任して5年くらい別居しても問題ない場合も多いですがフランスなどでは別居は90パーセントは駄目になります。ルーヴル美術館にアメリカ人の建築家のアイデイアで総ガラス張りのピラミッドが採用されそれを実現させるのに何十人か世界から建築家を募集して5年ぐらいだったかかかったそうです。その仕事はバカンスも返上しとにかく過酷だったそうです。建築家のほとんどが離婚したそうです。例外は日本人建築家で奥さんがフランス女性、奥さんはデザイナーで二人には子供が無かったそうで夫婦仲は良くそしてお互いを理解していたのでしょう。フランス映画などではしょっ中人妻が恋人を持っていたり社長とできていたりまあ大人の社会です。今は亡き14年間大統領でEU設立の大建役者だったミテランも恋人というより第二の妻と言った方がいいかも知れません。二人には娘が一人いて大統領官邸に娘が来ていたそうです。記者が娘さんですかとうと「ウイ」と答えていたそうです。そして彼が亡くなりノートルダム.ド.パリで国葬が執り行われたとき本妻の息子二人に挟まれて娘が葬送に参列しました。さすが第二夫人は葬送に加わらなかったのかも知れません。フランスはやはり大人の国だと思います。良い悪いの問題でなく男女関係や性の問題は絶対無くならないのは事実です。どう社会で認め暗穴に追い込まないように保つかそのバランスだと思います。前述のアーチストの奥さんがもし恋人を持っていたら夫が同棲していても異国で孤独で頑張っているんだからいいだろうしかし絶対離婚はしない行く行く彼の作品が高く売れるようになったら楽させてもらうというように考えることもできたでしょう。私は奥さんが良い人と出会って今は幸せに暮らしていることを望んでいます。彼は85、6歳ぐらいですから元奥さんは80は越しているでしょう。結婚もセックスも案外経験が必要かも知れません。そして確かに合うと合わない性格があります。また経験を通して学べる人と学べない人もいます。この短く速い人生では一を経験して十を知るくらいでないと収穫は少ないかも知れません。

何故都はるみが切っかけで50年前の彼のこと思いだしたか、それは彼が仕事をやりながら都はるみを聴きながら単調な黒の画面を鉛筆で大判の紙を真っ黒に染める仕事をしているのを皆知っていました。