最近通院と雑用が重なってブログがかけませんでした。雑用の主たるものはこの24日に県立美術館の主任学芸員が作品のセレクションに初めて訪問してくれます。5,6年前那須塩原でやった個展のとき会場に来てくれ1時間ばかり会場で話その時名刺を交換して以来お互い交信は一度もありませんでしたが覚えていてくれ開館40周年の展示に選んでくれました。あった時は平の学芸員でしたが今は主任学芸員になってびっくりしました。私は日本に引き上げて24年になります。その間殆ど「晴れ」のチャンスは巡ってきませんでした。もうそろそろあの世に転居しようという時になって喜ばしい招待にあずかろうとは思ってもみませんでした。何もない24年間でした。それでも私は平気でした。しかし今回は素直に嬉しいです。

実は今回のブログのメインテーマは漫画家のやなせたかしについてです。彼は35歳までデパートで企画ヤイラストなどの仕事をしていましたが35歳でデパートノサラリーマンを辞め漫画家としてフリーになりましたがなかなか漫画家としてヒットが出ず当時は手塚治虫のような筋のある作品がもてはやされていてやなせは一口漫画、4こま漫画などしか仕事が無く彼は人と付き合うのが上手く劇のバックや立体デザインなど頼まれると断れずやるので「困ったときのお助けさん」と言われ重宝がられたそうです。同業者がみな何らかのヒット作をものしている中で彼だけが50になってもありませんでした。そんな中幼稚園の機関紙から連載漫画の注文を受けます。彼は砂漠の中で食物も食べない瀕死の旅人に顔ガアンパンをした人間を飛ばして顔を食べさせます。大人たちからは残酷などと評され評判はよくありませんでしたが子供たちからは大人気でそれを発展させ空前の世界的ヒットになりました。これにはやなせの戦争体験が大いにあずかっています。同僚が戦闘より餓死で多く亡くなった現実を目の前で日々見ていました。人間に一番厳しいのは飢えだということを身をもって体験したのです。アンパンの顔を食べさせるのは残酷どころではなく自己犠牲の精神、キリストの精神と通ずるものさえあります。子供はそのことを理解できるのです。12年前東日本大震災で子供たちも恐怖で慄いていたときアンパンマンを見せたところ笑ったそうです。困難に出会ったときいつも助けてくれることを知っているのです。子供にとってアンパンマンは真にヒーローです。しかし世界一弱いヒーローです。しかし何千回何万回と生まれ変わって悪に挑みます。アンパンマンに敵対するバイキンマンなど悪人も100パーセント悪ではなく人間的な面も少し持っています。やなせの世界観人間観には経験から得たやさしさがあります。彼は同業者に何十年も遅れてデビューしましたが堅固な人間観に裏付けされた精神で仕事をゆるぎない世界を構築しています。彼はいろいろ試してみて自分らしい世界を見つけるまで行くことが大切といっています。それから彼は94歳まで活躍します。大器晩成の見本のようです。私は80ぐらいまで世の中を片目で見ていたきらいがあります。「寅さん」や美食の番組をみなかったりしてましたが今は観点を変えて見てます。美食を食べられない私みたいな人間でも美食を生むのは板前ばかりでなくその素材を生む農家や割烹に届けるまでの中間の業者の加工技術などにも興味を持つようになりました。何事も観察すると社会のつながりのなかに人間の秘密があります。世の中に不必要なものはないというのが分かってきます。松下幸之助は世の中には泥棒も必要だいなければ警官が」失職すると言いました。自分の今日を振り返っても今日はヘルパーの来る日で全部の石油ストーブの石油を満タンにしてもらい買い出しも手伝ってもらいました。人の助けを借りないで一日も過ごせない境涯になりました。しかしお蔭で安らかに暮らせます。これも国民が一人ひとり日々働いているから老人も安心して生きられるのです。そんなことをしみじみ最近感じられるようになりました。年取って平凡になりましたがそこには社会全般を見通すという基盤があります。これからも広い人間の地平をもっと理解できるでしょう。それが生きる嬉しさです。

テレビ朝日開局45周年記念企画の「忠臣蔵」が12月11日(月)から15日(金)まで5日間かと思っていたら昨日14日で終わりました。考えてみたら14日が討ち入りですから終わって当然、しかし毎日3時間X4で12時間完全に見ました。久しぶりで面白かったです。松平健もなかなか好演でした。この頃では時代物の良い役者は少ないです。昔は大河内伝次郎、藤田進、嵐寛治郎、月形龍之介、坂東妻三郎、片岡千恵蔵などいました。今は台詞も現代風になってきました。それでも私は時代物が好きです。それは幕の頃のころの日本人が好きだからです。命を何とも思わず新しい日本建設のために奔走する姿が恰好よかったからです。敗戦以来日本人は命が惜しく金が一番大事と思うようになりました。世界のジャーナリストをみても命を失う外国人がずっと多いです。ジャーナリズムの尊厳のために命を捧げるのです。クリスマスと新年を前にウクライナやパレスチナではたいへんな生活を市民は強いられています。3年コロナ禍が一段落したかと思ったらこんなことが勃発しました。地球の温暖化もありこのように問題を人類が抱えたのは開闢以来初めてではないでしょうか。原爆を実現するマンハッタン計画の総責任者だったオッペンハイマーについての番組がありましたが彼は最後に科学が悪になり得るので世界に開示して世界でコントロールしていかねばならないと主張しました。科学は未知のエネルギーを開発していきます。パンドラの箱を開けてしまった人類に未来はあるのでしょうか。今やスマホで流れる情報は未成年者の心を破壊しています。何よりも金を優先する社会は人間をスポイルするだろう。私の持論は科学の発達は良いものと悪いもの等量生むだろう。科学は善にも悪にもなるだろうが金を効率よく生むことに使ったらそれは悪となるだろう。今やもうニュースが真実か嘘か判別できない時代になっています。人が真実か真実でないか判別できないということは正義不正義、公正不公正などの区別もできなくなるということです。それは人間を限りなく不安にします。社会が成り立たなくなるでしょう。今回の内閣改造も阿部派追放の魔女狩りとも言えます。こんな政治感覚では閣僚持ち回りを持続することになるでしょう。私は地方が活性化しなければ日本は豊かになれず日本人が幸せになれないと思います。日本人は大自然の中にいてこそ自然を活用できる才能に恵まれているとおもいます。20世紀は金属と石油の時代でしたがこれからは自然物で生きる文明の時代とおもいます。ここ300年で当たり前のことが当たり前でなくなったと思います。それは金という価値が金科玉条になって誰も侵すことができなくなったからです。金は単なる便利な手段にすぎません。それをきっちり認識すべきです。ただそれだけです。

一昨日から夕方6時から9時まで3時間今夜もあり全部で5回計15時間になるのではと民間テレビ開局45周年特別企画の「忠臣蔵」を第1,2部を見ました。 大石内蔵助には松平健が演じます。 彼は勝新太郎の弟子で殺陣がうまいです。 私の記憶で大石内蔵助を演じた俳優は長谷川一夫、市川右太衛門、片岡千恵蔵、萬屋錦之助など恐らく20人以上ではないかと思います。 昔は毎年新作を作っていました。 そしてそれが話題になっていました。 しかしここ何十年かは映画離れもあり毎年は作らなくなった。 それと日本人が忠臣蔵の吉良上野介が小さな藩主をいじめるような不正を正す話が好きで当時も全国で話題になりました。 いくら天上での刃傷が固くご法度でも藩主が庭先で詰め腹切らされるというのは正義ではありません。 とにかく筆頭家老大石内蔵助は47人の元藩士を最後まで統率し吉良の首をあげました。 日本の芸能史でこれほど評判をとった演目はないでしょう。 しかし時代の推移は時間とともに変化していきます。 今の若者にはどう映るか聞きたいものです。 今から6,70年前ごろまでは志賀直哉の「暗夜行路」は近代文学最高傑作といわれました。 あらすじは主人公は父親がヨーロッパに留学中妻と義父の間に生まれた子で小さい時から実の親から離されて育てられます。 彼は長じて小説家だったか記者になります。 ある時取材で朝鮮にいきます。 その留守に妻の幼馴染の従兄が訪ねます。 彼は旅のせいか肩が凝ると訴えます。 この二人は小さい時から兄妹のように育ちます。 妻がいとこの肩を揉んでいるうちに二人の肉体は興奮し関係を結びます。 夫が帰っても妻の動向が普通でなく問いただすとその事実を告白します。 彼は衝撃を受け旅にでます。 いろんなところを旅し大山山の麓のひなびた温泉宿にたどり着きます。 そこの女将はいろんな男と情交を交わしています。 亭主はいますがそれを黙認します。 結婚するとき妻が彼女が一人の男では満足できない女であることを告白します。 彼女にほれ込んでいる夫はそれでもよいといって結婚したことを彼は知ります。 彼はこの物語を聞き女の操の問題に大きな世界を知ることになり妻のいとことの性交渉が重大でなくなってくるのを意識してより自由で大きな世界を感じて終わります。 実際志賀直哉は妻がいとこと過ちをおかしています。 だから説得力があります。 しかし現代の若者がこれを読んで感動するか私は分かりません。 ここ何十年「暗夜行路」が話題に上ったことの記憶がありません。 世の中は結婚者の浮気のゴシップで週刊誌は持ち切りです。 今既婚者の浮気はどれだけ相手に深い傷を与えるのか知りたいです。 動物界では新しいオスはメスの生んだ別のオスの子を殺します。 殺さないとメスが発情しないからでもあります。 人間はこういうことはありませんが既婚者の浮気はもっと一般化するのか、世界の未来がもっともっと行き詰まるとき性はもっと解放される可能性はあると感じます。 エスキモーの社会では旅人に妻や娘を提供したと聞きます。 また昔山奥の村に年に一度商人が大切な商品をもって訪ねます。 その商人を泊める主は娘を提供したといわれます。 昔の方がおおらかだったとも言えます。 この性の問題は永遠の問題とも言えます。 私の年齢でも考えることは無益ではありません。 人生の問題はどれ一つとっても簡単に解決できるものではありません。 何事も忍耐をもってことに当たるべきです。 と同時にこれらを軽々と飛んでいくことも必要です。 人生の達人とはどんなだろう。 一休禅師は盲目の尼とのセックスをせきららに書いてあるそうです。