カルロス・ゴーンがレバノンへ逃亡したことで人質司法という言葉が取り上げられていましたが、活躍できる時間に制約のあるスポーツ選手にとって牛歩的な民事訴訟に判断を委ねるというのは金銭面も含めてハードルが高く場合により自らの選手生命を担保にしなければならないまさしく人質のようなものであると考えられる。そうしたことから選手を援護しようとするスポーツ基本法が存在していて、そこの15条に

 

(スポーツに関する紛争の迅速かつ適正な解決)
第十五条 国は、スポーツに関する紛争の仲裁又は調停の中立性及び公正性が確保され、スポーツを行う者の権利利益の保護が図られるよう、スポーツに関する紛争の仲裁又は調停を行う機関への支援、仲裁人等の資質の向上、紛争解決手続についてのスポーツ団体の理解の増進その他のスポーツに関する紛争の迅速かつ適正な解決に資するために必要な施策を講ずるものとする。

 

とある、ポイントは言うまでもなく「迅速かつ適正」に核心がある。

 

そこで公益財団法人日本スポーツ仲裁機構というところが存在しているのですが、あくまで仲裁であってスポーツ仲裁裁判所(CAS)も同じなのですが仲裁には当事者同士の合意が必要という関門があるようです。そこで自動受諾条項を設けていて日本の場合は2019年の時点で56,8%のアマチュア団体などが採択しているようです。(日本ボクシング連盟の名前はない)これを採用していると最初から合意しているということになるので円滑に仲裁が行われるということでしょう。プロ選手の場合は「特定仲裁合意に基づくスポーツ仲裁規則」に適用されるようですが、ここも合意が基本ですので片方が合意していなくても可能な裁判のようにはいかないようです。

 

民事訴訟の平均日数は約一年というこを聞いたことがありますが、地裁、高裁、最高裁、差戻の高裁と医療とか専門知識が必要なものは最終判決が10年ぐらいかかるものもある公事三年という言葉の通り最後まで続ければ長い時間が必要になる。先例主義ならAIで数分で・・・おっと失言、そういうことから日本のボクシングの場合は西島洋介のように海外に出るか(アメリカのコミッションに一蹴されたが、日本のコミッションはそこにもそいつを使うなと要請している。)名のある選手ならパターナリズム的にホワイトナイト(業界の実力者)が現れ仲裁してもらい移籍することも可能だが該当しない人は牛歩的な民事訴訟を考えると泣き寝入りするかボクシングを辞めるかの選択しなければならないと司法はスポーツの悶着に対しては実用性に欠けるものであったというほかない。最近は芸能のことで公正取引委員会が動き出したからか時代にそぐわないと考えたからなのかは知りませんが移籍も手軽になったようですが、慣例としての制度が胸を張れるものなら時代にそぐわなかろうか公正取引委員会が動こうが改変なんてせずに堂々としていたら宜しいのにと、どちらに後ろめたいことがあるのかは判然としているように感じます。こういう話は大体がジムと選手との間の悶着だったのですが、こうした悶着のジム側の後ろ盾になっていたのがコミッションの「認められない」で、この件は、そのコミッションとの訴訟ということがこれまでと少し違うということになります。この件の訴訟内容は「不当」な処分によって「認められない」となり不利益を被ったと、そこで地裁はコミッション側が4000万円を支払うことで和解を勧めたということでしたが和解条件の一つコミッション職員の辞任要求をコミッション側が拒絶したことで不成立となったようです。窮鼠猫を噛むのように九死に追い詰められると反撃に出る人も現れるので伝家の宝刀というのは使わないことに意味がある。訴訟大国といわれるアメリカでコミッションが私的感情を用いて追放し経済的自由権を奪ったらどうなるだろう。もうアリを追放した時とは時代が違う。つまり被告側の追放は伝家の宝刀なのです。それを使ってしまったばかりに威厳が吹っ飛んでしまったのがイギリスのコミッションでチソラの件で認定団体を加えた鍔迫り合いで馬脚をあらわすことになった。

 

 

基本の確認

 

時系列として見ていくと、試合後、IBFタイトルはソリスの体重超過によって賭けられていないことを発表

ルールミーティングの内容と食い違っていて、其れにメディアが食いついて案件となった。

試合を総轄するIBFはルールミーティングの内容は誤謬だと認め訂正と謝罪を表明するもメディアは訂正と謝罪が問題だとした。

 

そこに海外記者、原告陣営の中の人に知っていたということが浮上、問題は「体重超過によって賭けられていない」「IBFはルールミーティングの内容は誤謬だと認め訂正と謝罪を表明するも訂正と謝罪が問題」から知っていたのに言わなかったということに争点が移動。

 

IBFは最終決定として 「JBCには、混乱を招いたとして17日に謝罪文を送るも
「立会人にルールを変更する権限はない」とした。

 

結果としてジムのライセンスは更新させないということで活動停止の状態

新ジムの設立も移籍も認可をもらえなかった。

 

 

 

個人的考察

 

IBFのルールブックに載っており、試合を統轄するIBFの最終決定としても「立会人にルールを変更する権限はない」というように立会人の誤謬によって招いたものであり、それは立会人も謝罪、訂正していて、そもそもIBFと亀田陣営に悶着などなくタイトルについての問題は存在していない。知っていたのに周知しなかったのは問題だについては、別の所にも書いているように

 

1991年ジェムストニー×フランチェスコデラクイラのIBFミドル級タイトルマッチで、この時はチャンピオンのトニーが¼ lbs超過だったが挑戦者が条件を飲みこんだことで世界タイトルマッチとして執り行われた・・・普通なら挑戦者が条件を飲もうが体重超過の時点でタイトルはく奪なのだが1990年代といえば、その後、収賄で連保政府の管理下に置かれたロバートリー体制で、この時にも立会人がルールを変更。それを考えるといかに「立会人にルールを変更する権限はない」の采配がまともだということが理解できる。

 

上記の決定は即時にルールを超越した問題があるものだと#1認識でき、私も当初は錯乱して誤謬し、誤謬に気が付いた時に恥ずかしいと感じたようにルールを統轄している組織が一般的なルールを知らない方が問題で恥ずかしいことなのである。そして周知することも試合とルールを統轄しているIBFの責任であるからIBFは混乱を招いたとして謝罪文を送っている。それだけならここまで後を引くことはなかったと考えられるが、そのあとに復帰の道をことごとく潰した。

 

 

 

#1

そのように認識しているから山中×ネリの件についても私は当初から不正があるなら山中にタイトルを戻し名誉を回復する必要が認定団体にあるとし、第二戦も(体重超過を犯したソリスには挑戦の資格がなくタイトルはかけられない)ネリは計量失格だから山中にだけタイトルの権利があると主張している。一方、訂正に異議のある方は男同士の勝負の結果が出た以上と精神訓話を掲げ、その精神訓話を受けての再戦で体重超過があり意見の調整で試合を決行し惨敗したことについていつまでも恨み節を唱えているという正当性も一貫性もない人たちの口車に乗せられた権威

 

 

スポーツ選手に限らない話ですが千葉すず、我那覇和樹のケースを見ると、千葉さんの場合はオリンピック出場の選考に納得がいかないこと、我那覇 さんはドーピングの疑いをかけられて処分を科せられたことでスポーツ仲裁裁判所(CAS)に仲裁を申し出ているが本拠地がスイスにあり仲裁の進行にはフランス語か英語が必要ということで通訳など(我那覇 3400万 千葉すず3000万)高額な経費が必要とされる。しかし、ある種の執念が入ると人は損得勘定抜きに行動してくることがうかがえる。

驚くべき冤罪を浮き彫りにした、 ノンフィクションの真髄。 ~我那覇“ドーピング事件”の真相

ナンバーに掲載されていた我那覇 さんの件の記事を読んでみると低水準のメディアが出鱈目で火に油を注ぎ、それに触発された権威側が暴走してと構造がよく似ていている。

 

私は亀田さんの執念は「復帰の道をことごとく潰した」ことだと見ていて、そもそも問題は存在していなかったのにメディアが騒いだからと選手の経済的自由権まで脅かしたら法治国家である以上こうなるのは不思議ではないし経緯を外野から見ていると、どちらに問題があるのかは一目瞭然なのだけれども、間違ってはいけないのは、この民事訴訟はどちらが悪いのかを争っているのではなく、勿論、その審判には不当なのかは審議される重要なものだがあくまで争点は損害を受けたのかにあるということは留意しておきたい。