これは夢でござる 陰謀論の話の続きを書こうとしたら、「差別に大きいも小さいもない」という意見をみたので、ちょうど今それを書いていた途中なので夢でござるから一部抜き出します。
「私はこれまでの人生の中で差別をしない人をあまり(意思疎通のできない人はわからないから)見たことはないが、同時に差別主義者も見たことがない。簡単に差別主義者認定をする人がいるけれども、主義者というなら分別せずに差別を貫徹していなければならないので、常時、大脳辺縁系 大脳新皮質 偏桃体(核)にシナプスが過剰に反応しているわけですからそれはそういう病気でないと差別主義者になるのは不可能なのではないのか、一方で差別をしないは大脳辺縁系 大脳新皮質 偏桃体(核)が究極には機能していないという事だから、それはそれで大変な病気だろうと、そのうえで差別主義者を考えてみると、普通に生活していると差別主義者なんていう文言は頻繁に出てくるものではなく意識さえしていないことが多い、しかし簡単に口にする人がいるということは大脳辺縁系による古典条件づけ(パブロフの犬 アルバート坊や)で頻繁にそうした意識になるということは頭の引き出しの一番手前(前頭前野)にあるということ、また相手に対する差別主義者という文言と、その差別主義者の発する文言は上記に挙げたように同じ脳の器官から出ているので、より差別に関する意識が強いパブロフの犬の人が差別主義者という存在に近いということになる。脳の同じ器官から出ているのに相手の文言は差別で自分のは違うと言い張れるのは奴隷道徳の恩恵ですが、弱者やマイノリティという属性で善悪を決めて奴隷道徳を有効にさせるというのは上記にも書いてあるように弱者が善という前提がおかしいので間違いです。例えば徳田虎雄さんはALS(筋萎縮性側索硬化症)の難病を患わっていたけど弱者なのか、指定暴力団の在日は弱者なのか?性犯罪をしたLGBTQの人は弱者なのか?逸材と言われる人たちはマイノリティに属しているけど弱者なのか?そして皆、善なのか?こんな虚言はドイツの反ユダヤ主義(善に目をつぶり悪を見る)とドイツの啓蒙思想によるユダヤ人解放(悪に目をつぶり善を見る)は一緒だとアーレントにとっくの昔に喝破されている。しかし奴隷道徳を使用する側が差別をしてはいけない対象か差別をしてもよい対象かまさに差別的に分別する解釈権を持ち、それがまかり通っていて、食べているものは違うけれども体内の同じ循環で排出されているうんこが、奴隷道徳であれば穢れは消え神聖なうんこになると、いい年の大人が真顔で信じている。この解釈権を持つは寛容のパラドックスの話になるけどマクルーゼの開放的寛容こそが真の寛容は、まさしく奴隷道徳の弱者は善でありそれに沿っている側(左派)は正しいに基づいた考え方ですが、相手側(右派)が弱者側に沿っていたらどうするのということを前提にしていない不寛容を寛容すると最終的には不寛容になるというパラドックス、近代は奴隷道徳が圧倒的強者ということに留意が必要。善意を持つというのは大切なことだけど、しかしそれも突き詰めれば善行をするとドーパミンが分泌されて幸福感を得る、その幸福感の報酬が善という判断を生み出している一方ドーパミンが過剰すぎると統合失調症や依存症を引き起こすことがあると、脳内で起こっている現象に過ぎないわけですが、脊髄反射の人もいるでしょうけど、理性は情念の奴隷というように、理性とは物事の道理を考える能力だとすると自分に不利益を加えてくる相手に様々な感情を持つのは物事の道理を考えている結果であって理性、その理性こそが本来は重要なのであって、奴隷道徳の教条で差別と一蹴するのは愚かなこと、それが理解しやすいのが、この理性と仮想敵国からの防衛を考え自衛隊と武器を所有するのは同じ理性から出ているものなので前の理性が差別なら仮想敵国を念頭に武装するのも差別なのですが、差別だから自衛隊を解散させてとなるでしょうか?その点で奴隷道徳の教条に沿って差別は許されないと攻撃している人が自衛隊、兵器いらないと言っていたらその人は筋を通しているが、私は物事のより現実な道理を考えている理性を信じる。」
入管も安全保障にかかわる重要な役割を占める、それを理解できないで差別と言われるのも嫌なら政治家を目指さない、それも理性
まとめると、差別は許されないは、それはそうした病気でないと無理なので自分をどう許しているのか?が一つ目の矛盾ですが、解釈権を持っているので、差別を指摘する方は差別ではないと平然と主張できるのは、奴隷道徳が圧倒的権力の強者であるからですと、これも弱者は善で強者は悪の奴隷道徳と多重に矛盾しているのですが、奴隷道徳に基づいた開放的寛容という圧倒的強者なので解釈権を振りかざせている。