価値感のアップグレード

 

啓蒙しようとする人たちは価値観のアップグレートが必要としている。しかし、どの価値観をアップグレートするのかは正直なところはっきりしたものはつかめていないかもしれない、というのも政治が関与しているので十把一絡げにすると女性地位向上→環境(温暖化)→ブラック・ライブズ・マター→LGBTQ→移民→パレスチナと運動が展開するものだから、一致しているといえるのは当事者たちの地位向上に願望成就と#1支援者(代理人)たちが考える弱者に寄り添い=社会正義よって天に富を積んでいきたいというカトリック信仰的なものなのかもしれないが、これはオバマのチェンジも同様に、一つ一つ違う課題(問題)があり、誰かの利益(正義)を優先すると他の誰かの利益(正義)は無視しなければならないといった相反する価値観も存在しているから、両立することは無理難題で、権利と権利が衝突する本来は慎重な対応が望まれるのですが、慎重にならなければならない政治家が議席が欲しいがためなのか、偏った政策に傾倒するので国民に軋轢が生じている。それでは始まらないので大雑把に、ここでいう価値観のアップグレートの価値観とは「従来のものの見方を変える」ということに仮定してみるが、「夢でござる5」に、こうした運動は「社会主義の家父長制の脱却やビート・ジェネレーションからの1960年代のラブ&ピース ドラッグ、フリーセックス、反体制運動」「ヒッピー暴動がBlack Lives Matterに、カウンターカルチャーがキャンセルカルチャーに、フリーラブとコミューンがトランスジェンダーに変わっただけです。」ヒッピーの焼き直しと指摘しました。1970年代のゲイリブ運動があるのにヒッピーの焼き直しとした理由は、ゲイブリ運動が1960年代のカウンターカルチャーの流れを汲んでいるものであり、上記に運動が展開していると書いたように、過去もヒッピー、黒人解放運動(その中にはrainbow coalitionも)、ゲイ解放運動、ベトナム反戦運動、資本主義に抗した反体制と運動が展開や連動していることが見えてきて、これらの価値観というものが半世紀前のものだということが理解できるからです。そのもとをたどればヒッピーの前駆ビート・ジェネレーションのビートカルチャー、ロマン主義や革命にさかのぼることができて、ポスト~や社会主義運動のように既存の古い価値を破壊して新たな価値を生み出すことが至上命題みたいな感じなのでしょう。言い方を変えれば構造(他律)に対する実存(自律)ということになりますが、実存によって新しい価値観というものが簡単に生み出せ、それをさらにアップグレートできるものなのでしょうか?構造の中で新しい価値と錯覚しているだけではないのか?だから構造と実存は表裏一体と言われているのでしょうけど、これについての私の見解が下の方の「自意識の迷宮」のところに出てきます。1970年代の過激(暴動)な運動はバックラッシュを生むことになり、1973年パリ和平協定とともに霧消していった。1970年代中盤で言えばオイルショックを端に発したインフレ不況のカーターショックがあり自信喪失で生きる目的すら失っている人もいた社会に対してジミーカーターは自信を取り戻そうと国内の結束を呼び掛けていて、国内には赤狩り、ウォータゲート事件(こっちはディープスロートだったが、ディープステートはトルコ説がありますが、スロート説は面白いです)があり共産、ソ連という共通の敵がいましたので納めやすかったという事もあるのだろう。その結果はレ・ドゥク・トがノーベル平和賞をベトナムにはまだ平和が訪れていないという理由で辞退したように中国を後ろ盾にしたクメール・ルージュのポルポトが出てきて第三次インドシナ解放戦線が始まったと、アメリカが手を引いても凄惨は続いた。文化面ではやはり反~のパンクが出てくる。

 

 

そういえば、昔、ドラァグクイーンをどこかで見た記憶がありましたので記憶を辿ってみると、思い出しました、昔に読んだサブカル系の雑誌にピンクフラミンゴの記事が掲載されていて、なんだこのオレンジ色の人はというのがその時の第一印象で、野糞をして犬のうんこを食べてカルト的にどうのこうのだった記憶がありますが、思い出しついでに確認してみると、監督のジョン・ウォーターズのインタビューがyoutubeにあり「評論家に90分間、目を侮辱された」映画と評されたという1970年上映マルチプル・マニアックスはヒッピーをぞっとさせるために作った映画ということですと、偶然にヒッピーとドラァグクイーンのつながりを発見したわけですが、若い時は不明瞭ながら可能性を持っていて冒険とか変化というものに魅力を感じるものです。私も80年代、赤色の髪に耳と鼻に輪っかのピアスをしてそこをチェーンで繋ぐといった容姿で、他の人がアイドル歌手の曲を聴いているなかハードコア系を好んで聴いていた。しかしセックスピストルズなんかの曲の労働者層出身の上流社会に対する敵愾心から湧く社会なんか壊れてしまえとか、他のパンクのNo Futureとか反戦とかの反~という考えに関心はなく、ただ単に新しいものや目立つことにカルタシスを感じとっていただけのファッションパンクの私は、そのあとすぐにデザイナーズブランド(DCブランド)に転向してぎんぎんのアイビールックを決めていて消費社会を堪能していました。そんな私とは違いメッセージに魅力を感じ実存を求めたりする人はヒッピーの世俗を捨て反戦、自由、フリーセックス、薬物や学生運動のように思想「進歩的」「革新」に傾倒していく人がいるのでしょう。しかし、その代償は小さくなく学生運動で人生が変わった人もいたり、ヒッピーの中には麻薬中毒→売春で身を崩す人もいましたが、金持ちのご子息だったり勉強が出来たりの運が良かった人の大半は日常に戻っていって何事もなかったように年齢を重ねていくわけですが、この大半の人たちは大人になって、結局、体制に取り込まれていく思春期のような反体制をどのように振り返ったのだろうか?一方、日本赤軍幹部の重信房子は出所後、武装闘争を「間違っていた」と語ったらしいが、東アジア反日武装戦線の齊藤の服毒自殺を考えると、一部の人たちはそれこそ生まれてくる時代が30年「間違っていた」というほかない。生まれるのがもう少し早ければ体制にしろゲリラにしろ心行くまで戦えたのに。

 

インターネットを見ていると、あの人は今ではありませんが懐かしい人が元気にしているのに遭遇したりします。有頂天のケラさんがケラリ~ノという名前でXをしているのを偶然に見かけたのですが、悪い自民党は下野せよというようなニュアンスの発言をしていました。約40年前にベジタリアンという曲を歌いながら、「メジャー通さない」って言っていたけど、その後まもなくして有頂天はメジャーデビュー、それを私の周囲のパンク野郎はふざけんなと笑いの種にしていたけれど、物わかりの良い私は、そりゃソノシートやカセット販売にライブハウスのギグで細々やるよりもTVとかに出て華やかにやりたいだろうと理解を示していた。そのあとウイラード、ラフィノーズもメジャーに行きますが、あっという間にメジャーの世界から消えてしまった。メジャー進出前にNHKのインディーズの襲来という番組で3バンドがそろって紹介されていたけどパンクというカウンターカルチャーは「メジャー通さない、インディーズ」というところに価値があって、メジャーになるとインディーズという価値は消えてあっという間に消費社会に消費されてしまい、もう一つ別の魅力がないと続かないのでしょうと、ちょうど同時期に聖飢魔ⅡのCMが同じ雑誌に掲載されていたけど、私はこんなんKISSの模倣やろと曲を聴いたこともないのに思っていたけど、こっちは残りました。ケラさんも演出家としての才能があってよかった。これは運動のカウンターカルチャーも一緒で反体制とか言っていても権利運動なので権利を取得すると体制の一部になるのは必然ですが、体制の一部に取り込まれると一番大事なものを失いない、運動の存続理由も微妙になりますが、いつまでもフェミニズムなどは体制の一部でありながら既得権がどうのこうのと不平不満を言い続けている。その点、マルチプル・マニアックスの監督のジョンウォーターズは今の時代でも同じようなことをできますか?という2022年時のコロナ真っ最中の質問に対して、「コロナ患者を呼んで消費期限が切れた食べものを食べさせても味覚がないので誰も気が付かいなだろうと」こちらは相変わらず破天荒で清々しいぐらいに変っていないようです。

 

 

今度のはオバマら西側の首脳陣が奇妙な価値判断に便乗したので大きな運動に発展していて、我々を認めろの権利運動ではは収まらまいで、要求はエスカレートしLGBTQは子供にその属性を発掘し手術をうけさそうとする宗教的なものまでに発展している。こんな宗教的な活動に政府が関係しているのは尋常では考えられない、それは「なぜ」かを考えるところに陰謀論が入り込んでくる余地が生まれてくるのですが、私はチェンジ、チェンジと言った手前、何かを示さなければならないが、保険制度の変更以外は特段の政策はなく、そこに奇妙な価値判断が入り込んできた、他の西側の強国の首脳陣(グローバリゼーションの方々も)も同様に機運に乗っかったと、動機は能力があるように見せたい欲心という単純なものだと考えていて、あまりにも単純かつ浅ましいものだから、逆に理解がおいつかなく、「なぜ」が発生して陰謀論を生み出しているのかもしれません。私の読みが正しければ陰謀論は馬鹿にされがちですが、実際の世界の方が呆れるほど単純で愚かなものだということになります。

(オバマがチェンジ、チェンジと言って大いに期待され大統領となり、リーマンショックの対応をしつつ大量破壊兵器を所有している軍事大国なのに核のない世界をと標榜し、オバマケアの医療改革をしたけれども貧困層への保険は罰則もある加入なので結果的に社会保障費が増大し保険料も上昇、中間層が割を食うことになり不満を持つ人が出てきて、また本邦の岸田総理が右派左派両陣営から反発されているように、ティーパーティー運動とサブプライム救済に反対している人たちからは財政規律を責められ、住宅ローンが焦げ付いた層からは出し渋りを責められ板挟み状態となり民主党が強いマサチューセッツ州の補欠選で敗れ、2011年ビンラーディンを暗殺するも2012年下院で民主党は敗北し議会のねじれが生じた。2016年には上院も逆転で上院下院で民主党は過半数を共和党に奪われ2017年市場重視であるはずの共和党のトランプが国内保護主義を掲げ大統領となった。挽回したい民主党は票田を求めて目の前にいるホームレスなどの弱者に対するボランティアよりもエチオピアなどの遠い国に出かけるボランティアに善として高い価値があると考えている人たちの好みに合うますます左派に傾いてメインイシューではなかったLGBTQなどがメインに躍り出て今に至る。

オバマは大統領に成る前は同性婚に賛成しておらず、大統領再選と議会劣勢の頼みの綱がLGBTQ等のDEIしかなかったと私は見ている。

 

運動は拍車がかかった感じですが、連動のパレスチナでつまずく羽目に(オバマは2014年のウクライナクリミアの件で腰が引けたような対応をしていた。)私は最初から政治の関係上(イスラエル側に立つで決定されている)と考えていたが、善によって天に富を積んでいきたい学生ら民主党の支持者はこれまでのように支援者(代理人)たちが考える弱者に寄り添い=善でパレスチナ側に立ち政府を動かそうと運動を展開するので、政府も表向きは中立を装わなければならないが、運動が大きくなるのは寄付者が許さない関係から政府側として非常に都合が悪く抑え込まないといけないと、バイデンほか古い西側の首脳陣は内心はイスラエルにありながら、きれいごとも並べないといけないという板挟みとなり対応に腐心、(焼け野原になってから対応していますキリっとしても)性根が見えた感じです。それは国際刑事裁判所(ICC)のネタニヤフとハマス双方に逮捕状を請求に対してアメリカが対抗処置としてICC関係者への制裁法案を可決していることからもわかるでしょう。バイデンは大統領選を撤退しましたが民主党候補にはパレスチナ問題はくびきとなるでしょう。(そうした性根がわからないのか、わかっていてあえてそうしたのかはわかりませんが長崎の知事のようになことをするとわかりやすい態度をとられます、しかしウクライナ侵攻初期の西側の対応を考えると、内政に混乱をもたらす奇妙な価値判断に合わせる必要があるのでしょうか?。私は合わせる必要はないと考えています。)

 

 

#1支援者たちが考える弱者

アメリカ国内には約60万人のホームレス約40万人の路上生活者に大量の薬物中毒者がいて一年で10万人死亡していて、夏のさなかエアコンさえない貧困家庭がごろごろしていて、こちらも死人が出ている。現アメリカ大統領から言わせると日本は外国人排外らしいが、アメリカの寛容な移民歓迎は二分化された国民の入れ替え戦であり国内貧困層排外(負ければ黒人、移民、元軍人、LGBTQ誰であろうと差別なくこの中に入ります)は何年も続いている状態だから、アメリカの「自分たちが考える弱者」には、こちらの自業自得は弱者に該当していないのかもしれませんが、それがトランプの力となっている。500人の年越し派遣村で大騒動の日本人にこれらの非情が耐えられるのでしょうか?薬物で10万人の同国人が1年間に死んでいるのに、やれ移民やLGBTQ、パレスチナの救済でやさしい私たちと、私には理解できませんが、移民促進を歓迎するなら、国内貧困層は無視できる自由主義精神がないといけないということでしょう。でもこれは仕方がありません、アメリカはビジネスの国ですから、敗者は人間としての価値が低いとみなされるのでしょうから。ちなみに本邦では生活保護の人らにはエアコンの設備費が支給されるそうです。

 

 

 

支援者(代理人)の価値観にぴったりと当てはまるものがあります、他者の苦しみに同調して欲や強者は悪だと敵視し自己否定し弱者を保存するキリスト教道徳(カトリック信仰)=奴隷道徳です、キリスト教信者の少ない本邦でも(大乗信仰の影響でしょう)たいへんよく見られます。ルネッサンスや啓蒙思想はキリスト教道徳=奴隷道徳に嫌気を差して出てきて来たものなのですが、いつの間にかキリスト教道徳=奴隷道徳を振りかざして啓蒙するに回帰している。我々は弱者の側に寄り添っている、それに文句を言うやつらは差別主義者だ!この弱者の側に寄り添っているというのを「奴隷道徳の勝利」ということからみると、「奴隷道徳の勝利」とはニチェが言った言葉で、学校でもそれが正しいと教えていますし、権力者側もそうしたほうが自らに都合が良いことを十二分に理解しているので税金で福祉をしながら奴隷道徳を巧みに使い国民の支持を得ようとしているから、ニーチェの時代にすでに勝負はついていて、ただ単に勝ち馬に乗っているだけの強者でいたい人が弱者を出汁にした絶対権力なのですが、これの何がまずいのかというと、岸田総理も奴隷道徳に沿って国民に対し「お前ら国民は弱者に差別的」だと言って、その国民から税金を徴収し自分らが考える弱者に支援する政策を展開しているわけですから、本邦の左派と言われている人からすると自分たちの願いを聞き入れてくれるすばらしい総理大臣になるはずが、敵視されていて、それ以上に奴隷道徳を振りかざそうとする立憲民主党などに政権交代してもらいたいと願っている(しかしこれでも収まらず、権力者から見放されるまで続ける)。奴隷道徳を使う左派の人は弱者がいなくなると、そのイデオロギーも消えるので自らの立場の為に永遠に追い求めるしかなく、だから現実性もなく、とどまることも知らないということです。ニガーと呼ぶように差別主義者と対立相手を罵り、税金で福祉をする、脳内にドーバミンが放出されて大変気持ちが良いでしょう。(正義が悪を撃退しているとして)日本が劣勢になることを心から喜ぶ人たちもいて、反政府、反権力的な姿勢を取りながら自らが権威であったりもっとも権力を頼りにしているおかしな人たちなので、本来は呆れられるしかない存在なのですが、同じイデオロギーのメディアと政治家らの後援もあるので「体制側なのに既得権がどうのこうのと不平不満を言いながら」表舞台から消えることはなく、奴隷道徳を武器に強い立場にいるようです。弱者が善ということ自体どう考えてもおかしいのですが、差別主義者と相手に烙印を押すためには弱者は善で強者は悪ということにしていた方が都合に合う。このように問題は弱者にあるのではなく自分たちが考える弱者というように、この人たちが守りたいのは弱者というよりは奴隷道徳を振りかざせる立場です。中間層が相対的に見るとまだまだ裕福ですから、奴隷道徳を言う余裕があるのでしょうけど、この余裕というのがマヒして一線をとっくに超えているのに気が付いていない、アメリカはオバマ以前は右も左も考え方がやや中央よりだったけどyes we canをきっかけに中道が減り左に片寄る左派と右に片寄る右派が増えた。何かとトランプが分断を煽っていると語られることが多いけど時系列を見る限りでは分断を作ったのはオバマの政策で、元民主党のトランプはその政策に反発する側にいると見るのが正しいだろう。それをトランプ側を権力者=強者=悪に設定、古い価値観の強者で悪のMake America Great Againと戦っている気だけど、これはまさに左派特有の階級闘争史観なのですが、現大統領が率いる民主党とテック企業ら超お金持ちにメディアも味方と、どっちらが強者なのかはいうまでもありません。新しい価値観というのも半世紀前のもので同国人同士でも仲良くできない人たちが多様、公正、包括のDEIなんて言っているのだから自己矛盾というレベルではなく狂信的ですらあるのです。そんなことはない、トランプの選挙結果が気に食わないと議会襲撃を煽動したのなんて狂気だろう、とすると、狂気の対極は正気ですが、そこに位置しているのはオバマら民主党の政策ではありません、対極はマケインであり、トランプに力を与えているのはオバマら民主党の政策なのですから、トランプの言動が狂気ならオバマら民主党の政策も比肩する狂気なのです。しかし、その狂気で選挙に勝利し成功体験となっいるので収めることはできないから、どちらが勝利しても中道には戻らず混とんとした社会が続くのでしょう。シビルウォーという映画の監督が来日してシビルウォーはカルフォルニアとテキサスが組んで独裁政権と戦う話で「ファシズム対デモクラシーの戦いなのです」「トランプに票を入れるな」と語っていたそうですが、起きる可能性があるとすれば民主党が選挙に勝つために不法移民にも市民権を与えようとしていることから見るとデモクラシー対デモクラシー(狂気 対 狂気)の内戦でしょう。実際にアメリカの40%の人が10年以内に内戦が起きるかもしれないと考えていて、44%の人が連邦政府は秘密結社が掌握していると考えている調査結果も存在している。(秘密結社ではなく、覚醒運動に目覚めた民主党の支援者です)8年後の大統領選にマケインのような正気が現れるか、70年代のように共通の敵との危機が迫れば別の意味でwoke(目が覚める)するかもしれません。

 

 


本邦といえば、まず私の意見、言論の自由を損なわせる菅さんの侮辱罪の厳罰化、政府が関与するラインを超えている岸田さん不同意罪、差別はいけないとして差別を作る同和政策になりかねないLGTBQ法案 国民の入れ替え戦になる菅、岸田の移民政策、追々、遺恨を残すからこれらの政策に反対の立場という前提があります。アメリカは狂気 対 狂気ですが対立軸がある分、正気になる可能性はありますが、主要政党がすべて左派思想という選定する先が限りなく少なく、一番高いのが支持政党なしの50%近くの調査もあるというのは、単に支持する政党がないだけなのか、それとも、もう政治にあきらめを感じているのかはわかりませんが、一度決定されれば、それが間違いであろうが訂正もできない、口を開けば徴収した税金をばらまくことしか言えない与野党、対立軸がどちらがより大きく税金をばらまけるかになっているのだから、これに反発しない国民に問題があるのでしょう。それに日本の政治家は解決する能力もないのにwoke(社会に対して高い意識を持つ)などに首を突っ込み、酒を飲んで女性とSEXすれば強姦の不同意罪を成立し少子化をさらに推進させる可能性のある政策を推進しておきながら、少子化が問題と同じ口で言う、その少子化の問題も老人の介護と社会保障費を出す人材がいなくなるからと、今度は外国人を頼りにしようとする高い意識の裏腹は泥縄なところがあり、普通に考えれば最初に人口動態を見るに無理筋な手取り足取りの行き届いた医療、介護サービスをあきらめましょうという選択が来るのですが、それでは選挙に勝てないから口にはしないで泥縄に走る。何かと改革とか説明責任と言いますが、あきらめましょうという説明を国民に対してしない、できないというのが国民と政治の信頼関係を表しているように思います。問題は作るが解決する能力はないから訂正もできずにずるずる尾を引くというのは失われた30年や憲法改正の戦後レジュームからも理解できますように、おいおい移民や特別在留は特別在留の在日問題のようにしこりを残すでしょうし、不同意罪も超少子化の負の遺産となるでしょうが、もちろんこの責任も今までのように誰も取りません。男女共同参画というものが1999年に成立し25年経とうとしています。25年間税金を注ぎ続けたことに「見合う」成果は出ているのでしょうか?まさかその成果が酒を飲んで女性とSEXすれば強姦の不同意罪ということはないでしょうね。子ども家庭省の社会保障費からの徴取、地方に移住婚でお金を上げる、もちろんloop認可のように男性もいますが、ここ数年で次々に出てくる、どう考えたらその結論に至るのかというほど程度の低いあらぬ方向の政策などに出てくる顔は女性なので、まさか、と疑念がわきます。資源のない国だから愚かなことをやっている余裕などないはずで、その金を失われた25年を脱却する準備に充てていれば少しは光明を見れたのでしょうか?。景気が悪くなり失業者が大勢増えたりして現実に引き戻されると現実性のない美辞麗句や態度は通用しにくくなるので、究極には戦争でも起きて国家の危機にならない限り残念ながら奴隷道徳を用いた言動が間違いだということに気づかないのでしょう。変事になってから妥当性のない政策や平和ボケの間違いに気づいても、もうおそいのですけど、少し想像すると、9条を信じていた人たちが有事に阿鼻叫喚となり飛行機の空席を奪い合うなんて、人間の本性が見えてほほえましいですが、東日本震災を教訓に、我々一般人に逃げる場所なんてありません、あきらめましょう。それが現状を受け入れてきた我々の定めなのですから、という考えも持ちながら、阿鼻叫喚にざまあーという性格でもないので、おかしいですと啓蒙し返しているのですが、経済こそ復興しましたが間違っていても訂正も責任も取らない大事なことは戦後においてきた硬直した社会を考えると、再度、焼け野原になって生き残った人達で一からやり直した方が早いような気もして複雑な気持ちになります。全体主義から敗戦の復興というのが尾を引いているのでしょうか。いずれにしても道理にかなっていない間違えを重ねる政策ばかりの本邦が低迷するのは当然至極ですし、税金を徴取してばら撒く事だけの政治や社会から価値観のアップグレードや先進性を見出すのは難しく焼け野原にならない限り無間地獄のように続くのでしょうか?

 

奴隷道徳と言いましても一般常識だから間違っていないということにつきましては、その通りです、間違っているどころか正しく言葉としても綺麗です。例えば平等、自由、友愛などは学校でも習う一般常識(道徳)ですから、これを否定する人なんて少ないでしょう。しかしどうでしょう、ワイマール憲法もルソーの社会契約論もとても理想的で綺麗な言葉でしたが、そのあと何が起きたでしょうか、ロベスピエール、ナポレオン、ヨシフスターリンだって自由と平等ぐらいは言っていますし、毛沢東も個人より公共の利益の大公無私とみんな正しく綺麗な言葉は並べましたがあの始末です。なぜそうなったのかは、平等、自由、友愛といっても(自分たちの考える)なので一般意思どころか全体意思でもありません、一部の権力者たちによる特殊意志、俗に独裁と呼びますが、その私的利益を叶えるための正しくきれいな言葉なのです。要するにきれいなのは言葉であって中身まで保証されているわけではありませんが、思春期のような反体制をしていた人たちも体制側になっても正しく綺麗な言葉を免罪符にしながら同国人の背中ばかり撃ったり、足を引っ張っているように綺麗な言葉は正しいだけに誰でも簡単に利用でき私的利益のドロドロした部分を覆いかぶせてくれる便利な言葉にすぎません。