山口一男

私も、いちおう日本を代表する社会学者の一人と言って良いと思いますが(文化功労者です)、高市政権は戦後最悪の政権であると思います。理由は余りにも多岐にわたりますが、嘘と情報操作のみで成り立ち、かつ「自由で民主的な日本」にとって有害となる政策ばかり推進しようとしていると断言します。

 

oka mihoko

私、いちおう歴史学者で、通史の漫画も監修してるんですけど、日本史上、最悪の政権の一つであるとはっきり言えますね。腐敗した悪政の上に、皇統問題に汚れた手を突っ込んでる。今上陛下がお気持ちを表明された以上、国民は臆すことなく、政権を批判すべし。彼らを養ってるのは我らの血税である。

 

 

 

 

 

他方、社会学、とりわけ人文学が無能、不要と指摘されるのは習ったことを生かせないで、権利、人権と自分の都合のよい(イデオロギーから抜け出せずに)ときにだけ口にして、話す内容も浅薄だからかもしれない、けれども肩書は大学教授、肩書にひれ伏す人も少なくないので大学教授というのも立派な権威なのでしょう。

 

 

 

肩書の格を見せつけながら、例えば下の方は、社会が貧困で苦しんでいるのは、君側の奸が天皇の眼を曇らせているからだ、我々、尊王義軍が奴らを排除すれば天皇親政(昭和維新)が起きて皆が救われるとする勝手な思い込みから生じたのが2・26事件であり、歴史に詳しいなら天皇の声を独自解釈で汲み取るのは、専門家が素人に高田延彦の高速タップをするような隙を見せるありえない失態。上の方も自由というものの扱いについてはあれこれ回答が出ていているけど、その説明を一つもしないで断定している、何も私の書いた通りに振舞わなくてもと、呆れています。

 

折角ですから、そこら辺のおっさんが代わりに自由についての講釈をしてみると、自由意志なんてものは本当に存在するのか?から始まって、実際は物理法則によって決定されている「決定論」が出てくる。自由意志で決めていると考えていても実際は過去の経験での出来事を意思決定に使っているオペラント条件づけ、古典的条件付けのような条件反射によって、結局、自由意志というよりも物理法則の決定論に従って生きているという話から、神即自然という観念から、自然状態だけが誰の拘束も受けていない自由状態(動物園の動物と自然界の動物では安全という意味では動物園の方が安全かもしれないが自由ではない。)だとすると、様々な不条理も含め必然(自然)から起きているものであり、そこから湧き起きる怒りや嫉妬、哀しみの感情は外部からの刺激、強制、それは不自由(他による拘束)、その強制から自由になるには、それらは必然だから仕方がないとありのままに受け入れることによって、いわゆる諦念となり情念を消す、それこそが真の自由と1600年代に生きたスピノサは仏道みたいなことを言っている。

 

それに対して、いくら何でも不条理だろう、道徳はどこに行った、「何で人を殺してはいけないの」「飢餓、疫病で死ぬ」に対し必然だからと受け入れ、それこそが真の自由というのはいくら何でもということから、決定論と道徳としての自由意志は切り離した方が社会にとって良いことではないか、そこでどのように行動すべきかを実践する「実践理性」が出てきます。決定論の科学の世界と、道徳の世界の叡智界を切り離して考えることで定言命法(無条件に従うべき命令)を生み出す、しかし、これは絶対なのでいかなる場合も道徳性から逃れることはできないキリスト教の教条の世界、それが1700年代に生きたカントの考える自由。

 

スピノザと同じ1632年生まれでイギリス出身のジョンロックは、王政を否定して王に狙われていることからオランダに逃亡、しかし1679年に名誉革命が成功したことでイギリスに帰国、それから社会契約説の統治二論を刊行している。社会契約説からの自然権に自由を求めているのは、王権は神から与えられた王権神授説に対する反駁からきているもので、権力闘争の結果にすぎないマグナカルタも同様に、人間社会の誤りは社会契約説の自由はアンシャン・レジームから脱却というものでしかないものを人間の本質的な自由とはき違えたことにあると私は考えている。

 

 

神から与えられたの神が自然(神即自然=権利=才能、能力)というものに設定すると、吉野ケ里遺跡(どうして群れなのか?は、他者が奪い殺しに来るから、見張り台、戦争の痕跡、これを繰り返した結果が国体である)などの遺跡、また群れの強さの暴力で他者を支配した歴史から鑑みると王権神授説の方が正しいということになるが、それが正しければ抵抗権の革命でその地位権力を奪われるのも宿命というものであり、結局のところ暴力によって支配者が変わったに過ぎないということになるから、クロムウェル、ロべスピエール、スターリン、毛沢東・・・王政に代わる独裁が出てくるのだろうし、国民国家の国民主権となり最初に手にしたのが干渉戦争に対する防衛を自分たちで担うことで、時代は総力戦に突入していく。

 


ロックがオランダに逃げているように比較的には王政の圧力が緩かったオランダ、そこで生まれ育ったスピノザですが、1600年代といえばプロテスタントとカトリック間の宗教対立とパスブルク家の勢力拡大を阻止しようとした30年戦争が起きるほどキリスト教の教条に厳しい時代、神即自然なんていう、最も禁止ワードを口にして、当然、迫害されながら人間の自由の本質を探究したのに対して、ロックは清教徒革命(ピューリタン)が起きたように、対王政ということからの自由を探求し「人間は誰しも生まれながらにしての自由であり、他人の権利を侵害しない限りは自由に生きることができる。しかし、無法だと権利の侵害が起こるので社会契約による法は必要」社会契約説と抵抗権(どちらも神の存在が必須で、王権神授説に対する対抗心でしかない)を生み出したが、人間の本質的な自由の追求でいえばスピノザの方が正しく追及しているというのは、現代人のまるで解決していない「苦」から見ても、またヤンパースの提唱する紀元前の枢軸の時代には神の世界観から人間とはに主題は移って徳や善悪二元論を見出しながら人間の本質を模索していることから、過去、現在の自由についての本義は仏道的に言えば成道を目指すことにあるが、人間社会は1700年代ベンサムの功利主義にあるようにロックの側の自由を採用し、その自由から「すべての人の幸福には等しい価値を持ち、社会全体における幸福の総量を最大化することが最善を目的にする」最大多数の最大幸福という考えが出てきた、自由はけして幸せだけではないという真逆があるのにも関わらず、自由=幸福に全振りしだしたのだ。ベンサムの功利主義としての最大多数の幸福を否定したのが1800年代に生きた弟子のジョン・スチュアート・ミルで「満足した豚よりも、不満足な人間である方がよい。満足した馬鹿よりも、不満足なソクラテスである方がよい」他者危害の原則を用いて全体より個の自由を求め、国家の弾圧よりも多数派の専制の方を危惧していた。(マルクスの共産党宣言は1848年、ミルの自由論は1859年に出版)今、皆さんが自由だ!!と言っているのは大体がミルの自由の継承ですが、ルソーの理性より感情の社会契約説、一般意思(社会全体の意思)がのちにマルクスに影響を与えて共産主義に変化、共産党宣言も権力闘争の方の自由の一つだということが理解できるでしょ。マルクスは「ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的事実と人物は、いわば二度現れると述べている」を参考に、フランス革命後のナポレオン1世で悲惨な目に遭ったのに後にナポレオン3世を権力の座につかせたことに対して「一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」と揶揄したけど、自身の思想はさらにその上を行く独裁者と死を生み出している権力闘争の方と同じ系統の自由。

 

スピノザの方の自由の省察も消滅したのではなく、1700年代に生きたショーペンハウアーは「盲目的な存在の意思」厭世、禁欲、悲観主義を解いたのは仏道ウパニシャッド「一切皆空」の影響を受けているからで、その厭世、禁欲、悲観主義を否定したのが、1800年代に生きたニーチェ「権力への意思」いわゆる超人に続いているけど、これらは真理の探究で自由として見られていないことが多い。

 

 

 

内田樹

繰り返し書きますが、高市政権は僕が知る限り戦後最低の内閣です。わずかな在任期間でこの内閣は日本の国力を超速度で殺ぎ落とし、日本の民主主義に致命的な傷を与えました。一刻も早い政権交代を待望します

 

 

 

アンシャンレジームの結果、自由と権利(選挙権)を手にしたというのはよく言われていることですが、手にしたのは(これは夢でござる8)にランボオの「92年の死者」の詩を紹介しましたが、人民に承認される皇帝の存在によって秩序が維持される帝政とナポレオンを評価していたボナパルト派の右派ポールドゥ・カサニャックから繰り返し聞かされたと詩にあるように、ヴァルミーの戦いは革命後に最初となる国民の素人の寄せ集めとプロセインの軍隊との戦いであり、アンシャンレジームの本質は国民自らが国防のために命を懸けて戦う義務を手にしたことにあります。1795年のヴァンデーの反乱のように徴兵に反発した反乱もありましたが、王族などからその地位と役割を強奪したのですから至極当然の結果です。義務を手にした以降の戦争は徴兵制の総力戦に突入していくことになる。(だからナポレオンが無理をするまでは強かった)しかし、こうしたことは紀元前からローマ市民の市民権を得るには補助兵となり満期除隊することが義務づけされていたり、15世紀のオスマン帝国の我が子税も同様に命を懸けるということが権利を得る手段であり。近代の人権のさきがけとなるマグナカルタも兵士のためのもので、もちろん明治維新の日本も徴兵制になりました。人権や権利の話は多く語られるけど、実際に革命で手にした義務は忘れられ気味で語られること自体が憚れているようなので事実を書いてみました。他より多めの権利が欲しい人はそれに見合う義務も果たしましょうと言えない社会は何かが壊れていると聞いて「?」となる人は敗戦から価値観が止まっている人です

 

こうした人たちが、どうして判で押したような発言をするのかは、戦後に勝ち得た戦後レジームを何としても手放しくないからである。戦後レジームの脱却を口にした安倍元首相に対しても敵意むき出しにしていたのも同じ理由で、空虚な言葉でイメージを悪くさせて戦後レジームを維持したいという保身に過ぎません。なので戦後レジーム陣営、例えば青木理の日本人に対する劣等民族とする発言は大したお咎めなく簡単に復帰しても、杉田水脈のようなあちら陣営が気に食わない発言は報道などあらゆる手を使い、とことん追い詰めて力を誇示する、いつもの手口です。権力闘争の方の自由なのに、権力を手放したくないから自由と民主主義という言葉を使い世論に訴え潰しにかかる、そんな言葉に扇動されているあなた方も、徴兵が~戦争が~と叫んでいるけど、民主主義が~は権力闘争の方と同じ系統の自由の結果であり、自身らで主権者は国民だと言っているのに国防はNOということを換言すると、人気のある犬を承認要求の為に買ったけど(権力闘争の末に民主主義を勝ち得た)うんこはするし世話もめんどくさい、自由に旅行にも行けないから犬はいらなくなった保健所に(権力を手にしたんだから自身らで国防はセット、それを権力を手にしながら嫌だと言われても)というような話と一緒で、おもちゃ売り場で駄々をこねる子供のように戦後レジームにしがみついている。戦争の反省というが、普通、反省にもいくばくかはあって、たくさんの犠牲者を出した、侵略した反省というのもあるけれども、なぜ負けたのかの反省もするでしょう。それを空虚な戦後レジュームの存続のためだけの戦争の反省を続けるのは、何かしらの試合に負けて、担当の教師の自己満足感を出すためだけに、試合に対し戦術戦略の反省などなしに、お前ら正座一時間な、を延々やらされるのと同様の反省、しかしいくら指摘したところで変わることはないでしょう、それぐらい戦後レジュームの既得権(体制側だから守ろうとする)にはうまみがあるのでしょう。


私自身の言葉がないから哲学者らの名前や考えを出しているのではなく、その人らの肩書からの思想が社会に多大に影響を与えているから名前を出している。戦後80年も同じで大層な肩書をだしながら犬はもういらんから保健所に見たいな話を延々とされて社会に影響を与えるのはいかがなものかという指摘です。

 

 

旧体制からの自由というのも広義でいえば、自由なのでしょうけど、旧体制を倒しても新たな体制ができるので決して政治的な意味、そして群れなければ生きていけないでしょうから、本質的な自由にはなりえない、ということから私の考える日本での自由人に近いと言えば2003年時で2万5千人いたホームレスが2026年で2千4百人になったのは2002年に成立したホームレス支援法がその背景にあるわけですが、支援法に与れば生活保護にありつけ、住所も手に入れられ、再生の道があるかもしれない、しかし、それは貧困ビジネスの世界に囚われることを意味するかもしれないし、再生と言っても資本主義の世界に囚われるだけと考えたのかどうかは知らないが、行政の支援の手を跳ねのけながら今もホームレスをしている2千4百人と山で仙人のような生活をしている人、もしくは、上にも語りましたが反省にもいくばくかあって、森でクマに襲撃された爺さんがいて、棒で戦った様子がYOUTUBEに公開されていて私も以前に観たのですが、その爺さんがクマに襲撃された経験から独自に対抗できる武器を考案して特許申請までして、その武器のうんちくを語っているのが再びYOUTUBEに公開されていたのですが、この姿勢にニチェの超人としての自由を感じます。

 

最後に逆に自由がなくなったと感じた出来事は、今は見ることができませんが「 First Contact: Lost Tribe Of The Amazon」というアマゾンの奥地に住んでいた原住民が白人(違法開拓事業者かペルーの軍隊か誰かはわからないが)に襲撃され未開人を保護する団体に保護されたという内容の番組があり、番組最後の会話がこれで

 

you no longer want to live naked?

no no i dont want that

now we have seen clothes
 

and have clothes to wear

we are ashamed to be naked  裸でいるのが恥ずかしんだ

 

資本主義の強欲に住んでいた場所を奪われ、保護する団体に服を提供されたことから、次に恥ずかしいという他者の視線による関与が生じた瞬間、一つの自由は消えたのである。