季節柄また、熊、熊とマスメディアは騒いでいるようです、とはいっても私はそのニュースというものを観ても読んでもいませんけど、熊に関心がないわけではなくて、先日、下記の動画を観て、さすがに専門とする人の説明は隙が無く、素人の私も膝を打つ内容だったおかげでプチ専門家になったような気分です。やはり学問というのはこうでなくてはいけない、他方、社会学、とりわけ人文学が無能、不要と指摘されるのは習ったことを生かせないで、権利、人権と自分の都合のよい(イデオロギーから抜け出せずに)ときにだけ口にして、話す内容も浅薄だからかもしれない、けれども肩書は大学教授、肩書にひれ伏す人も少なくないので大学教授というのも立派な権威なのでしょう。

 

 

 

 

 

前回、「いつまでも安定的な社会が存在しうるのかと問うと懐疑的」と書いたのは、私は民主主義を懐疑的にみているからであり、国民が「隠蔽できるんだよ」のマスメディアに簡単に誘導される人たちなら哲人政治のほうが妥当で安全な社会になるのではというぐらいのことは考えている。

 

「隠蔽できるんだよ」

High&Low2 End of Skyにヤクザの組長を演じる岸谷五朗の「お前らと俺らの喧嘩の違い、教えてやろうか?隠蔽できるんだよ」というセリフがありましたが、報道機関(メディア)というところは、処理水を中国や社民共産立憲と口をそろえて汚染水と針小棒大に騒いだり、報道しない(しても小さく割り当て問題としない)自由を駆使し情報を都合の良い方にコントロールします。子宮頚管がんワクチン(HPVワクチン)一つにしても、ある新聞は副反応によるキャンペーンを張り厚労省は2013年からワクチンを積極的に勧奨するのを停止、報道を聞いて、ワクチン接種を見送った方々もいる。厚労省の調査で入院が必要な副反応は1万件に6件はあったようですが1万人に132人は一生のうち子宮頸がんにかかる割合でそのうち34人が亡くなるということ。確かに副反応の人は存在するのですが、人の生命にかかわることを、普段は人権を叫ぶ報道機関が慎重に考えずに一つの事実を報道したまでという態度で情報を垂れ流す。何一つ責任を取ることなく社会を動かすことができる強力な権力者です。

 

ジョージ・ソロスはカール・ポパーの開かれた社会とその敵に大変、感銘を受けたという話でありますが、プラトン、ヘーゲル マルクスらの歴史主義(歴史法則)を批判し民主主義にも問題はあるけど全体、権威主義ら他に比べれば人間社会にとって最善とするポパー、確かに普遍的に歴史通りにはならないというのは、その通りで権威主義が素晴らしいものではないということも理解していますけれども、同時にポパーも指摘しているように、民主主義にも大きな問題があるの問題が全体主義などあらぬ方向を生みだそうとしているのを見ていると、プラトンの哲人政治と生まれながらの王の政治統治の方が適切としたのも、私は否定しきれないでいる。ミケーネ文明が前にありましたが紀元前なのにポリスを作りアリストテレスは四原因説を考えている、そんな人たちと、それから約2000年以上経ちましたが「隠蔽できるんだよ」の報道に操られてあらぬ方向へ行く民主主義を天秤にかければ、私の否定できないでいるということも理解できるのではないでしょうか?いや、民主主義は統治者を交代させることができるし、生まれながらにしての支配者にとんでもないのが出てくるやもしれないというはその通りであるが、本邦のように交代させたくても残りの政党がとんでもない選択しかないという、サミュエル・スマイルズの自助論にあるように「一国の政治というものは、国民を映し出す鏡にすぎない、政治が国民のレベルより進みすぎている場合には、必ずや国民のレベルまでひきずり下ろされ、反対に政治のほうが国民より遅れているなら、政治のレベルは徐々に上がっていきます。これは水が低きに流れるようなごく自然のなりゆきで、立派な国民には立派な政治、無知で腐敗した国民には腐りはてた政治しかありえない」政治も国民も「隠蔽できるんだよ」に戦前から翻弄されている人がいて、沈殿したままのようです。このことから私は民主主義が最善というのも懐疑的に見てしまいます

 

例えば与党討伐運動支持者の言う「デモは国民に与えられた正当な権利」は、私なら、それはジョンロックの社会契約説「政府は人々の権利を守るために作られたものであり、もし政府がその役目を果たさないなら、人々には政府を変える権利(革命権)がある」からきているもので、自然権を前提にするには天賦人権=神の存在を認めなければならないわけで、キリスト教信者でもない人たちが、それを真剣に言っているのを見ると、いい加減な主張だとなってしまう。

 

 

 

 

 

それなら次の「舐めてはいけない17」に書いたように、群れが先にあり国家があるから人権が形成されているとするほうが私は妥当な考えだと推奨している。「いつまでも安定的な社会が存在しうるのかと問うと懐疑的」となるのは、1700年代のフランス革命と共産主義と同様に、1800年代に生きたマックスウェーバー、G・K・チェスタトンの時代にも急進的になる性質を持つ、今でいうといわゆる左派、リベラルと称される人間は存在していて、急進的に社会を変えてやるとした結果がナチス誕生であって社会を震撼させたのも忘れて、その後もカウンターカルチャーら文化運動と同時期に第一次覚醒の宗教運動もありましたように定期的に人間は実存主義 理想主義 進歩主義、脱構築とか何かを探し求めるのですが、半世紀たっても同じような運動をしているように、新たな価値観を構築することは非常に難しく、所詮は構造の一部を繰り返しているにすぎません。今度もWOKEなどに姿を変えて社会を覆い尽くそうとしている、勿論、善行として。

 

ワイマール憲法もルソーの社会契約論もとても理想的で綺麗な言葉でしたが、そのあと何が起きたでしょうか、ロベスピエール、ナポレオン、ヨシフスターリンだって自由と平等ぐらいは言っていますし、毛沢東も個人より公共の利益の大公無私とみんな正しく綺麗な言葉は並べましたがあの始末です。なぜそうなったのかは、平等、自由、友愛といっても(自分たちの考える)なので一般意思どころか全体意思でもありません、一部の権力者たちによる特殊意志、俗に独裁と呼びますが、その私的利益を叶えるための正しくきれいな言葉なのです。

 

 

しかし、戦後80年近く経過して、随分と政治家となる人間の性分も変化していて、そんな時代に急進的な活動家が活発になるのは赤信号とか書いている間に世界は分断だらけになって、非常に危険な水準になっているというのが私が懐疑的とする理由です。

 

日本も少子高齢化で間違いなく今の水準の社会福祉はもたないなんて誰にでもわかりそうなことなのに、今の話題は誹謗中傷動画に与党討伐運動ですか、随分と平和な脳内なのでしょう。そんな嫌味を書いたところで仕方がなく、どこかでどの政党がその事態に直面するのかはわかりかねますが、阿鼻叫喚になるのは間違いありません。その時に誹謗中傷動画で与党討伐運動の時代は平和だったな、なぜあの時にふざけた話題に振り回されたのと認識できるでしょう。


 

そういうところで私は夫婦別姓に同性婚、移民と社会的安定を鑑みてすべてに反対を表明しています。しかし前の2つに関しては社会保障を賦課方式や国民皆保険を全面的にやめて家族ごとに切り替えるなら何も言うことはございません、お好きにどうぞという姿勢です。それを表明しないでWOKE、DEIを推すのは無責任にもほどがある、現在の政治家は明治政府の家族制度以上の創造も結果も何も出していなくて、今や崩壊目前です、新しい何かではなく破壊しかしていないのです。政治家の最も重視しなければならないのが国の保全(維持)というならばWOKE、DEIなど推すのは国賊です。それは政治家だけではない、浅薄な大学教授に裁判所の判事を含む法律家も同じで、国家、結婚、出産というのが自由という価値観により形骸化していく中で、さらに夫婦別姓、同性婚、戸籍に男女以外は認めるのは違憲だと間口を広げようとする高裁の判断がありましたけど、たまたま司法試験に受かる頭脳を持ち合わせただけで、年収2000万円を超える高所得かつ立場もある高裁判事(私はこうした揶揄的な呼び方は嫌いなので普段は使わないけど上級国民)という不平等の中で生きながら、その判断の結果を何ひとつ責任も取らない人間が法の下の平等という言葉を気軽に使い、社会を根底から覆すことなど許されるはずがない。少し考えてみてください、すでにあなた方よりもAIの方がはるかに優秀ということはあなた方も十分理解できていることでしょう、それを人間が存在しているから、あなた方の立場があるわけで、司法試験に受からない頭でも幸福権など使えば何でもありな判決は誰でも出せるのです。そうした個人的な感情で近視眼的なことにしか目を向けずにケセラセラ(なるようになる)というのは無責任にもほどがあると言わざるを得ない。そうした個人的な感情は判事を辞職してから家でやっていろ、と書いたところで一ミリも責任を取らなくてよい社会だから無責任な判決を出していくのでしょう。首相は責任を問われる割には一つ法案を通すのにも内外に敵がいて自由に決定などできないが、この判事という存在は社会の根底を覆すことを個人的な解釈で変えることができるが責任はもたない、内閣総理大臣よりもかなり強力な権力の持ち主なのです。あと大学教諭なら人口が減るので金があっても福祉は受けられない人が出てきます、覚悟してWOKE、DEIを推しましょう、少し気の毒だから安楽死も推しておくねと発言して初めて立派な肩書にあうというもの、私はそこら辺のおっさんでしかないけど、そこまで踏み込んでいる。わかるでしょ、実存主義 理想主義 進歩主義、脱構築、そしてフェミニズムときて、そういうものすら生み出せない浅薄な大学教授の行きついたのがWOKE、DEIなのです。

 

 

見てくださいこの中身のない無責任な発信を

 

作家

参政党神谷が「なるべく若いうちに子を産んで、子育てを楽しんでもらい、日本を支える人材を社会に。でないと少子化は止まりません」だとさ。よくも政治家がこんなこと言えるな。女性は国のためや少子化対策のために生きてるわけじゃねえんだよ。この傲慢さと無配慮に気付かんのキツすぎるわ

 

 

スピノザにとっての権利とは、そのものが持っている力(能力、才能)という定義が最も有力で、子供を産める女性の権利は子供を持つことも、重要な権利の一つ、権利、権利と騒ぐ割には本当の権利を知らない。そして社会契約論があるから国と人権があるのではなく、一人の力は知れているので人々が協力してより大きな権利にする、それが国家となり、その力が人権を生み出す。1600年代に生きた人間よりもあほになっていく現代人政治家が啓蒙、啓発しなければならないのはWOKE、DEIではなく間違いなくこちらの権利

 

同性婚を望んでいる人の主張を読んだことがある、中身は権利の主張で裁判の判決、憲法で保障されているというものだが、結婚で重要なのは書類上の価値観ではなく、いずれ早くこいつ死んだらええのにと思う時に、どうなるのかというところで、書面上の関係だけなら捨てられる可能性がある、それを考えれば、病院での面会、付添、財産分与は少し手間を掛けると解消される。その程度の手間を惜しむ人間が、早くこいつ死んだらええのにと思う時に面倒見ると思うかというのが私の見解

 

三権分立(立法、行政、司法)シャルル・ド・モンテスキューは1748年著書『法の精神』の中で、国家の権力を3つに分散させて互いに監視、牽制させる三権分立を考案しましたが、200年以上経過して権力構造が同じはずでもなく、権力を分散させたけど監視、牽制されているのは政治だけで他の2権と言えば戦後、8件の弾丸裁判での罷免があり最後はSNSでの不適切投稿で罷免にあった岡口基一で、そんなことで罷免になるなら、国の維持を崩壊させる判決を出した判事は冗談抜きで極刑がふさわしい。つまり政治が仕事をしていない。戦後はその三権よりもマスメディアの方が社会を振り回せることから強い権力を握っていて、放送法はあるが、それ放送法違反ですよねと仄めかすだけで、政治介入、言論の自由がと狂人が騒ぐので誰も監視、牽制できない状態にいる、これも政治の怠慢、大学教授も政治の怠慢で最後は自民党が諸悪の根源というのは正しく、正確には自民党の中にいる俗にいう左が原因でしょう。

 

 
 

最終回(2024年9月放送)や各インタビューにて、「番組で3人の総理クビにしてます」田原総一朗

 

このように何一つ社会的な責任を持たない、取らない、たった一人のメディア人が海部 宮沢 橋本の総理大臣の首をいとも簡単に討ち取れる、首相よりも権力を持つ人間がいる国。

 

こんな状況にしたのは左派自民なのですが、私が「いつまでも安定的な社会が存在しうるのかと問うと懐疑的」と考えるのも、私は昭和生まれで昭和の政治家も当然知っているのですが、下記には「活動家の心情のまま政治家」」と表現していますが、もはやこの人たちは政治家ではないだろうというのがごろごろいるというところからきています。それは次の回に