ニワトリの死体に見える人たち。

 

 

 

 

 

 

ケンタッキーのドライブスルーに待ち伏せして、客に食べるのをやめさせようとする人、専守防衛の日本に戦争反対とのたまう人達や、ミサイル配置やシェルターに怒り心頭になる人と思考回路は似ていて、メリットよりもデメリットの方が大きいという反発ならまだしも、ミサイルはひとりを守るものではなく、シェルターがお気に召さなければ入らなければ済む話と同様に、自分が食べなければよいことを他人に披露して強要したくなる、そこが活動家。動物倫理については陰謀論の続きに書きます。

 

こういう人たちが社会を変えてやると活動家の心情のまま政治家に成ると、どうなるかは、たこの養殖が知的動物ということで法律によって禁止ということから想像できるというもので、前回に書いた税金ドロボーで留めてくれる方が実は社会にとっては幸いということがわかるというものです。お題に舐めてはいないと書いているように馬鹿にしているのではなく、尋常ではない行動力、思考、また目的の為なら嘘も平気で口にできる、だから一般的な責任感というものが気薄で開き直るという性質を持っているから、危険視をしているのです。しかし、この人たちからするとおかしいのは、フライドチキンを食べる人間側であり、というのも、食べているのはフライドチキンではなくニワトリの死体だと主張していることからわかりますように、自然権に関する考え方に相違があり、物のとらえ方自体が根本的に違いがあるということなのです。自然権、スピノザは自然の摂理の中にあるもので人間の善悪で計れるものではない、人間社会で権利というのは能力であるとしている、ウェーバーはそんなものないよという立場。しかし活動家は自然権が動物にあると信じていて、(スピノザ的な自然の摂理は弱肉強食の世界で弱いのはどのみち捕食者に食べられる可能性が高く、自然の摂理を人間の善悪で判断してはいけない)その答えがフライドチキンがニワトリの死体に見えているのです。ニワトリはニワトリだという反論はあるでしょう、しかしサラダをレタスの死体 パンを小麦の死体にみえるのは、ということで上記にも書いているように、この続きは陰謀論の続きでピーターシンガーの考えを基に展開していきます。

 

ミサイルなどの武器に対する過剰反応と反戦も原発も反米、反政府も大半は性質=思考回路によるもので、あの坂本龍一の娘と同姓同名の人が本人なら遺伝的なものなのかもしれない、同じものを見てもまるで違った解釈をしてしまう。超越論的観念論の「対象が認識に従う」人間が持つ認識の枠組みによって、対象が認識可能な形に構成されるからです。その性質にシンパシーやナラティブを与えたのが、敗戦による、その後の異質な平和教育(四大教育指令)とか江藤淳の閉ざされた言語空間で紹介していたWGIPウォーギルドインフォメーションプログラムという話もあるけど、私の立場は賀茂道子と同じでアメリカに意図はあったが、終戦から10年で対米一辺倒の是正とか口にする人たちがいるぐらいだから、自己反省の面が大きいというのがあり、私が特に影響を与えたと考えているのがTVで、

 

TVが起用している人間に活動家の考えを持つ人間が多くいて、例えばニュースに解説を入れる草分けとされる田英夫のように「赤軍派を非難する声があるが、幕末明治維新を御覧なさい。正義のための殺人もあれば暗殺もある。水戸の天狗党は維新に先駆けて決起し結局、幕府のために死刑になったが、全ては歴史が審判する」というような考えを持つのは当人の勝手だが、ニュースに主観は必要なく、こうした思想を基にニュースに解説をいれるのは放送法の関係からしても越権行為、俵孝太郎の「ニュースは鉄仮面のごとく読むべきだ」が正しい。田英夫はのちに政治家に転身し日本社会党から社民まで渡り歩いている、政治家に成ってやったことというのが北朝鮮による拉致の実行犯辛光洙が韓国でスパイ容疑で逮捕、その釈放の嘆願書に署名をしている。前回に書いた活動家の心情のまま、そのものでしょ。福島瑞穂や志位がニュースキャスターとなりニュースに持論を展開すると、どんな内容になるぐらいは想像できるでしょう、それはニュースなのかという話で、一時期、放送大学の興味ある講座を録画してみていましたけど、学問だからそつのない内容でした、それと比べると解説やコメントを入れるニュースはその人の主観が入りすぎていてとてもじゃないけど学問の域ではない、そんな学問の域ではないことをニュースで解説して、それが正解みたいなことをすることを非難している。

 

そういう人達が権力の監視という名目で異質な平和教育に力添えをして社会に影響を与えていた、そうした集約が戦後レジュームです。安倍暗殺時にもテロを承認するように、よくやったと歓喜の声が極左陣営からありました。その心情は対象が認識に従うことから見えている世界というのが、私の言っていることとは真逆に見えていて、安倍の強権にマスメディアらが震え上がり安倍に都合の悪い報道はなく、政権に有利な報道がなされているから野党が勝てない、自分たちは抑圧されている・・・と、いくら見えている世界が違うからといっても現実離れも甚だしすぎるだろう、そいう風に見えていなければ今も高市が意図的に原油を止めて・・・と見えるわけがない。悪寒が走るというものです。

 

 

私のような人間はTBS(筑紫哲也)のおっさんは夏になると沖縄に行って感情的に毎度同じようなことばかり喋っているに見えていましたけど、筑紫の言葉に涙しシンパシーを感じる人もいるのでしょう、しかしそれはニュースではなく学校で見せる教育(同和)ビデオと同等のもの、私が学校で見せられたのは、カップルの片側が被差別部落出身で結婚となると壁があるというもの、それを見た当時の感想はかけおちしたらええねん、すこし大人になった時の感想は、相手の家柄に猛烈に反対している家族の父親が黒縁メガネをかけたいかにも頑固おやじの風貌と物言いする役設定を使っていて、一方はいかにも理解が高そうな温和な人というようなセッティングに意図を感じ、またそんなことでグダグダしている相手と一緒になっても不幸に感じるだけ、駆け落ちしてもとならないのであればやめておいた方が良いというように、同和ビデオが啓発したいだろうという感想にはならなかった。

 

筑紫哲也いわく権力監視、少数派意見の尊重、多様性の確保というのがニュース23のDNAというものらしい。権力の監視と大層なことを言うが、その権力にあらゆる便宜をはかってもらっている時点で隷属でしかない、それは中居フジテレビの件で新浪の発言に触発された企業のCM自粛だけでTV局が傾きそうになることが証明している。(やろうと思えばいくらでも手はあるという意)癌を罹患した筑紫はキャリアの幕を閉じる前のあいさつで、長く番組が継続できたのは、ひとえに視聴者に信頼されたからと発言、そのニュース23のDNAを受け継いだ人たちの番組が今、かつての視聴者から浅薄なイデオロギー を守るために報道被害を作る偏見報道機関と見られている。

 

オウム教に取材のテープを見せたのに、最初は見せていないと平気で虚偽を図ったTBS、のちに言い逃れできなくなって謝罪、それに対して筑紫は

 

報道機関というのは形のある物を作ったり売ったりする機関ではありません。そういう機関が存立できる最大のベースというのは何かといえば、信頼性です。特に視聴者との関係においての信頼感であります。その意味でTBSは今日、死んだと思います。

 

 

一旦死んだに等しい局ですけれども、これから信頼回復のために、あるいは蘇るために、努力をしようとしている人たちもいます。ある意味では、みっともない事だとは思いますけれども、とにかく、その人たちと一緒に、しばらくの間はその為の努力をしたいと思います

 

 

もうなく亡くなった筑紫哲也に問うても仕方がないが、今の現状をどう思う。