橋本愛という人が文春に書いた選択的夫婦別姓に関するコラムに感嘆したという人をXで見かけた。感嘆するほどの中身が気になったが、私はその系統の雑誌は読まないので、グーグルの画像検索を利用するという、それなりの年齢のおっさんが一体、何をしているんだというのは、重々、承知していても、やはり、その雑誌を購入するぐらいなら、まだエロ本を買った方が意義があるような気がするので、画像検索内容の一部分から読みとると、憲法の尊厳と幸福追求権が何やら、個人の尊厳、両性の本質平等が何やらを考えの拠所にして、選択的夫婦別姓の意義を述べていると推定、この手の推進派の典型的な論理展開にがっかりした、というのも未だにどうしてそこまで何かにとりつかれたようにこだわるのかの納得とまでいかなくても、それなりの理由というものを見たことがないので、他人が感嘆するほどのそれなりの理由に出会いたいという欲求があるのですが、会うのは典型的な論理展開か、その下層の保守が反対しているからと首をかしげるものばかりで、私の主張を超えるものに出会えたことがないからだ。典型的な論理展開も別にそれをどう考えようが人の勝手なのですが、これの根本の間違いは、その錦の御旗に使用している権利というものがなにから出てきているという理解がないから、権利というものが存在して当然から思考を展開しているところにあり、DEI系の言い分は最高裁の判事も含め大体がこれ。しかし、現実は存在して当然はないと言い切れる。
私の主張を超えるものに出会えたことがないなんて、えらく大きく出たものだなと見られるかもしれませんが、私はその権利の発生を支柱にして書いているだけなので、他に縛られることなく、まさしく自由に論理展開できるのが強みで、解り易く言うと、こだわりがないということです。だから、国は婚姻を制度として利用しているものの強制はしていないので、結局、事実婚が国の制度からの解放(自由)というところでは最善で、これ以上の権利と自由はないと考えるわけで、それをどうして憲法を盾に自由や尊厳が損なわれているという主張なのに、明治政府の敷いた尊厳、幸福追求権、個人の尊厳、両性の本質平等を奪っていると考えているはずの婚姻制度=強制をルールをねじ曲げてまで従おうとするのか、まったく理解ができないとなるのです。嘘だと思うなら試してみればいい、一度結婚して子供を産んでから離婚、そうすれば名前は元の氏に戻る(何も奪われていない)、たとえ元夫と同じ屋根に友人として暮らしていても、その後にその内縁との間に子供をもうけていけば普通の家族であり、氏名も失わない、扶養控除の差額は微々たるもの、行政上の婚姻はその程度のものです。外国人は偽装結婚という犯罪というリスクを背負い必要とするものを手にしようとしているのに、個人の尊厳、両性の本質平等に強いこだわりがあるなら、こんなことは簡単でしょう。ということから、氏名ではなく制度を捻じ曲げることに目的があるということかもしれない。
その程度のものなのですが、海外の近代化を真似ようとプロイセンの憲法を参考にして作られた明治憲法下の家族制度によって人口が45年間ぐらいで約1500万人増加し、72年間の1945年では7200万人と1873年の3340万人から人口を倍にして、いろんな権利を生み出している。もちろん背景にはハーバー・ボッシュ法も関係している(1887年の東京人造肥料会社)けど、それは今も同じなので、やはり人口増は明治政府の婚姻制度の賜物というほかない。それが今はどうだろう、自由や権利がなんだの結果、加速的に人口減の道を辿り、大変やと大騒ぎする人たちが大勢いて、国といえばさらに支援として巨額の公金を投入するもだだ下がる一方で一向に結果が出ていない。婚姻制度は自由、権利のしわ寄せに形骸化したのである。そこに畳みかけるように政府があほなDEI政策を推進し、権利、自由と、さらに人口減を招こうとしているので、それなら維持していくことは無理なので、国は共助である社会保障の医療、介護部分を大幅に削減します(権利も形骸化します)と最初に宣言してからあほなDEI政策=権利を推進するのが道理というものではないのかとわたしは主張している。権利と自由の結果、介護も何も、もう無くなるから、それを念頭にした生き方に変えなければならない。
サイニック理論
オムロンの創業者たちが1970年に制作した人類×技術の未来予測理論
(機械化社会→自動化社会→情報化社会→最適化社会→自律社会→自然社会2033年~)そして2025年の丁度今、最適化社会が終わり、次の自律社会の入り口だと記してあり、機械化、自動化、情報化が核家族を推進して少子化の現代が最適化ということなら次の自律と自然は結果として原始に先祖返りするということになり、このパイプサイクルは円が正確なものではないのかと思っていると、3Dで見ると螺旋状になっていてサイニック理論の帰結は原始社会に戻っていく。
女性の権利、自由!!の結果、自然社会=村社会&宗教社会(共助と謳っているけれども、実際はカースト社会)に戻っていくという。
それを表明して受け入れるなら選択的夫婦別姓、同性婚も動物婚も、お好きにどうぞという立場で、家族制度の効果が薄くなった婚姻制度の廃止まで私は主張している。介護がなく独居死が増えていく中で尊厳、幸福追求権、個人の尊厳といくら騒いでも人がいなければ受け入れるしかない、無い袖は振れないという単純な理由です。在宅介護の制度が始まったのは2000年からですから、26年目です。ということは26年前には存在しなかった、最初に存在して当然はないと書いたのはこれで、もう権利として存在しているとあなた方は考えているでしょうけど、独居死が増えていく中で幸福追求権、個人の尊厳の憲法がと言ったところでないものはない。
私のところは曾祖母は祖母が自宅で面倒を見て、祖母はほんの少し行政のサービスを利用したが基本は私の母親が自宅で面倒を見ていた。曾祖母の時代にはそんなものはなかったから利用することはできなかったので、その息子の嫁が見ていたわけですが、それは明治の婚姻制度の結果人口が増え、医療、経済が発展した結果であり、今の後期高齢者は明治政府のこしらえた婚姻制度によって増大した人口の恩恵を受けているだけです。それが人口減なのですから、ほとんどの場合は親が先に死ぬので家族がいなくなるのに、誰があなた方を面倒見るの?そういえば80,50問題というのもありました。そうした権利が条件により縮小していくことは自然のこと。そもそも憲法も人がいて国があるから発生したものです、いくら平和憲法と泣き叫んだところで、それは国があるから意義があるのであり、国と平和は憲法で守っているのではなく人間と武力、侵略され国が無くなれば憲法も消える、という1+1=2程度のことがわからない人が大勢、この日本には存在している。
なので私は一つだけあなた方の為に国に慈悲をと希望したいのが安楽死です。むごい死に方をするなら点滴の調整弁を自分自身で回すだけの方が良いでしょ。これも権利でした。
