ショスタコーヴィチの時代 ⑬
ついに、ショスタコーヴィチの初期のエポックメイキングな作品である、歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」までやってきました。これまでの創作活動で取り組んできた成果が全て揃った傑作とも言えると思います。そして、この作品が以後のショスタコーヴィチの歩む道を大きく変えることとなりました。1932年に完成されたこのオペラは、1934年の初演以来、ソビエトのみならず、国外でも大成功を収めることになります。

【CDについて】
作曲:ショスタコーヴィチ
曲名:歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」op29 (154:51)
演奏:ロストロポーヴィチ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
アンブロジアン・オペラ合唱団
ヴィジネフスカヤ(s)、ゲッダ(t)、ペトコフ(bs)、クレン(t)、ティアー(t)、
ヴァリャッカ(s)、他
録音:1978年4月1-22日、ロンドン アビー・ロード・スタジオ
CD:TOCE-7639/40(レーベル:EMI、発売:東芝EMI)
【曲と演奏について】
ショスタコーヴィチは、ロシア・アヴァンギャルド以降、1920年代当時のソビエトの芸術の発展の中で、舞台や映画などに数々の作品を残し、1930年に歌劇「鼻」以来のオペラ製作に取り掛かります。それは、これまでの創作活動や、社会主義リアリズムの流れに阻まれながらも発展してきたソビエトの芸術を集大成したものにもなりました。原作はレスコフの同名小説。岩波文庫の「真珠の首飾り」という短編集に収録されていますので、日本語でも読むことができます。
「ムツェンスク郡のマクベス夫人」は大成功をおさめ、頻繁に舞台にかかるようになり、世界各地でも上演され、ショスタコーヴィチの名声は不動のものとなっていきますが、1936年1月26日、スターリンが劇場を訪れ観劇中に途中退席すると、1月28日のプラウダに「音楽のかわりの荒唐無稽」という批判記事が掲載されました。以降「人民の敵」というレッテルを貼られ、ショスタコーヴィチの演奏会には、「本日は人民の敵ショスタコーヴィチの演奏会です」といった宣伝がなされるようになりました。
無記名のプラウダ批判は党の意思、つまりスターリンによるもの、当時の大粛清の嵐の吹き荒れる中で、ショスタコーヴィッチも以降無難な作品を発表するようになり、準備されていた交響曲第4番なども、しばらく演奏されることはありませんでした。「ムツェンスク郡のマクベス夫人」には、過激な性表現や性的虐待の場面も含まれ、そういった部分も含め批判の対称になったものですが、そもそも大粛清は革命以降のソビエト政権安定化と発展のために尽力した党員たちが悉く粛清され、スターリンに批判的態度の出る可能性をつぶすものであったことから、なにがしか目立つ活躍をすれば対象になりうるものであったという事も出来ると思います。
さて、久しぶりにこの曲を聴いてみたいと思います。聴くのには気合がいるので、めったに聴かないのです(笑)。全体は4幕9場から成り立っています。
第1幕
第1場:イズマイロフ家居間
カテリーナは裕福な商家のイズマイロフ家に嫁いできましたが、舅のボリスからは、常に良き妻であるようにと小言を言われ、一方、夫ジノーヴィとは愛のない生活。若い希望と時間を持て余し、人生に失望しています。そこに女癖の悪いことで有名なセルゲイが新しい使用人として加わりました。
まずは、物語の背景が作り上げられます。不穏な音楽を主体に進行し、これからの展開を暗示していきます。
第2場:イズマイロフ家の庭先
セルゲイや使用人たちが、女中のアクシーニャをいじめているところにカテリーナが通りかかり、カテリーナはセルゲイを叱責しますが、セルゲイはカテリーナを押し倒します。その場を見たボリスは、言い訳をするカテリーナに対し、息子に言いつけてやると怒ります。
このアクシーニャへの虐めのシーンは、音楽も台詞も刺激的な内容であり、刺激的な音楽になっています。なかなか衝撃的な印象を与えるものでした。
第3場:カテリーナの寝室
その夜遅く、寝室で一人でいたカテリーナのもとにセルゲイが忍び込み、カテリーナをものにすると、カテリーナもセルゲイの虜になってしまいます。
第3場への間奏曲が、この場を象徴するような、刺激的な音楽になっています。そして、孤独を嘆くカテリーナのアリアは美しく、セルゲイが入ってきてからのレイプ・シーンは、成るべくして成ったという雰囲気で進行します。この性行為を描写した音楽は過激なもので、ショスタコーヴィチのこれまでの舞台音楽の一つの成果ともいえるものです。しかし、批判の対象となったのも、まさにこの部分にありました。
第2幕
第1場:イズマイロフ家庭先
ボリスは夜半庭に出て、カテリーナに対する欲望を歌います。そこへセルゲイがカテリーナに別れを告げて出てくると、ボリスはセルゲイを捕まえ、怒りに任せて激しく鞭打ちを与えます。ボリスは打ち疲れると疲れると、カテリーナに食べ物を要求。カテリーナはキノコスープに殺鼠剤を入れて差しだします。ボリスはすぐに苦しみ始め、司祭を呼んで懺悔し、カテリーナを恨めしげに指さして息絶え、カテリーナは悲しむふりをして、キノコによる食中毒と訴えます。
ボリスが、あと10歳若かったらと、性欲をあからさまに表に出して歌うところに、更にセルゲイに先を越された格好になって恨み百倍、激しい鞭打ち場面が展開します。鞭の音が大変リアルで執拗に続く激しい音楽です。そして、カテリーナに毒殺されたとわかったボリスの恨みの場面を経て、第1場は終ります。そして第2場との間に壮大で悲劇的な間奏曲が差しはさまれます。この曲の中でも有名なパッサカリアです。あたかも後年の交響曲を聴いているような壮大な音楽であり、またこの場はこの歌劇の中でも核心部の一つになっています。ショスタコーヴィチの素晴らしい管弦楽も聴きものですね。
第2場:カテリーナの寝室
カテリーナは寝室でセルゲイとの逢瀬を楽しんでいますが、ボリスの亡霊に悩まされていました。そこへジノーヴィが帰ってきて、不義の現場を押さえられ、カテリーナは革のベルトで打たれますが、隠れていたセルゲイに助けを求め、二人でジノーヴィを殺すと穴蔵に隠してしまいます。
舅を殺し、二人は愛の逢瀬を重ねるうちに、夫までも邪魔だと考え始めます。寝室でのシーンの中で、感情がエスカレートしていく様子や、亡霊に代表される罪の意識が巧みに表現されていきます。脚本はショスタコーヴィチ自身が書いていますが、素晴らしい心理劇が展開する場面です。すぐ眠ってしまうセルゲイの様子から、カテリーナとセルゲイの微妙なずれ、つまり愛情にすっかりはまっている女性と、遊び人の男の描写が未来を暗示させていきます。カテリーナの眠りの場面は美しいヴァイオリンのメロディで表現されますが、心なしか不安定な音楽になっています。
第3幕
第1場:イズマイロフ家納屋の前
カテリーナとセルゲイの結婚式が自宅で行われる日、穴倉に隠したジノーヴィの死体を気にするカテリーナですが、セルゲイは人にそんな様子を人に見られると大変と諫めます。しかし酔っぱらった農夫が死体を発見してしまいます。
二人の結婚式の日、カテリーナには罪の意識に苛まれています。そして、死体が発見されます。この死体発見の場面の音楽はショスタコーヴィチの音楽によく出てくるスケルツォです。それもかなり賑やかで複雑で聴きごたえがあります。そして…
第2場:村の警察署
警察では、署長も警官も手持無沙汰で、収入の少なさを愚痴っています。そこに死体を発見した農夫が飛び込んできます。
暇で、儲け話はないかと愚痴っている警官たち。ショスタコーヴィチの風刺劇の場面です。この歌劇の中でも息抜き的場面になっています。
第3場:イズマイロフ家納屋の前(宴会場)
宴もたけなわとなり、披露宴に参加した客や司祭は盛り上がって、二人にキスを求めています。しかし、カテリーナは死体が見つけられていることに気付き、二人はその場から逃げようとしますが、警官隊が現れ逮捕されてしまいます。
酔いつぶれた客や、二人を讃える司祭、警官の行進曲など、諧謔的な場面が続きますが、最後に二人は捕らえられ、物語的には一つの展開が終わります。
第4幕
第1場:シベリア街道 湖のほとり
カテリーナとセルゲイはシベリアに流刑となり、2人と流刑者たちは途中の湖のほとりで休憩します。カテリーナのただ一つの心の支えはセルゲイですが、セルゲイは自分の流刑はカテリーナのせいだと言い放ち、別の女囚ソネートカと関係を持ってしまいます。カテリーナは絶望し、ソネートカを道連れに湖に身を投ると、役人は出発を告げ、囚人たちは物悲しい歌を歌いながら行進していきます。
セルゲイの心変わりと、ソネートカや囚人からの侮蔑にあい、すべての希望を失ったカテリーナが最後に悲痛なアリアを歌います。ロシア文学や音楽の伝統を引き継ぐ、荘厳で哀愁溢れる名場面が展開し、劇的なクライマックスを迎えます。このけた外れの無常観や因果応酬は、ロシアの芸術や映画などの中でもよく見られる大変魅力的な場面だと思います。音楽は美しくもあり、厳粛でもあります。
さて、最後まで一気に引き込まれてしまう20世紀の名作歌劇でした。ショスタコーヴィチはこの後歌劇に関しては成功作を作り出せていませんが、あまりにこのオペラの内容が深く、政府から受けた批判の衝撃も大きかったこと理解します。その後、雪どけの時代に多少毒気を抜いた形で、「カテリーナ・イズマイロヴァ」op114として改作され、当時のソビエト国内でも演奏されるようになりました。その時代にあっても人々を引きつけてやまないこの歌劇は、ロシア文学の伝統と、ショスタコーヴィチのよく練られた台本と管弦楽による、曲そのものの持つ力が、大変大きいものだということだと思います。
このCDを録音したロストロポーヴィチは、1974年に亡命して、ソビエトを離れました。そして、ショスタコーヴィチとも親交のあったロストロポーヴィチは、原典版のスコアによって、この曲の世界初録音を果たしました。主演は妻のヴィジネフスカヤが担当しています。当時も大いに話題になった録音です。ヴィジネフスカヤの強い声で演じられるカテリーナの強烈で悲痛な歌や、華やかで強靭な管弦楽が再現され、大変な力を感じることができる演奏だと思います。いつも聴くわけではありませんが、私にとっても、最も感銘を受けたCDの一つです。
【録音】
何かと問題のある当時のEMIの録音ではありますが、これは演奏者の気持ちが乗り移ったような素晴らしい録音になっています。
【まとめ】
ショスタコーヴィチの前半の最高傑作だと思っている「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を久しぶりに聴くことができました。この後もしばらく、1936年のプラウダ批判を受けるまでの間、充実した作品を作曲し続けることになります。まだまだ続きます。
購入:不明、鑑賞:2023/10/09(再聴)