ショスタコーヴィチ:オラトリオ「森の歌」 フェドセーエフ モスクワ放送響他 (1991) | クラシックCD 感想をひとこと

クラシックCD 感想をひとこと

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ショスタコーヴィチの時代 ㉟

オラトリオ「森の歌」は、ショスタコーヴィチがジダーノフ批判による冷遇から逃れるために作曲された作品とされており、合唱曲としてはショスタコーヴィチの最も良く知られた作品となっています。かつては日本も含めよく演奏された作品でしたが、近年はそのレーニンやソ連共産党を賛美する内容が災いして、演奏頻度は大変少なくなっています。

【CDについて】

作曲:ショスタコーヴィチ

曲名:オラトリオ「森の歌」op81 (37:50)

演奏:フェドセーエフ指揮、モスクワ放送交響楽団、ヴェデルニコフ(bs)、マルティーノフ(t)

   ユルロフ名称ロシア共和国合唱団、少女合唱団春

録音:1991年8月16-17日 モスクワ Moscow Radio Large Hall

CD:VICC-83(レーベル:VICTOR、発売:ビクター音楽産業)

 

【曲と演奏について】

ジダーノフ批判を受けて、ショスタコーヴィチは要職を解任され、多くの曲の演奏機会も閉ざされてしまいます。そんな中で、ソ連国内の緑化計画を知ったショスタコーヴィチはこのオラトリオの作曲を思いつきます。出来上がった作品は、スターリンをベタベタに讃える内容で、見事スターリン賞第一席を獲得。世界中の共産主義者に伝播され、スターリンを讃えることとなったのでした。これが、1949年版です。

 

スターリンの没後スターリン批判が起こると、そのままこの歌詞を使用する訳にはいかなくなります。そして、スターリン色を一掃し、愛国とレーニンと共産党を讃える1962年版へと歌詞に差し替えます。露骨なスターリン讃歌が共産党讃歌に変わったということですが、ショスタコーヴィチは基本は愛国主義者であり、レーニンを信奉する立場の様子なので、これはこれで、落ち着いたというところでしょう。

 

この曲は、当時は日本でも盛んに歌われたようです。ショスタコーヴィチがこの曲でストレートに実践し利用した社会主義リアリズムのおかげで、歌いやすく効果的な曲になっており、第4曲は子供の合唱で歌われることから、幼稚園でも歌われていたとのこと。特に1950-60年代は、労働運動や学生運動も盛んなご時世で、歌声喫茶を中心に「うたごえ運動」が広がっていきましたので、その中でも盛んに歌われていたようです。この運動母体の団体は、今でも継続しているのですね。

 

1949年版による唯一の?正規録音と思われる、ムラヴィンスキーの録音

 

そして、ロシアはソ連崩壊と共産党支配の終焉を迎えます。1991年8月19日に、ゴルバチョフ大統領に対する保守派のクーデターが発生しますが、この録音はその直前の8月16日~17日のもの。このCDの帯には「二度と本国では録音されないであろう記念碑的録音」と書かれていますが、これは決してオーバーではないようで、実際ソ連時代に迫害を受けた国民も多い中で、一種のタブー化しているかもしれません。まだソ連崩壊前のこの録音時でも、共産党賛美のこの曲への、楽団員の抵抗はかなりあったようです。日本ではあまりそういった抵抗感がないので、演奏機会は時々あるようです。

 

さて、フェドセーエフの演奏はあまり比較するものがないので演奏に言及はしづらいのですが、最後はさすがにしっかり盛り上がっていきます。最後は「愛するスターリンに栄光あれ」、であり「叡智溢れるスターリンに栄光あれ」なので、その極めて単純で誰にでもわかる歌詞と派手で盛大な盛り上がりは効果てきめんというところなのでしょう。この演奏は1962年版ベースなので、そこはスターリンを「我らが党」に変えるわけですが、原語で聴いているのでどちらでも一緒という感じです。

 

ともかくも、歌詞の内容や、成立のいきさつなどを考えなければ、フーガからクライマックスへ進んでいくフィナーレなど合唱曲の傑作には違いないと思いますし、ともかくも、ショスタコーヴィチは、ジダーノフ批判はまだ続いているものの、大作曲家のパワーを発揮して、とりあえずは名誉を回復したということでした。

 

購入:1992年、鑑賞:2024/03/18(再聴)