ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調 ソヒエフ指揮 トゥールーズ・カピトールo (2021) | ~Integration and Amplification~ クラシック音楽やその他のことなど

~Integration and Amplification~ クラシック音楽やその他のことなど

学生時代から断続的に聞いてきたクラシックCD。一言二言で印象を書き留めておきたい。その時の印象を大切に。
ということで始めました。
そして、好きな映画や読書なども時々付け加えて、新たな感動を求めていきたいと思います。

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2つのテーマのコラボです。でもこのシリーズにショスタコーヴィチを書くのは少々ためらっていました。この枠でとらえるには、あまりにも大きすぎます。しかし、書かないのもおかしいので、登場させました。この曲は、かつて私がショスタコーヴィチを熱心に聴き始める契機となった曲でもあります。

【CDについて】

作曲:ショスタコーヴィチ

曲名:交響曲第10番ホ短調 op93 (1953) (55:39)

演奏:ソヒエフ指揮 トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団

録音:2021年9月8-10日 トゥールズ Halle aux grains(ライヴ)

CD:9029 637771(レーベル:Warner Classics、販売:ワーナーミュージック・ジャパン)

 

【曲に関して】

ジダーノフ批判のあと、しばらく体制に迎合していたかに見えたショスタコーヴィチですが、スターリン死後に間髪を入れずというタイミングで、1953年に交響曲第10番を発表しました。そのタイミングは、小説で時代の代名詞となった「雪どけ(1954)」以前のタイミングであり、世界を揺るがせたスターリン批判(1956)は更に先のことです。時代が移り変わる最初期のタイミングでのこの曲の発表は、随分問題となったようです。

曲全体の流れを端的に表すと、第一楽章は暗い曲調で始まる長大な楽章で、圧政による抑圧を思わせる、閉塞感の漂う音楽。第二楽章は、荒れ狂う独裁者、第三楽章は抑圧の中らの覚醒、第四楽章は、覚醒した自我の勝利…とまぁ、こんなところがなんとなくイメージしているところです。細かいところは多々あると思いますし、いろんな意見が争われる音楽でもあります。

 

私は、もともとショスタコーヴィチにはある程度の興味を持ちつつ普通に聴いていましたが、もっぱらバーンスタイン指揮の交響曲第5番中心でした。そして、カラヤンの第10番の新盤を聴いて曲の面白さに興味を持ち、インバル・ウィーン響の演奏を聴いて以来、いろいろと熱心に聴くようになったという感じです。この曲はショスタコーヴィチにハマる入口でもあったのでした。当時は、ショスタコーヴィチのLPやCDを探すことがなかなか大変だったという時期で、新譜というと飛びついたものですが、今や完全に普通のレパートリーになっていますね。

 

【演奏についての感想】

昔、あんなに聴いていたショスタコーヴィチですが、ここしばらくはほとんど聴いていませんでした。特に第10番は聴いてしまうと再びこの世界に入って行きそうで、封印していた感じもありますが、このシリーズで聴き始めるとどうしてもここに行きついてしまうのですね。

そして、こわごわ買ったソヒエフのCD。意を決して聴いてみます…(笑)。冒頭は、重苦しい音楽でスタートします。最初にDSCHの音形が微かに入っています。ソヒエフの演奏はゆっくりとした重苦しい表情を更に際立たせた格好で表現していき、余計に沈んでいきます。第二楽章に入ると、一転かなり快速な颯爽とした演奏。独裁者は荒れ狂っていますね。第三楽章ではっきりと表れる、DSCHの音形。この音形の登場が際立ってじっくり強調されているように感じます。その後DSCHが頻出していきますが、それぞれいろいろな表情で現れてくるところが聴きどころでもあります。そして、第四楽章でDSCHの音形が凱歌を上げます。全体的にズシリとした演奏だと思います。

 

かつてこの曲を聴いていた頃は、ちょうどペレストロイカ前後か、少し時代が経過した頃だと思いますが、当時はまだソ連という統治機構のイメージが色濃く残っており、演奏もそんな時代背景を考慮したものが多かったと思いますが、今や時代も変わり、今聴くソヒエフの演奏は、ショスタコーヴィチの作曲した時代の情勢から離れ、普遍的な感情や事象を表現しているように感じます。

しかし、そのソヒエフがこの曲を演奏した後、ウクライナ情勢の影響で、彼自身踏み絵を踏まされた格好で、トゥールーズとボリショイの両方の地位を辞任することになりました。ソヒエフはそういった時代に翻弄されつつ活動を続け、定期的にN響にも客演しています。ウクライナ情勢以前に演奏されたこの曲は、期せずしてこのショスタコーヴィチの音楽が、社会の普遍的な事象と人間の苦悩を表現していることを改めて示してしまったのかもしれないとも考えてしまうのでした。

 

購入:2023/06/23、鑑賞:2023/07/11