支援という言葉に差別はない | pomのブログ

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青山です


本日はどうしても皆さまに事前にお伝えしておきたい事があります。
それは、私が支援する活動において、相手の性別や年齢、人種など、差別はないという事です。

日本人というのは非情に真面目で遠慮がちです。それは私が日本人としてのアメリカ在住が長いので、日本にいる日本人よりも日本人の特質を客観的に洞察ができてます。

アメリカでは自己主張が必要とされる国です。自分が何をしたいのか?自分には何ができるのか?そして一体アナタは相手にどれだけそれらを表現できるのか?を求められます。そこには遠慮とか日本人特有の曖昧さはありません。ハッキリしております。


もし私の日記を御覧になってる方の中で私への支援依頼を考えてる方。迷う事はありません。アナタの立場や性別、年齢、関係ありません。そして私に対して依頼をする構造や心構えも単純明快です


1 アナタは一体どうして支援が必要なのか?
2 支援される事でアナタはその後、人生をどうしたいのか?
3 互いの信頼関係で成り立つ支援活動において【気概ある行動】が可能か?


大きく分けてこの3つだけです

私が何故支援活動をするのか?などは私のブログを見て判断して下さい。
そして私が支援するにあたり、私が相手から望むものは物理的な見返りは一切ありません。そんなものは無価値です。同じ日本人としての気概が欲しいのです。

そしてその現状を打破したいという思いや気概が皆さんの将来を未来を大きく変えると信じてますし、私はその未来に加担したいのです。この私の信念と気概に対して、支援依頼をする方々にも同じような精神性と気概を持って行動して貰いたいと思ってます。

例えば、一丈の塀を越えられない人が二丈の塀を越えられる訳がありません。

人生とは壮大に見えて内情は実に地道の積み重ねです。一つずつ一つずるクリアにしていくのが人生です。ですが人生は時間が有限であり、急を要する状況の方も沢山いらっしゃるのです。

だからこそ人生には金銭的にも時間的にもショートカットできるような局面が必要な時が発生します。多額な借金を背負って今にも治療費が必要な方もいるでしょう。夫が仕事もせず子供の養育費がなくて急を要する母もいるでしょう。色々な問題を抱えた方がいます。

けれどもそれは個人の様々な問題であって、他人には知るよしもない話です。でも私はそれらを他人事で見たり傍観はしません。その方に、その問題を抱える方にその状況を打破したいという気概があるのならば、その気概に賭けてみたいのです。

その方の気概を信じて自分の財産を活かしたいのです。

もし私が仮に支援金額として1000万円のお金を渡したとしましょう。その1000万円というお金が世間一般の常識としてどれだけの労力に対して手にできるお金か否かは常識ある人であればお答えできるはずです。100万円でも1万円でも同じでしょう。お金の価値が解りますか?という意味です。

私は支援する金額の大小によって自分の恩の深さを語ってるのではありません。自分の身の丈や能力、または社会的に見た大金を作り出す事の「大変さ」と、支援希望する方ご自身が行動で示せる度合いを天秤にかけた時、その方の気概が支援依頼に関してどれだけ真剣であるかを知りたいのです。

何故なら、支援される側が誠意として私に見せるべき点はその【気概ある判断と行動】が全てだからです。

汚い言い方ですが、支援は希望するがでも努力はしたくない、何もさらけ出したくない、青山も信じれない、気概もない、でも支援はして欲しい。

こういう方には私からもお話をする事は一切ありません。
ですが、実際にこういう方からのメッセージも多数頂きます。

これら私の真剣な思いを「単なる重苦しい話しである」という感覚で捉える方は、その時点でその方はそんなに大きな悩みを抱えてもないのに私から支援を受けたいと思ってる証拠です。

本当に悩み現状が苦しく、どうにかして状況を打破したいと思ってる方であれば、私のブログのお話や気概の意味、そしてそれらを単なる「重苦しい話」として捉える事はないと思ってます。本当に現状打破を真剣に考えてる人がそんな冷静な捉え方や自己保身な捉え方をする余裕すらないはずですから。

最後に話を要略します。

私は気概ある行動の人に支援を試みます。何故なら、私も真剣だからです。
不安なのはお互いに同じです。互いに明るい未来を信じたいんです。互いに人生を良くしたいんです。互いに家族を日本人を良くしたいんです。自分も家族も良くなる事は日本が良くなる事を指します。その逆を望む人なんていません。


相思相愛の精神で互いを信じあえる方からのメッセージをお待ちしております。