2つの喜びと一つの憂い | pomのブログ

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本日は久しぶりの日記になります。

体調不良にて病院にかかりきりというのもありましたが、それは言い換えれば「いつもの事」ですが、私にとって何よりも嬉しい事がここ最近で2つありました。

一つは以前支援した神奈川県在住の江越さんから元気になり今では趣味の登山もできるようになったという報告を写真付きで頂いた事。江越さんは癌で倒れ、一時は生死の境をさまよった方です。

町工場の二代目で、この不景気の中で自営業として繁盛していましたが、突然の病魔で人生が狂い、会社も倒産寸前に。年齢も40歳と若く、死ぬにはあまりにも早い。私は彼を助けたいと思いました。

莫大な医療費や会社の借金などで苦しんでおりましたので、直ぐに支援をしました。あれから1年。
今では病魔との闘いで体調も復活し、事業の方もやっと立て直し、最近になって趣味である登山を再開したとの報告を受けました。下記はその写真になります。

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2つ目の朗報ですが、私のブログを通しての支援活動が日に日に普及し始めたのか、色々な励ましのお声やメッセージの数が急激に増えてるという事です。8月5日に日記を書きまして本日で2週間くらい過ぎましたが、日記を書けなかった最大の理由が、

皆様からの支援依頼の急増と、叱咤激励含めたメッセージの急増でその対応に追われていたため

私にとっては嬉しい悲鳴です。私は、支援活動をしていてよく言われる事があります

青山さん個人にとって何ら利益のない無償の支援をしていて、一体それの何のプラスになるのですか?大変失礼ですが、青山さんの支援活動は時に「綺麗ごと」として移ってしまう事がありますし、実際そう捉えてる方が多いのでは?と思います

通念から考えれば「仰る通り」の指摘だと思います。

もし私のブログを本日始めて見た方がいるなら、お手数ですが私の過去記事などを読み返して下さい。
通念なる疑問に対しての答えが見受けられるはずです

私が個人支援する事の使命と目的は「人間を弱者のまま終わらせないこと」です。弱者とは人間的な弱者ではなくて、物理的な弱者です。世の中には物理的に弱者でも人間的には強い人が沢山います。
または、その可能性を秘めてる方が沢山います。

けれども、世の中の理不尽や色々な不幸の連続で、不幸という名の牢獄から抜け出せずに苦しんでる人達が沢山います。私はねずみ小僧のようにお金持ちからお金を奪い、それを貧困に苦しむ一般の方へ支援するような影のヒーローにはなれません。そんな大胆なカリスマ性もありません。

だからこそ私は自分で地道に作り上げた地位や財産を有効活用できる方法として、私自身の生き様として、私は病魔と闘いながら余生の過ごし方、生き方を模索した結果として「個人への無償支援」を行っております

冒頭に私は「嬉しい事が2つあります」と言いましたが、個人支援の依頼が増えるという事は私にとって微妙な感情でもあるのです。

それは支援依頼が増えれば増えるほど私の活動が普及してる、私が多方面から信頼を勝ち取ってるという反面で、それだけ「支援を必要とする苦しい人が世の中には多い」という現実を知ることになるのです。
私個人としては嬉しいですが、社会という全体で見た時には「悲しい現実」だと思います。

まさに「2つの喜びと一つの憂い」なのです

今月に入り、私は既に3名の方に合計で数千万円の支援をしました。一般的な感覚では大金かもしれませんが、仮に私は支援のために数十億の資産を用意していたとしましょう。

月に1億の支援を数名に行っても年に12億です。そして支援した人数は年間で数十名になります。3年間で36億になります。その頃には支援者が数百名になります。

数百名という人間のネットワーク、大きさ、力は凄いものがあります。私が支援した事でその人達の人生、そしてその人達の先にある子供、孫にまで善の影響を与える事ができれば本望です。

私の命が3年後にあるかないか解りませんが。
私の余命が3年後も力強くあるかないかで言えば、非常に微妙な見解であると思います。

私はけして人生を悲観してる訳でも自分の余命に希望を無くしてる訳でもありません。
ただ、こういった活動をして以上は、良い意味で誰よりも冷静で慎重な思考であるべきだと思ってます。
良い意味で「悲観的な視点」を持って支援活動をしたいと思ってます

言い換えると、私からの支援が必要だと思った人は直ぐにアクションを起こすべきだと思うのです。私はいつ死ぬか解りません。いつこの活動の終止符を打たざるを得なくなるかも解りません。

人生は一瞬一瞬が勝負です。決断の連続です。

私は数十億円の資産をこの60年の人生で作り上げました。不動産などの資産も含めればもっとあるでしょう。
けれども人間はお金と不動産という財産を持ったままお墓に入る事はできません。墓に入っても私という存在が残るのは、私が生きた証となる「生き様」と、皆の心と脳裏に刻まれ焼き付けた私という人間そのものの記憶だけです。

少し重いお話になりました。失礼しました。

私が真剣に個人支援をしますからには、依頼希望をされる方にも誠意と真剣さ、そして行動力を期待します。支援する側もされる側も、真剣の二文字があってこそ成り立つものです。

メッセージを頂ける方々全てに、お願いしたいと思っております。

何卒よろしくお願い申し上げます。