私は35年くらい前に自分のお墓を買いました。
まだ現在のように資産家じゃなくお金も無かった頃です。知人からの勧めもあって安く買えたのと、当時から私は自分の生き方に対して「決めてから動く」をモットーにしておりました。
昨今の風習を見ましても自分の墓を若い頃に買ってしまうなんて発想は中々理解されない事です。それは生死観がしっかりとしてない事と「決めて動く」という信念や生き様に欠けるからだと思います。
私の知人でレスキュー隊員がおりますが、彼は過酷を予想される救助の際には必ず家族に向けた遺書を毎回書くと言います。
これは覚悟の表れであって、墓も同じと私は考えてます。
いつ死んでも悔いのない生き方をしたいという信念から、私は自分に発破をかける意味で若い頃に墓を買いました。自分へのプレッシャーです。
私は日々の支援活動の中で覚悟をしてます。
ですから支援を受ける側にも大なり小なりで覚悟をして頂きたいと思ってます。それは武士が切腹するかのような覚悟ではなくて、自分なりの最大限の覚悟をして頂きたいという事なんです。
今までのご自分の人生の中で今回が一番の覚悟であったというくらいの覚悟で構いません。
何かしらの「心意気を見たい」という本音が私にはあります。
弱音は極力吐かず、出来る限りの事はして欲しいという願いがあります。
なぜなら、支援する側の私は人生いつ死んでも良いという覚悟を決めて生きてるのに(※お金を支援する事の覚悟じゃありません。私の生き方の覚悟です)支援される側が覚悟のない人生を歩んでいるのであれば、それはあまりにも悲しいじゃないですか。
まるで糠に釘を打ってるような気分です。
私が無償支援をすると覚悟して生きてるからにはお金を支援する事に惜しみなどは一切ないのです。
ですからお金を惜しむ覚悟を言ってるのではなくて、私は「自分の生き方に信念がある」ので、支援希望者側にも何かしらの信念なり覚悟を持って頂きたいという願いなんです。
どうか、この意味合いを支援希望者の方にご理解頂ける事を願っております。
日々支援希望者からメッセージがきます。まずは遠慮なくお声かけ下さい。
青山