お気に入り車両「雷鳥ラストラン」 | 夢見る“乗り & 撮り鉄❤日記”

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古川 amor 望夢のブログへようこそ !!
ブログ開設は、2008年9月12日、
日本だけでなく,海外の鉄道も紹介してます.
掲載記事は750件を超えており,貴重な写真も少なくありません.
ぜひ,お楽しみください !!
※福井県大野市出身、金沢市在住

3月11日は、特急「雷鳥」のラストラン。
用事先が新大阪駅から徒歩5分のこともあって、
金沢発の「雷鳥8号」を、新大阪駅上の歩道橋から待ち構えました。

パノラマカーを先頭にした「雷鳥号」は、
約13分遅れで新大阪駅に到着。
そして、終着の大阪駅に向けて発車して行きました。


●新大阪駅に停車中の最後の「雷鳥8号」 2011年3月11日撮影


●大阪駅に向かう最後の「雷鳥8号」 2011年3月11日撮影


●大阪駅に向かう最後の「雷鳥8号」 2011年3月11日撮影


●大阪駅に向かう最後の「雷鳥8号」 2011年3月11日撮影


東北と関東地方の地震の影響で、東海道新幹線が運転見合わせとなり、
研修会は、予定を早めて16時前に終了することになりました。

久しぶりの金沢に向かうために、大阪駅11番ホームに向かいました。
発車1時間前なのに、多くの方が乗車札の下に待っていました。
向かいの10番ホームと11番ホ-ムの端は、“撮り鉄”集団で溢れています。


●大阪駅10番ホームの“撮り鉄”集団 2011年3月11日撮影


●お別れプラカードを持った乗客 2011年3月11日撮影


●最後の「雷鳥33号」の入線 2011年3月11日撮影


●最後の「雷鳥33号」の表示 2011年3月11日撮影


●最後の「雷鳥33号」の乗客を誘導するお姉さん 2011年3月11日撮影


●最後の「雷鳥33号」の車両は1972年製造 2011年3月11日撮影


最後の「雷鳥33号」は、大勢のファンに見送られて、
ほぼ時刻通り、大阪駅11番ホームを後にしました。

●窓の外は、見送りのファンで一杯でした 2011年3月11日撮影


●最後の「雷鳥33号」の行き先表示幕 2011年3月11日撮影


途中の「堅田駅」では、トラブルのため10分ぐらい停車しました。


●堅田駅に停車中の「雷鳥33号」 2011年3月11日撮影


途中駅では、駅員さんや地元の方が手を振って見送ってくれます。
車内放送では、特急「雷鳥」の歴史の解説もありました。
ラストランというのは、初めての体験。
さみしさがこみ上げて来ます。

●最後の「雷鳥33号」を見送ってくれています 鯖江駅 2011年3月11日撮影


車内は、1両ずつ車体番号をメモ取る人、
カメラを抱えて車両を行き来する人、
車窓を録画する人、
そして、車内放送を録音する人など、
それぞれのお好みでにぎわっていました。
福井に近づく頃には、車内も落ち着いて来ました。


●「雷鳥33号」6号車自由席の様子 福井駅の手前 2011年3月11日撮影


●福井駅発車後の車内検札 2011年3月11日撮影


●お手製の「雷鳥」ボードと乗車する人も・・・ 2011年3月11日撮影

約20分遅れで、
「雷鳥33号」は無事に金沢駅に到着。
この頃には震災の被害の大きさが伝わって来たようで、
予定されていた記念イベントは中止となりました。


●「雷鳥」乗車の最後の座席 2011年3月11日撮影


●約20分遅れで最後の「雷鳥33号」が金沢駅に到着 2011年3月11日撮影

●金沢駅コンコースの「雷鳥」パネル 2011年3月11日撮影

 

【東日本大震災のこと】
2011年3月11日、14時46分。
そのとき、研修会のお世話で新大阪駅近くのホテルにいました。

あれっ、めまい?
疲れがたまっているのかな・・・・と、その時は思いました。
後ろの座席から「地震じゃないの」という声が聞こえたので、
運営関係者として、確認のため運営スタッフのもとに走りました。

なんと、マグニチュード8.8(確認時)の大地震。
まさか、こんなに大きな被害になるとは思ってもいませんでした。
地震発生からちょうど1カ月。
まだ、行方不明の方が1万4千人以上もいらっしゃいます。
復興までの道のりは長いですが、くじけないでください。
ふるかわひろゆき no 『撮り鉄日記』-「明日への希望」 宇部新川にて
● 「明日への希望」 宇部新川にて 2011年4月5日撮影