サヴァー・サーンの回想録(さばの回想録)

サヴァー・サーンの回想録(さばの回想録)

眠れない夜の先に見えてくるもの。
それはただの幻影。

大変ご無沙汰していました。

ブログを書くのは何年ぶりだろう。

義務でもなく書きたくなったから書くまでのことです。

今日はたくさん話したいことがあるからね。

X(Twitter)では足りないんです。

 

明日10/4は、私の元推しである「ひなぴ」こと岡崎日菜さんの21歳のお誕生日です。

彼女との初めての出会いは 2019年7月20日、大分音楽館でした。

これは初めて撮った日のお写真です。

(信頼関係が感じられない普通の表情のお写真w)

それ以来、彼女の所属する大分のご当地アイドル SPATIOに足しげく通う日々でした。

2020年12月に大分でのアイドル人生を終え、東京に行きしばらくしてまたアイドルを始めて。

 

最後のグループでは雑誌のグラビアを飾るなどの華を飾りましたが、

グループでのリーダーというポジションで壮絶なプレッシャーを感じながら

想像を超える悩みや苦しみがあったのだと思います。

 

その後、ひなぴは今年の5月、東京で所属していたグループを辞めて、

アイドル人生に自ら終止符を打ちました。
 

私は物理的に離れていて結局何もすることができなかった。

ライブを応援したり、会いに行って話すことで支えることができない自分は、

いつしか「推し」とは言えないくらいの情けない存在になってしまっていました。

いつも会っていれば彼女の変化に早く気づけたかもしれない。

そういうことも考えましたが、結局そういう運命だったんだと思います。

 

「祝福された卒業ができたわけではない。」

私の中での悔しさはそこにありました。

彼女が自身の命を賭けて取り組んだアイドル人生の最後だから。

 

彼女の人一倍の熱意や頑張りを知っているから、せめて。

これまでよく頑張ってきてたこと、労ってあげたかった。

ひとりの彼女を全力で推していたヲタクとして。

でもそれはかなわないことでした。

 

そして、今年の初夏のとある日。

大分でまた彼女の姿を見ることができた。

また新しい一歩を踏み出しているであろうということ。

未来へと進行形で進みだしていること。

彼女からそれを聞けた。

 

今、心身ともに万全な状態でそうかどうかなんかわからないけど、

一から十まで面倒を見ないといけない子供じゃないから、

少し元気を取り戻しているっぽい彼女の言葉を信じることにした。

きっと時間が、地元の大分の環境が、少しずつ本来の自分を取り戻してくれるはず。

そう願うことにした。

 

そして今日 10/3、明日は彼女の誕生日。

あれ以来すっかり音沙汰もなく、

自分も日常の多くの喧騒の中でもまれて、

静かに彼女のことを整理できるようになった。

 

自分の X(Twitter)を開くと、真っ先に現れる固定ツイートは、

コロナ流行でずっと会えなかった後の最初の撮影会での写真。

 

 

その日の他のお写真も。

 

久しぶりに会えたこの日は、天使のような優しい笑顔で見てくれていた。

自分の心でしかわからないけど、この時の彼女の気持ちはきっと同じだったんだと。

本当に一番撮りたい写真、大切な人を「恋写」したくて。

この時、誰よりも最高の被写体さんはひなぴだと確信した。

そういうわけでその日の写真はずっと大切にしていて、

固定ツイートにまでしていたという話です。

 

ひなぴと過ごしたのは1年半くらい。

コロナで全く活動できなかった時期があるのでもっと短いとは思う。

その間、彼女を被写体にして、沢山のお写真を撮りました。

 

優しく微笑んでくれている彼女を見ては

「そんな優しい目で見てくれたりするのは、少しは僕のこと好きなんでしょ?」

って聞いたりもしたけど、決して好きとは言ってくれませんでしたw

そういうかたくななところも好きだったんですけれども。

 

色んな場所で撮影しました。

福岡の公園で撮った時とか。

 

ひなぴは和服美人さんで、いつも素敵な姿を見せてくれました。

臼杵で撮ったり、大分の公園だったり。

 

TIFが行われていた炎天下のお台場にもついて行きました。

メンバーが体調不良になってステージも大変なことになったな。

 

初めて彼女がTwitterで使ってくれたお写真。

新しく写真がうまい人が来てくれるようになったって言ってくれてたな。

福岡遠征でスカラエスパシオのカーテンですね・・・。

 

ひなぴとの写真は常に創作意欲の発揮の場でした。

彼女との恋写の中で自分も腕を磨いていきました。

 

 

ひなCafeという、彼女の手作り料理を食べれるイベントもありました。

日頃から料理を作っていて得意だと知っていたので、

毎回楽しみでした。

 

 

大分音楽館の入り口あたりでよく撮りました。

 

 

夜のイルミネーション撮影会もありました。

 

 

写真ひとつひとつ取っても、

その時どんな話をしていたかが蘇ってくるようで。

自分の手元にはそんな想い出の詰まった写真がたくさん残りました。

 

もうひなぴを撮ることはないんだろうな。

だからこのあたりで想い出に浸るのはやめて、

自分も前に進んでいかなくちゃと思うのです。

 

最後に今日伝えたかったこと。

明日10/4からは、彼女のことを一旦目に見えないところに置きます。

ようやく固定ツイを外す覚悟ができたということです。

 

彼女はかつて推していた HKT48の朝長美桜ちゃんと同じように、

僕の中の「レジェンド」という存在になります。

私の人生の中で特別な人です。

 

 

膝の自転車で派手にこけた右脚の傷ですら、今はもう懐かしい痛みかもしれないね。

僕たちの想い出もきっとそんな感じになってくれるといいな。

 

これからも前を向いて、元気で強気で健やかなひなぴでいてね。

 

 

ひなぴと過ごしたかけがえのない想い出はこれで大切にしまうことにします。

 

たくさんたくさんのありがとう。

君に出会えて心から良かったと思う。

 

いつの日かまた逢えたら想い出話ができるかな。

それまで長生きしなくちゃな('ω')

生きる意味がまたひとつ増えたよ。

 

これからも現在進行形で、ずっと撮り続けていきたい。

私は「恋写」を極めていきます。自分の最高を更新し続けます。

それこそが共に過ごしてくれた人への感謝になるのだと信じています。

 

※最後まで読んでくれてありがとう。

 

くるーずさんと正面から向き合うようになったのは2017年1月。

傷心の自分を救ってくれたのはそらちゃんの優しい笑顔でした。

あなたがいるなら、もう一度頑張れるかもしれない…そんな気持ちになれたんです。

あれから僕は立ち直れた。


そらちゃんを初めて見たのは2016年1月30日、アイドルソロクイーンコンテストでした。

あれからもうすぐ3年が経とうとしています。


当時のブログを読んで懐かしい気持ちが蘇ってきました。

造語であるとは思いますが、
「一石三鳥」というのが好きです。
っていうか四鳥でも五鳥でもいい。

一つのことで多くの良いことを
同時に目指したいというのが、
自分の常日頃の心がけでもあります。

自分のため、相手のため、そして
会社のためだったり、社会のため、
これからの若い人たちのためという
ような立ち位置での視点だったり、
これらはWin-Winの関係を作れる
ビジネスにおいては非常にいい形です。
また、やらないことに比べてやることの
価値とか、将来的にどういう価値を持つか
とか、様々な視点が考えられます。

その視点ごとにいいことを探してます。
沢山見つけられれば見つけるほど、
価値の高い一石となるわけです。

今日は実家で母と2人で夕食を食べる
ことになったので、自らごはんを作る
と言いました。たまには親孝行くらい
したいですものね。でもただ作るだけ
ではなくて、その一食にどのような
こだわりで価値をつけるかということで
より大きな喜びに変えられるのでは?
ということを考えたわけです。

自分の得意な麺料理の中から、
カルボナーラを作ることにしました。
味覚には一応うるさい親なので、
まずいものは作れるわけもなく、
シビアではありますが、いくつかの
こだわりを込めて作りました。

燻製仕立てのベーコンを使ったり、
パスタと同じ滑らかさだけど異なる
触感が面白いエリンギを使ったり、
生クリームの重さをある程度残しつつ
量を増すために濃い豆乳を使ったり、
最後に混ぜる生卵の黄身を2つに
してコクを強めたりとか。
沢山のこだわりを持ち込みました。
母は小食なので少ない量でも、
しっかりとした味わいのものを食べて
もらいたいと思ってその方針に
してみた次第でした。

結果はとても好評でした。
数少ない親孝行の機会をうまく活用する
ことができて、とても良かったです。

でもそういう考えすぎなのは、時として
相手から重たい存在に受け止められて
敬遠されがちになる可能性もあるのかな
なんて考えたりもします。

昔の若い頃の自分だったら、
あれに気づいた?とかお仕着せがましく
相手に聞いたりしてたはずです。
でも今の自分は、自分の工夫に気づいて
もらえないことがあっても良いと
考えられるようになりました。
もちろん気づいてくれるのが嬉しい
ですけど、そこは相手の裁量に任せて
相手の口から気づきの言葉をもらえる
方が嬉しいと思うのです。

好きな人に愛しているという言葉を
繰り返し伝えるよりも、愛されていると
いう事実にふと気づいてもらいたいと
いうのと同じかもしれません。
押し付けがましさは押し殺して、
愛している行動はしっかり盛り込んで、
それはこっそり伝えるくらいにしたいです。

冒頭の一石三鳥というのは、
効率の話だけをしたいのではなく、
あらゆる行動に沢山の意味を持たせる
ということの訓練でもあるのです。
多くの人に喜びをもたらせるのです。

日頃から考えてるといいことあります。
多くの視点で物事を考えることで、
決して悪いことばかりではないことに
気づけるポジティブな思考パターンを
自分の中に作れる効果もあります。

それは落ち込んでいる大切な人を
救える言葉を投げかけてあげることで
心を支えることができるかもしれない。

私は引き続き明るくポジティブな人間を
目指して、私に関わる誰かを救えたら
いいなと思っています。
お互いにいいことをしあう関係だったら
相当に着心地のいい場所を作れるはず。

一石三鳥を考える行動、
心がけてみてはいかがでしょうか?