皆さんはポッドキャスト、聴いていますか?
私はランニングや家事をしながら、もはや欠かせないツールとして生活に浸透しきっています。
その中で一番のお気に入りのコンテンツは、「COTENラジオ」です。
圧倒的な情報量と、わかりやすくて面白い話し方に、ついつい惹きこまれてしまっています。皆さんもぜひ気軽に聞いてみてください!
なかでも、私の一番のお気に入りは「第一次世界大戦」シリーズです。
youtubeのリンクを張っておきます。
(私はamazonプライムで聴いています。)
(深井さんって頭良くてめちゃイケメンなんよな。。
)
重い内容ですが、日本人があまり関わりがない世界大戦について、ぐいぐい引き込まれてしまい、WW1に関連する映画をたくさん見てしまいました![]()
戦線ばっか(笑)
いずれも、たくさんの人が容赦なく命を落としていく場面が描かれているのですが、たった百年前の出来事だとはにわかに信じられない気持ちになります。
ゴミクズのように倒れていった兵士たちにもそれぞれの人生のドラマがあった、ということに思いを馳せるとともに、ウクライナ戦線で日々亡くなっている兵士や市民に、一日も早く平穏な日々が訪れることを願うばかりです。
さて、これらの映画も、COTENラジオを聴いたうえで見てみると、まるで違ったものになるんです。
わかる!あの時にこんなことが起きていたのか!と、映画への没入感が、半端ないので、この感覚はぜひたくさんの人に味わってほしいです。
「武則天」シリーズでの深井龍之介氏のコメント
さて、今回なぜ私がこのCOTENラジオさんについて取り上げようかと思ったか、についてです。
先日、いつものようにランニングをしながら、「武則天(則天武后)」シリーズを聞いていた時のことです。
前提として、このシリーズも大変わかりやすく、とても面白い内容でした。
単なる人物伝ではなく、中国の政治・思想・ジェンダー観の変遷を背景に、武則天という存在がいかに特異で、かつ時代を動かしたか、ドラマチックに伝えてくれます。
↓サムネザーッと流して見るだけでも、面白そう、というのがわかると思います!
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
第8回
第9回
しかし!ですよ。
問題は、シリーズ最終回の最後の深井さんのコメントです。
武則天に対しての人物評を語った際、、
最終回 15:23~
特筆すべきはやっぱり彼女がちゃんと家臣と信頼関係作っていることですよね。内閣として組成した人たちと。 自分の手のものを作っていって。一部使い捨てにしまくってますけど やっぱり優秀な人たちは彼女の元にずっと残っている人たちもいるので、女性でそれができている人ってやっぱりその世界史でもほとんどいない。日本の女性天皇とかやっぱり中継ぎ的な立ち位置ですからね。
!!!!!
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なんとなんと、最後の最後で、超ガッカリしてしまいました![]()
COTENの深井さんの認識って、4年前はそうだったんだ、、と。
今は違うことを祈りつつ。
少なくとも推古、持統天皇は中継ぎではない
私は日本にはびこる「過去の女性天皇は中継ぎだった」論については、明治時代の時の権力者の都合に合わせた、虚偽のストーリーだと考えます。
神武天皇以来の万世一系(男系男子)説が正しい、ということを世界にアピールし、なみいる列強国に抗うべく、日本国民を鼓舞するために、ありとあらゆる創作がこの時代になされたからです。
理由① 36年在位した推古天皇
日本史上最初の女性天皇は推古天皇です。
在位期間は36年で、歴代天皇の中でも第6位の長さであり、それだけでも中継ぎ(ワンポイントリリーフ)とはとても言えないと考えます。
また、推古天皇は聖徳太子(厩戸皇子)が実質の権力者だった、というのも疑わしいことが、2000年以降の研究でも明らかとなっています。
・厩戸皇子は推古即位時はまだ10代で、実権を握れるわけがなかった
※推古天皇はその時39歳。当時は天皇として最適な年代とされていた。
・蘇我馬子は推古天皇のたった2歳上の叔父。裏で操れるような年齢差ではなかった。
推古と馬子、二人は緊密な同志、というべき関係だった。
・推古天皇は、蘇我馬子と厩戸という2人の力をうまく活用した統治者だった
私も過去のブログで書きました。
帝京大学名誉教授 義江明子氏の著書「女帝の古代王権史」の中でも、推古天皇(額田部)の即位理由について以下のように述べています。
敏達没後に顕著となる額田部の政治活動は、キサキ※の地位や血統のみによるのではなく、同世代王族の中での長老女性としての立場と、王権中枢での長年のキサキ経験、そして卓越した本人の資質によるとみるべきだろう。
「女帝の古代王権史」p68
※キサキ・・・推古(額田部)のこと
中継ぎではなく、実力で即位したと言えるのです。
だから、実力社会の中、36年も在位できたのです。
中継ぎだとそんなことはできません。
理由その② 持統天皇の功績
持統天皇を中継ぎと呼ぶには、あまりにも歴史に無知、と言わざるを得ません。
彼女は653年に大海人皇子に嫁いでから、702年に死去するまで、日本の歴史の転換点に深く関わった女帝です。
壬申の乱(672年)において、大海人皇子が、後継者争いをしていた兄:天智天皇の息子/大友皇子を打ち破りました。
『日本書紀』には、持統天皇(鸕野)が大海人皇子と「ともに謀を定めた」とあり、乱の計画に鸕野が深く関わった、として知られています。
また、686年、最愛のパートナーであった天武天皇が崩御し、後継者をどうするかで緊張が生まれました。鸕野の息子である草壁皇子が最有力候補でしたが、当面の脅威として、能力で上回る大津皇子がいたからです。
そこで鸕野は、「大津の謀反が発覚した」として追い込み、死に追いやりました。
この果敢な実力行動によって、鸕野は強力な統率者としての資質を群臣に示したのである。
義江明子「女帝の古代王権史」 p138
そして、天武に並ぶ人格的力量をもち、年齢も適齢(41歳)の鸕野が、皇位継承者として立つことになっていったのです。
藤原京の造設(694年)
天武天皇が構想していたものの、中断があり、持統即位後にこのプロジェクトが再スタートしました。完成した藤原京は、持統による国家構想の一環でした。
約5.3km四方と想定されています![]()
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中央集権的官司機構が、この藤原京で現実的に完成しました。
このように、持統を中継ぎと呼ぶには、あまりにも不勉強、と言わざるを得ないのが、2000年以降の研究の結果なのです。
これらのことも私は過去ブログに書きましたので、良ければご参照ください。
理由③ 実力の元明天皇
1,300年後の現代のモノサシで、元明天皇は聖武天皇までの中継ぎだった
、と言いたがる人達がいます。
しかし、それは歴史を知らない人の恣意的なストーリーと言わざるを得ません。
律令国家を作ろうとしていた時代の中心人物、それが持統や元明といった女性リーダーだったのです。
6~7世紀以来の長老男女即位の慣行に照らせば、持統から元明へ、長老女性の執政は途切れることなく続いています。
このことが、7世紀末に新たな方向として導入された年少男性の即位と治世を支え、律令国家形成期の王権の安定を実現していったと言えます。
(義江明子著「女帝の古代王権史」p179
詳しくは稚ブログを参照ください。
COTENに期待したいこと
とまぁ、少し紹介しただけでも、「日本の女性天皇とかやっぱり中継ぎ的な立ち位置ですからね」という考えの深井さんのコメントは誤りであることがわかると思います。
しかし、私はそのたった一言だけでCOTENを批判するつもりはありません。
そもそもCOTENの理念に私はとても共感しています。
COTENは、人文知と社会の架け橋になることを目指しています。
人間文化にまつわる知的な営みである、人文知。
世界史を中心とした人文知の価値を伝え、
人類にメタ認知のきっかけを提供します。
人文知の価値を伝えていただくCOTENには夢と希望があります。
歴史のデータベースが実現したら、人類が飛躍的に成長できると考えます。
だからこそ深井さんはじめ、COTENの皆様に、日本人として、日本の皇室の歴史に関しての知識をアップデートして欲しい!と心から思うのです。
もちろん、この音源は4年前のものですので、もしかしたらもう既にアップデート済かもしれません。
だとしたら!
お願いです、COTENラジオの皆さん。
「女性天皇の歴史」シリーズをぜひやってください!
心からの願いです。
よろしくお願いいたします m(__)m
今日も読んでいただきありがとうございました。
(このブログは、COTENの問い合わせフォームに投稿します!)





