私は愛子さまが能力・資質ともに大変優れた方だと思っています。

 

すばらしい愛目がハート愛↓

※産経新聞はちゃんと敬宮愛子さまと書くんだな。←ほめてない。

 

 

その一方で、皇位継承問題は単なる『愛子さま推し』だけでは語れない問題でもあります。

 

新聞各社をはじめとしたマスコミ、そして政治家の多くは、皇位継承問題を「制度論」として議論したがります。

 

「愛子さまを皇太子に!」といったバイネームによる議論は避けるのです。

 

なぜでしょう?

 

山尾志桜里さんはこう言います。

 

一般人ならともかく国会議員。

皇族の属人的な評価と制度論を結びつけるのは厳に控えるべき。

 

たしかに、属人的な評価(≒感情評価)だけで皇位継承問題を議論するのはリスクが大きいです。

 

今は愛子さまを絶賛する報道しかありませんが、マスコミというのはいつでもコロッと態度を豹変させます。

 

今の愛子さまを見る限り、そのようなことはないと思いますが、100%ないとも言い切れないのが現実です。

 

もし、どこかのマスコミから悪意ある報道がなされ、万が一にも国民がその報道に流されるようなことになれば、例え女性天皇への道が開かれたとしても、皇位継承問題の議論はあっという間におぼつかない状況に陥ります。

 

だから、山尾さんの主張も一定理解できます。

 

しかし、感情論を徹底的に排除して皇位継承問題を議論することが、果たして本当に可能なのでしょうか?

 

私はそうは思わないのです。

 

 

 

  『感情論』をレッテルとして使っていないか?

 

私は皇位継承問題を議論する際に出てくる『感情論』という言葉に対して、レッテルとして使っているような風潮があると感じています。

 

実際には、

  • 伝統を重視する感情
  • 男女平等を重視する感情
  • 皇室の存続を願う感情
  • 変化への不安という感情
など、どのような立場をとるにしても感情は存在します。
 
「理性 vs 感情」ではなく、
 
「どの価値観を優先するのか?」
 
が大事ではないでしょうか。
 
本来検討しなければいけない論点はここだと思うのです。
 
皇位継承という問題は、そもそも制度だけでは成立しない側面があります。

例えば税制や年金制度なら、「効率的か」「持続可能か」という合理性が大きな判断基準になります。

一方、皇室は憲法上「日本国及び日本国民統合の象徴」です。

象徴とは何かと考えると、そこには国民の歴史観や伝統意識、文化的な感情が含まれます。

つまり、

制度だけで決まるものではない
感情だけで決めるものでもない

という特殊な問題なのです。
 
感情論を排除しようとする議論そのものが、皇室の本質を見失っているのではないでしょうか?
 
 

 

  感情論と制度論はセットで考えるべき

 

例えば、男系継承を強く支持する方の中には

  • 2600年以上続く伝統だから守りたい
  • 歴史的連続性を感じる
という感覚があると思われます。
 
一見「非合理的」ですが、一方で国旗や国歌、文化財、神社仏閣なども、合理性だけで価値を説明できないのも事実です。
 
だからといって、
  • 国民が支持するなら何でも変えてよい
という感情論だけに依存すると、制度の安定性が失われます。
 
愛子さまが人格者で優秀であることは、誰もが認める事実ですが、愛子さまのお子さまが同じように優秀であるとは限らないからです。
 
これは愛子さまのお子さまに限った話ではありません。
 
悠仁さまのお子さまも同様です。
 
例えば、哲人皇帝として知られるマルクス・アウレリウスの息子のコンモドゥス。
 
コンモドゥスは実子として皇位を継承しましたが、一般には父ほどの統治能力を持たず、彼の治世はローマ帝国黄金期の終わり真顔と結び付けられることが多いです。
つまり何が言いたいかというと、感情論を排除することなく制度論を論じるべき、ということです。
 
能力という観点だけでいえば、どんな世襲君主の子も未知数なのです。
 
 

 

  まとめ

 

今日本で直面している皇位継承問題。
 
次代の皇位継承者が悠仁さまお一人しかおらず、このままでは皇統が途絶えてしまう可能性が非常に高くなっています。
 
制度論を重視する議論の中で、男系で36~38親等離れた旧宮家の子孫を離れた人物を皇族とする、という案が成立しました。
 
法案が可決されても、いまだなお大多数の国民の感情が追い付いておらず、連日再改正を促す記事やyoutube番組、X上をにぎわせています。
 
改めて、皇室は憲法上「日本国及び日本国民統合の象徴」です。
 
象徴とは?
それは単なる制度名ではなく、国民の感情が深く入り込んでいる状態を現している言葉ではないでしょうか。
 
であるならば、「誰を象徴として国民が受け入れるか」という感情を、議論の俎上から外すことは不可能、だと私は考えるのです。
 
国民の感情が置き去りにされる皇室制度など、誰も幸せにはしないでしょ。
 
 
以上、今日も読んでいただきありがとうございました。