愛子さまが皇太子になるべき100の理由
No.35
義江明子先生の「女帝の古代王権史」を改めて読み直しています。
高森先生や小林よしのり先生も参考にするだけあって、中身の濃い学者の書物であり、一度流し読みをしただけでは修得するにいたらず、漆塗りのように何度も繰り返し読んでいます。
第一章 卑弥呼から倭五王へ を多分3回ぐらい読み(笑)、今日は忘れないうちにこのブログでアウトプットしておこう、と思っていた矢先、馬鹿みたいなニュースが舞い込んできました。
安定的な継承のため「できるだけ多様な方策を準備しておくことが必要」として、2案に加えて「皇統に属する男系男子を法律で直接皇族とする」選択肢も検討すべきだとした。
おいおい。
正気か?玉木雄一郎よ。
皇統に属する男系男子
は、旧宮家と違って、ムチャクチャ範囲が広がるぞ。
皇別摂家のグレー とか手を挙げてきたらどうするんだ?
無尽蔵に俺も!俺も!と、有象無象:うぞうむぞうが手を挙げてくるぞ。
なんで、そんな有象無象を皇族にできるんだ?
そんな奴らを国民が受け入れると、本気で思ってんのか?
ギャグでした、と謝るなら今のうちだぞ?玉木雄一郎よ。
なんで女性皇族の方々を無視するんだ?
おまえは歴史をイチから勉強しなおした方が良い、と本気で思ったのでした。
![TODAY'S](https://stat100.ameba.jp/ameblo/entry_designs/v1/sources/assets/limited023_heading.png)
日本における政治の起源
日本の歴史を、古代から順番に学習していくと、文字の記録に残る具体的な人物としては「邪馬台国の卑弥呼」が最初に来るのではないでしょうか。
中国に残る『魏志倭人伝』によると、日本列島のどこかに邪馬台国という倭人の国があり、女王卑弥呼が治めていたといいいます。
男女共同参画
卑弥呼は小国の首長たちに「共立」されて王となったようです。
この時代の「王」は世襲ではなく、選ばれてなるものだったのです。
また、社会習俗についての興味深い記述が同書にはあります。
其の会同、坐起(ざき)するに、父子・男女の別なし
(集会の時、座席の順序や立ち居ふるまいに、父子や男女による区別はない)
倭人の社会において政治的意味を持つ「会同」の場に、男女が参加していたのです。
これは、シナ大陸から見ても非常に珍しい特徴であったため、わざわざ記録として残していたものと思われます。
これが、古代日本におけるTHE ORIGIN(起源) です。
ガンダム好きがバレた?(笑)
王は男女の別なく実力者が選ばれ、政治も男女共同参画で行われていたのです。
女性首長の割合は30~50%
絵にかいたような前方後円墳!
奈良県にある箸墓(はしひこ)古墳です。
この美しく壮大な墓が、卑弥呼のものではないか、と言われています(諸説あり)
近年、年輪年代法をはじめとする年代研究の進展により、古墳時代の開始は260年前後とみなされるようになった。その結果、古墳時代の始まりを告げる最古の定型大型前方後円墳である箸墓古墳を、卑弥呼の墓とする見方が強まっている。
これだけでも、卑弥呼が傑出した女王だったことがわかるのですが、それだけでなく!
埋葬人骨や副葬品の考古学的分析によって、弥生後期から古墳前期には列島各地に男女の首長がいたこと、女性首長の割合は三割から五割であることがわかっている。
!!!
すごい!30%~50%も!!
なお、現代における女性首長の割合は 2% です。
おいおい、どうした現代ニッポンよ!
古墳時代の方がずっと女性活躍時代じゃないか!
ワカタケル(雄略天皇)と卑弥呼の共通点
・鬼神をまつり人々を心服させたとされる三世紀の卑弥呼
・ヨロイを身にまとって征服に明け暮れたと誇る五世紀の将軍ワカタケル(雄略)
正反対にも見えるこの二人には、実は倭王としての共通点があったようです。
① 外国の使者に会おうとしなかった
卑弥呼は宮殿の奥深くにこもり、神秘的な巫女女王としてのイメージが強いですが、ワカタケルも、外国の使者には会おうとしなかったようです。
外国の使者に対して、”見えない王"であることは、軍事王ワカタケルも含めて倭国王としての強固な伝統だったのである。
② 有力首長の中から選ばれた
前述したとおり、この時代はまだ世襲制は確立されていませんでした。
ワカタケルも選ばれたようです。
五世紀の倭王位は、有力首長の中から実力者が選ばれて就く地位だった。王位の強化が図られていくものの、基本は連合政権であり、複数の有力首長が支える体制だった。
③ 軍事指揮を担った
卑弥呼は、狗奴国の男王:卑弥弓呼(ヒミクコ)と互いに攻撃する激しい対立関係にあり、シナ(魏)の出先機関にその苦しい状況を訴え、助けを求める等、責任感を持ってリーダーシップを発揮していたようです。
ワカタケルも、反抗的な地方豪族を武力でねじ伏せて帝権を飛躍的に拡大させ、強力な専制君主として君臨したとされています。
このような外交は、まさに王だけがなし得る軍事指揮の一環にほかならない。
まとめ
魏志倭人伝を虚心に読み直すと、正反対に見える卑弥呼とワカタケルが、実は同質の王であったことが、様々に見えてくるのである。
古代より、日本のORIGINは、男女の別なく実力者がTOPに立つものでした。
シナ大陸から学び、律令政治が整う9世紀以降、男系男子による世襲が確立していく前までの時代こそが、ヤマトのORIGINです。
話を現代の皇位継承問題に戻します。
国民民主党をはじめ、男尊女卑を前提とした国会議員の、男系男子にこだわる提案は一体何なのでしょうか。
彼らは一様に保守を名乗りますが、シナ文化である男尊女卑を保守してどうするのでしょうか?
真の保守であれば、ヤマトのORIGINを保守するべきではないでしょうか?
愛子さまが皇太子になるべき理由 その35
日本の歴史第一巻から、ヤマトの国は男女の別なく実力者が上に立つという、シナ文明とは明らかに違う、独特のORIGINを有していることがわかる。
それを学ばず、シナ文明を引きずっていることに気が付いていないのが、日本の自称保守である男系固執派である。
特に、一般国民を皇族に招き入れ、皇室を破壊しようとする国民民主党のことを、朝敵と言わず、何と言うのだろう?
愛子さまが立太子するしかない。
もう答えは出ている!