「応仁の乱」=仏像を焼き、京都を焼け野原にしたおそるべき「応仁の乱」である。なんでも、祇園祭が行われなかったのは、長い歴史の中でも、応仁の乱と太平洋戦争の間だけだったそうだ。まさに京都を恐怖のズンドコに落し入れたのだ。そしてこの争いをさかいに世は戦国時代へと向かっていったのであった。時は戦国 嵐の時代 でっかい心で 生きようぜ~。では、教科書ではどう扱われているのだろうか? 小学校の社会科6年生上巻を見た。まず「元との戦い」あったあったねそんなこと、次のページ「室町幕府がひらかれ、金閣・銀閣がつくられた」うんうん、次のページ「雪舟の水墨画」だ、いよいよか次のページ・・・ん?「長篠の戦い」?「鉄砲伝来」?、いきなり戦国時代突入ジャン。もどってみたが、「応仁の乱」が載ってなかった。色々見たら2社だけしか載せてなかった。可愛そうに、雪舟に負けたか応仁の乱。どうもそんなに大事じゃないのかもしれない。どだい発端は、畠山さんちの内輪もめが原因であったみたいだし(内輪もめで京都中を焼くことになったんだから畠山さん、はた迷惑な話です)、終わり方は大名が散り散りに帰り出して流れ解散だったようで、これじゃなんか盛り上がらない2次会みたいです。応仁の乱のポイントはというと、西軍の本陣があった場所でつくられるようになったから「西陣織」! 東軍のそばだったら「東陣織」・・ちょっとパッとしない。「圧倒的じゃないか、我が軍は(byギレン・ザビ)」・・これで出張もバッチリ!
--------------------------------------------------------------------------------
実はせわしいことになってしまった。
ブログ書いてるどころじゃありません(のわりには悠長に書いてますが)。
仕事がじゃなくて、4コママンガがじゃなくて・・・まっ、何がせわしいのか明日書きます。
とにかくストレスたまりまくりそうです。
そんな時は、思い出してほしい、上のおねえちゃんの那須のおみやげの「アベンチュリン」。
そっ、写真の石が「アベンチュリン」。
風水で、健康や若さをキープし、精神的なストレスが多い時におすすめのパワーストーン・・・だそうです。ボクは毎日ポケットに入れています。
では、「アベンチュリン」をポケットに入れるようになって、血圧は下がったのでしょうか?
「アベンチュリン」を持ち出したのが5月31日からだから、その前日までの血圧とその後の今日までの血圧の平均値を出してみましょう(あたしゃここんとこ毎日血圧はかってつけてたんだわさ)。
ここにはデータ偽造の余地もありません。
はいっ計算しますよ~・・・・・・・・
出ました! 「アベンチュリン」を持つ前が、上が133.2mmhg、下が98.7mmhg。
持った後は・・・・
上が135.5mmhg、下が100.8mmhg。
上がってんじゃん! っつーか下高すぎだろ!
結論、イワシの頭も信心から。
とか言ってないで減塩しなさい! アルコールをひかえなさい! やせなさい!