人は関係性の中で病み、関係性の中で癒される | 「チンパンのブログ」

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「チンパン」 ブリージングメソッドを分かりやすく伝えるため、日々猿知恵を絞っている。



「杏子(あんこ)」 長年にわたってチンパンの問答相手をつとめる。もはや腐れ縁と諦めているようである。



「虎徹(こてつ)」 ブリージングスタッフ・ふぐじろう先生のペット・柴犬オス。

記事を知的でキュートなコメントで締めてくれる。

 

 

「『リカバリーカバヒコ』と言う小説が、最近評判になっています。

 

 『ある小さな公園のカバの遊具を撫でると、病氣や不調が治る』という物語です。

 

 一読したところ、ブリージングの教えに通じる面が多々あると感じたので、同書をその観点から説いていただけると嬉しいです。

 

 

                                            リカバリーを願うアラサー」

 

 

「『リカバリーカバヒコ』は、2024年の本屋大賞にノミネートされている人氣小説。

 

 ちなみに本屋大賞は、『書店の店員さんが、自分が読んだ本の中で、最もお客さんに売りたい本』として推薦する賞。

 

 『本屋大賞にハズレなし』って言われる位、受賞作・受賞候補作は面白くて、売れているもんね。

 

 『リカバリーカバヒコ』の著者・青山美智子さんは、何年も連続で本屋大賞に入賞している実力派作家」

 

 

「チンパンは『リカバリーカバヒコ』は確かにブリージングの教えに通じる面が多々ある。

 

 仏教的な小説であるとも感じる」

「インタビューとかで、『リカバリーカバヒコは、巣鴨のとげぬき地蔵を念頭に置いて書いた』って、青山さん自身が言ってるもんね。

 

 とげぬき地蔵は、撫でた場所の不調が回復するって言われている。だから巣鴨は昔から高齢者のメッカ(笑)」

 

「ここからはネタバレなど一切配慮しないで進めるので、『新鮮な氣持ちで読みたい』という方はすぐにブログを閉じて、本屋さんに行ってほしい。Amazonでも買える。

 

リカバリーカバヒコ

 

 

 リカバリーカバヒコとは、東京都内の小さな公園に置かれているカバの遊具=セルフライドである。

 設置されてから数十年たっているので、色もアチコチはげ落ちている」

 

「頭に『バカ』って落書きされてるしね(笑)。それでも間抜けな表情のまま、どっしりとたたずんでいる。

 この安心感・癒されるのんびりした感じが欲しいから、作者はカバを選んだそうだよ。

 

 実は本物のカバは、かなり狂暴な猛獣らしいけど」

「チンパンも『アフリカで毎年一番人をたくさん殺している猛獣は、カバである』とある本で読んだ記憶がある」

 

 

「リカバリーカバヒコの伝説は、いつからともなく地域住民の間で語り継がれているんだよね。

 

 『撫でた部位の不調をリカバリーしてくれるカバ。人呼んでリカバリーカバヒコ!・・・・カバだけに』

 

 って具合に。リカバリーにカバを引っ掛けたこの脱力感(笑)。

 

 それほど重いタッチの小説じゃないから、命に関わるほどの深刻な難病に悩む人は出て来ないしね。

 

 中学校までは優等生だったのに、高校で進学校に進んだら、落ちこぼれになってしまった。このバカになった頭を治したい。

 

 若い頃は接客が得意な店員だったのに、育児を境に長年仕事を離れたら口下手になった。

 だからママ友の間で上手くコミュニケーションが取れずに悩んでいる。昔のように上手く喋れるようになりたい。

 

 ・・・・・それは病氣なのか?って言いたくなっちゃう(笑)」

「少なくとも医者に行っても、余りまともに取り合ってはもらえないであろう(笑)。

 

 しかし、当人たちは真剣に悩んでいて、リカバリーカバヒコの頭や口を撫でる」

 

「すると、あ~ら不思議。事態が動き始めて、『リカバリー』に向かっていくんだよね。

 

 

 もちろん、カバヒコは何も喋らないんだけど、人との出会いが色んなことを教えてくれる。

 そもそもリカバリーカバヒコの存在・ご利益を教えてくれるのも他人だし。

 

 『天は人の口を介してモノを言う』=天には口が無いから、人を通してメッセージをくれている。

 そこに氣づける感性のアンテナがあるか否かで、運命が大きく変わっちゃう。

 

 現代人は筋肉を緊張させている人だらけだから、アンテナ=感じる力が鈍くなっている。

 筋肉の役割はパワーを出すことだけだって錯覚している人が多いけど、筋肉の本当の役割はセンサー=感じること」

 

 

「だからブリージングでは、筋肉の過度の緊張を緩めるためにストレッチを行なう。

 

 しかし、『見た目のキレイな体操のフォーム・完成形』だけを追いかけて、無理やり筋肉を引っ張る人が多い。

 当然、筋肉の反発を招いて、反動で身体がかえって固くなる。あるいは筋肉を傷める場合さえある。なかなか体質も変わらない。

 

 『リカバリーカバヒコ』の悩める登場人物も、実人生において同じことをやっている」

 

「かっての頭が良かった自分・流暢に喋れていた自分 という『あるべき理想像』に戻りたくて、もがいてるもんね。

 

 なぜ自分は体操の形がキレイに出来ないんだ・もっと筋肉が伸びないんだ と悩んでいるのと同じ。

 誰だって子供の頃は身体が柔らかかったのにね。『あの頃に戻りたい』って言う見果てぬ夢。

 

 

 でも、登場人物が追い求める『あるべき理想像』は、うぬぼれ・他人との比較・世間体・損得勘定などから出て来た、とっても底が浅いもの。

 いわば『我』に捉われた自分像。

 

 カバヒコを介した、人との出会いの中で、登場人物は自分の偏ったモノの見方に氣づかされるんだよね。

 

 バカになったと悩む高校生は、中学まで優等生扱いされているうちに、『ボクはもともと頭がいいから、努力しなくても、いい点数が取れるんだ』ってうぬぼれていた自分に氣づく。

 

 その鼻をへし折られて、やる氣を無くしたけど、『成績の順位を氣にするより、まずは自分のできる最善を尽くそう』って地に脚足が着いた考えにたどりつく。

 

 もちろん、そう決意していきなり成績が上がるわけじゃないけど、『頭がいい』って、こういう真理に氣づけることじゃないの?

 つまりカバヒコの頭を撫でたお陰で、ちゃんと『バカが治っている』わけだよ(笑)」

 

 

「ママ友との付き合いに悩む主婦にしても、そもそもママ友同士の交流に重きを置いているわけではなかった。

 

 これは『仲良しごっこ』なんだと自分に言い聞かせ、娘がいじめられたりしないように、表面上うまくやれたらいいと思っていただけ。

 ただの損得勘定だけのつきあい」

 

「そういう氣持ちって、どこかで相手に伝わっちゃうもんね。だから予想もしない形で、人間関係のこじれを引き寄せちゃう。

 もとはこちら=原因は自分にある。

 

 最後に主婦がたどりついたのは、

 

 『コミュニケーションとは、大きな声でどうでもいいことを喋り散らすことではない。

 静かに言葉少なくてもいいから、相手に伝えるべきことを伝えることだ』

 

 って結論。そこに氣づいて楽になる。

 

 言い換えれば、それまではまともにコミュニケーションする氣も無かったってことだよね(笑)。

 小手先の社交テクニックで、無難に過ごそうと思っていただけ」

 

 

「こだわらない・偏らない・捉われない は、モノの観方に関する仏教の教え。

 

 こだわりや偏り、捉われが事態の悪化・停滞を生む。ここをクリアできるほど、心も身体も自在を得る。

 

 ブリージングで体操の合間に内観を欠かさないのは、そのためでもある。

 

 偏りや捉われを捨てる方が、下手に筋肉をグイグイ引っ張るより、身体が柔らかくなるからである」

 

 

「作品中で、一番病氣らしい例が、病的な耳鳴りに悩む、『ちひろ』ってウエディングプランナーの話だよね。

 『リカバリーカバヒコ』の表紙にも描かれている、後ろ姿の若い女性。

 

 ちひろは仲良しの同期の男性と、相思相愛のつもりだったんだけど、中途入社の別の女性と付き合っているらしいことに、薄々勘づいちゃう。

 

 その事実を知りたくない=聴きたくない と言う想いが、耐えがたいほどの耳鳴りを引き起こしちゃう。

 とうとう休職せざるを得ないほど、心身が参っちゃうんだよね」

 

「中途入社の女性は、自分よりも仕事をバリバリこなしているようだ。恋愛も仕事でも彼女にはかなわない。自分はダメな人間なんだ とすっかり自信喪失のちひろであった。

 

 人は関係性の中で病む。本当に完全に一人で生きていたら、病氣になることはない(細菌感染や外傷は別)。

 

 ロビンソン・クルーソーは二十数年間、無人島で健康にたくましく生きていた」

「でも、ある日砂浜で人間の足跡を見つけちゃう。

 あれほど他の人間に出会いたいと思っていたのに、ロビンソン・クルーソーは喜ぶどころか、恐怖の余り寝込んじゃうんだよね。

 

 まあ、その人間たちが他の島からやって来た、人食い人種らしい ってこともあるんだけど、意味深なエピソードだよ」

 

 

「ちひろは、カバヒコの耳を撫でる。それでも耳鳴りは止むことがなかったが、ある日、ちひろが最後にウエディングプランを担当したお客から、心のこもった礼状が届く」

 

「仕事についての自信を取り戻したちひろは、失恋したことについても、ようやく向き合えるようになっていく。

 すると、耳鳴りも少しずつ収まって行った。

 

 確かに人は関係性の中で病むけれど、同時に関係性の中で癒される ってことだよ。

 

 そして、ちひろのエピソードは、人間の病氣が『性』の問題とも根深くつながっていることを示している。

 だから、ブリージングでは性やお金の問題も勉強するもんね。

 

 『健康法教室で、何でそんな話までするんだ』って疑問に思う人も居るけど、健康を考える上では、どっちも避けて通れないから。

 

 

 次にリカバリーカバヒコのお世話になるのは、小学生の雄哉(ゆうや)。足が急に痛くなったけど、医者に行っても原因が分からない。

 

 実は雄哉は学校で駅伝大会の選手に選ばれたくないから、足を捻挫したってウソをついてた。

 

 でも雄哉は、選手になりたくないから仮病を使ったことに、良心の呵責を感じていた。

 そのストレスが脳に負担を与え、本当に足が痛くなっちゃった。

 

 ちひろの例もそうだったけど、『あらゆる病氣は心身症』。心と身体に境目なんかないから」

 

「雄哉がカバヒコの足を撫でたことはもちろんである。やがて整体師のもとに通うようになる。

 

 その整体師は風変わりな人で、足のことばかり心配する雄哉に、食事や勉強など、日常の一コマ一コマの生活にもっと意識を集中するようアドバイスしたのだった」

 

「ちょっと瞑想っぽいよね。禅寺の修行みたい。

 

 でもこうした意識的な生活を送ることで、足の痛みに前ほど捉われなくなっちゃった」

 

 

「賢明な読者のみなさんは氣づいておられようが、リカバリーカバヒコは不調を直接治してくれるわけではない。

 

 カバヒコを撫でた人が、自分の偏った心と生活を整えることで、自分で勝手に治って行くのである。

 

 つまり『治す治し方』=治療者が治す ではなく、ブリージングが提唱している『治る治し方』そのもの。

 

 しかし、『治る治し方』のもう一段上の段階に、『治さない治し方』が存在する」

 

「治りたいって言う願望・意識自体が、『病氣』に捉われているからだよね。

 

 病氣を忘れることで、『自分は病人なんだ』って意識から解き放たれる。

 

 そうやって治る時、その人の魂は病氣になる前よりも一段高い段階に成長している。

 

 それが『治さない治し方』。『治る・治らない』って次元を超えた治し方だよね。

 

 中村天風先生とか、沖正弘先生が提唱している治し方。この整体師の先生は何者なんだろう(笑)?」

 

 

「やがて雄哉の足はめきめきと良くなった。『リカバリーしました』と嬉しそうに語る雄哉に、

 

 『人間の身体や心は、治っても完全に元に戻るわけじゃないんだよ。

 

  病氣やケガを通じて得た経験と知識があるから、良くも悪くも別の自分に変わっている』

 

 と整体師は諭すのだった」

 

「そう考えると、『治る』って何だろう?って考えちゃうよね。

 

 前と同じ生活が送れるようになったら、治療家は『治りました』って言うもんね。

 

 リカバリーとは、『自分の軸に戻って来る』って意味に取ってもいいかもね。

 

 軸があれば、心身のバランスを失っても、いったんは逃げても、また戻って来れるもんね。

 歯を食いしばって踏ん張る根性より、戻って来る力の方が人生ではきっと大事。

 

 

 でも、確かに自分の軸に戻って来ても、前の自分とは違っていることも、また事実だもんね」

「精神医学には、『創造の病』という概念がある。

 

 芸術家などに多いが、病的な状態を乗り越えた後に、より深みのある仕事をする人は多くいる」

「古久澤先生が、健康法や精神的な世界に目覚めたのも、19歳の時に自律神経失調症を患ったからだもんね。

 

 さいわい治ったけど、先生の生き方も変わっちゃった。

 それまでは西洋式の肉体トレーニング一辺倒だったけど、ヨガや氣功などの東洋系に目覚められたもんね。

 

 それが後年のブリージングストレッチ創立につながったんだから、まさしく『創造の病』だよ」

 

 「『リカバリーカバヒコ』には、あと1エピソード残っているが、締めは虎徹君に任せます」

 

 

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(虎徹のワン!ポイントコメント)

 ブリージングスタッフ・ふぐじろう先生のペットの虎徹です~。

 写真は11歳のバースデーを祝ってもらうボクです。人間で言えば、還暦を迎える歳になりました。

 

   『リカバリーカバヒコ』も、最終章では『老い』の問題が扱われます。老眼に悩む50代の編集者・和彦は否応なしに身体の老いを実感する日々を送っています。

 

 そんな和彦の母親は80歳。氣丈にクリーニング店を切り回していましたが、倒れたことによって閉店を決意。つまり二世代の『老い』が出て来るわけです。

 

 老いは病氣ではありませんが、誰にでも訪れます。老いとどう向き合うかは、人生後半のテーマです。健康法教室でも避けて通れない課題です。

 

 自分の身体への向き合い方も、歳と共に変えていく必要があります。カバヒコの目を撫でても和彦の老眼は治りませんが、ある意味心眼が開いて、新しい人生へのステージを踏み出します。

 

 People only see what they want to see. 人は自分の見たいモノしか見ていない。

 それが誤解や不幸の原因だと悟ったのです。

 

 

 『リカバリーカバヒコ』を健康法教室として観れば、理想的です。

 派手に世に大受けすることはありませんが、ひっそりとたたずんでいるだけで、宣伝しなくても人が絶えることなく訪れてくれます。

 

 何十年も求められ続ける、老舗のお店のような存在です。

 

 『リカバリーカバヒコ』からは、この記事で紹介しきれなかったことを、まだまだたくさん学べますよ。

 

 

 

                                                つづく

 

                                          次回更新は4月7日予定です。