(ブログの登場メンバー)
「チンパン」 ブリージングメソッドを分かりやすく伝えるため、日々猿知恵を絞っている。
「杏子(あんこ)」 長年にわたってチンパンの問答相手をつとめる。もはや腐れ縁と諦めているようである。
「虎徹(こてつ)」 ブリージングスタッフ・ふぐじろう先生のペット・柴犬オス。
記事を知的でキュートなコメントで締めてくれる。
「古久澤先生の著書『しあわせを引き寄せるカラダ』には、『人を許すことの大切さ』が説かれています。
しかし、私には何年経っても許せない相手が居ます。正直、この先も許せる氣がしません。
この恨みを消す技はありますか?
そんな技がないなら、代わりに『恨みを晴らす氣功の必殺技』を教えてほしい と正直思います。
許せないヤツがいる 許せないことがある」
「相談者さんが言っているのは、『しあわせを引き寄せるカラダ』の『おわりに』の部分だよね。
『桃太郎』の昔話を例にしたところ。桃太郎は鬼を『退治』したけれど、鬼が改心したから、鬼の命は奪わなかった。
罪を憎んで人を憎まず。反省したら許して受け入れる。
これが心身の病の最大の予防法であり、治療法にもなるのではないかと。
自分を許せず、他人を許せないから病氣になっちゃう。
夢をかなえるためのエネルギーも、恨みで消耗されるってお話」
「『許せる』ようになるには、一生かけても取り組む価値がある とも書かれている。
言い換えれば、『場合によっては、許すのに一生かかるよ』と読める」
「確かに、短期間でアッサリ許せるようじゃ、その程度の恨みだったってことだよね。
ところで、恨みを晴らす氣功の必殺技なんてあるの?
丑の刻参り(うしのこくまいり)=深夜に相手と見立てた人形に、釘を打ちつけて呪う とか?」
「いまどき、丑の刻参りをやっている人が居るのかは知らない。
しかし、相談者さんがどうしても許せない相手が居るなら、いっそ10年でも20年でも、恨みを貫くのもひとつの選択。
相手に何も危害を加える必要はない。ただ、『お前を許していないぞ』という波や雰囲氣を送り続ける。
『喧嘩が三度の飯より好きだ』『マウントを取ることこそ生き甲斐』と言うような人間でも、さすがに10年を超えると、
『もう、いい加減にしてくれよ』とウンザリするものである。
顔を合わせても、相手の方から避けるようになる。
そうなると、物理的に同じ空間に居ても、お互い別の宇宙に居るような状態。
相手は、『こんなしつこいヤツの恨みを買うんじゃなかった』と心底後悔する筈。
『絶対に許さない』と言うのは、ある意味では喧嘩の必勝法。これも一種の『ウサギとカメ』」
「嫌なカメだな(笑)」
「この方法なら、法律で裁かれるリスクはない。
ただしそこまで長期間、他人にマイナス感情を持ち続けると、身体が固くなる可能性があるが、そうなっても『勲章』と受け止めていただきたい。
その固さが病氣の原因になったり、新たな人間関係のトラブルを引き寄せるかも知れないが、『絶対に許さない』という想いを貫いた結果なのだから、『本望』と思ってほしい。
自分は不幸になったけれど、憎いあん畜生には屈しなかったんだ と」
「長年そこまで恨まれたら、氣=エネルギー的には、相手の運命も、心身も悪影響を受けそうだけどね。
立派な『呪いの氣功』だよ。
昔の人は『人を呪わば穴二つ』って、よく言ったもんだよ。穴って言うのは、自分と相手が入る墓穴のこと。
ここまで徹底しなくても、長年許せない相手が居る人は、氣的には同じことをやってるいるわけか。
丑の刻参りは、その究極の姿。
それで、『許せるようになる』方の技はないの?」
「やはり、まず身体がベース。マイナス感情は胸周辺に溜まって、長年の間に固くする」
「胸は『感情の座』だもんね」
「しかし、いきなり胸そのものを柔らかくするのは難しいので、鎖骨周辺からアプローチするのが早道。
なぜ四つ足動物の胸や背骨が自在に動くかと言えば、鎖骨がそれほど発達していなから。
人間は鎖骨が発達したおかげで、胸郭内部の臓器が保護されているが、鎖骨そのものが胸や背骨を動かすブレーキになるデメリットも生じた。
特に力み癖のある人、マイナス感情をため込んだ人は、鎖骨周辺がますます鎧のように固くなっていく」
「多くの現代人は、自分の鎖骨周辺が固いことさえ自覚していないもんね。
鎖骨は顔で言うと眉毛。鎖骨が上がって固まった人は、眉毛もつり上がるから、表情がきつくなっちゃう。
左右の鎖骨がアンバランスだと、眉毛も左右でチグハグになるし。
鎖骨周辺を柔らかくするには、胸鎖関節から鎖骨と腕を上下させて、前後に放り出すお馴染みの体操だよね。
読者のみなさんは、『また、これかよ』って思うかも知れないけど(笑)」
「しかし、この体操は本当に大事なのである。
昨年の12月に行われた『ブリージング指導者勉強会』でも、実技はこの体操がメインだった。
この体操の復習に当たって、古久澤先生から、
『多くの成功法や健康法は、結果を結果で変えようとしている。だから上手く行かない。
その限界を破る一つの手段が、この体操である』
との講義があった」
「その意味は、対症療法じゃダメってことでしょ?
現代人は自分のライフスタイルを反省することなく、身体に不調が出たら、症状だけを消す方法ばかり求めちゃう。
一番分かりやすいのが胃薬のCM。
胃の方は『もう食べ物を入れないでくれ!』ってサインを出しているのに、薬で身体の悲鳴を黙らせて、もっと飲み食いしよう って無茶苦茶な主張。
自分の食生活を含めた、ライフスタイルを改善しない限り=根本療法、また同じような不調を繰り返すだけ。
だんだん薬の効きも悪くなるから、もっと強い薬をたくさん飲むようになっちゃう。
しまいに身体が壊れちゃうよ。
ビジネスだって、この商品、メソッドだと売り上げが上がらないとなると、最新の商品やメソッドが次々に登場するけど、仕事の仕方を根本から考えない限り変わらないよ。
小手先の成功テクニックじゃダメってこと。
すべてのベースである身体、特に胸周辺を変えなきゃ、『感じ方』が変わらない。
だからこそ、胸鎖関節を動かす体操が根本療法」
「ブリージングが目指す真の根本療法は、背中を動かすこと。
背骨からは全身の臓器や器官への神経が出ている。背骨が固まったり歪むと、その神経が圧迫されて異常な刺激を受ける。
その結果、神経から異常な命令が行くので、身体の各部に不具合が起きる。
背骨を動かすことで整えれば、神経からの命令も正常化するから、身体も健康に向かう。
モノの感じ方や考え方も正常化する。自分が持っている本来の能力が解き放たれる。
そのためには、まずブレーキになっている鎖骨周辺の固さを取ることが必要。
並行して背骨を動かす稽古を積む。
古久澤先生に確認したところ、『その理解でよい』と言われた。
しかし、指導者勉強会の講義内容は、更に深堀りして考えることが出来る。
『結果を結果で変えようとする』と言うことは、そもそも『結果そのものを認められない・受け止められない』ことだとチンパンは受け止めた」
「どういうこと?」
「ブリージングでは、『未来は決まっているけれど、変えることが出来る』と考える。
そして過去については、『過去に起きた事実そのものは変えられないけれど、その事実への解釈を変えれば、過去は変わる』と教える」
「たとえば、ある人に失恋して、自分は不幸になったと思っていた。
でも、別の素晴らしい人と結ばれて、すごくしあわせになった。この人と出会えたのは、あの失恋があったから。
失恋のお陰で自分はしあわせになれたんだ。
つまり、失恋って事実そのものは変わらないけれど、意味は正反対に変わっちゃう」
「それが過去と未来の違い。過去に起きた『事実自体』は、もう決定されて変わらないのである。
変えられるのは『事実・結果の受け止め方』だけ。
この当たり前の真理が肚に落ちていないと、ずっと後悔を引きずって無駄に苦しむ。人を許せないことにもつながる。
仏教にこういう逸話がある。
お釈迦様がある村に布教に訪れた時、母親が『死んだ私の子供を生き返らせてください』と泣きついて来た。
お釈迦様は、
『お前の望みをかなえてやろう。それにはケシの種が居る(古代インドではありふれた植物だった)。
この村のどの家でもいいから、ケシの種を分けてもらって来なさい。
ただし、一度も死人を出した家からでないとダメだぞ』と母親に言った。
母親は狂喜して、村中の家を回った」
「当然のことだけど、死人が出ていない家なんて無かったんだよね」
「そのとおり。ようやく母親は悟った。
人はみんな死ぬんだ。身内と死に別れない人間なんて居ないんだ。
人はみんなその悲しみに耐えていかなければならないんだ という真理に」
「人は不幸のどん底に居る時、『なぜ、自分だけが?』って思っちゃう。
その母親は、自分の身に起きた悲劇を、ようやく客観的に観れるようになったんだね。
ケシの種を分けてもらうために、村中を歩き回ったことで、頭に昇っていた氣も下がって、冷静になれたろうし。
お釈迦様は、すごい心理学者だね」
「四苦八苦と言う仏教用語は日常語になっている。四苦=生老病死は有名だが、八苦のひとつに、愛別離苦(あいべつりく)=愛する者と別れなければならない苦しみ がある。
この母親は、愛別離苦の真理を悟ることで、仏教徒になったと言う。
これがイエス・キリストなら、奇跡を起こして死んだ子供を蘇らせたかも知れない。
新約聖書には、イエスの病氣治しの話がたくさんあり、場合によっては死者さえ生き返らせている。
お釈迦様は超能力的な奇跡を起こすことを薦めない。これが西洋と東洋、キリスト教と仏教のひとつの違い」
「お釈迦様は母親の頭の中を変えることで、心の救いを与えたわけだね。
これを『すり替え』と見るか、『見事な根本療法』と捉えるかで変わって来るね」
「脳科学者の苫米地英人も、思考の枠組みを変えることの威力について語っている。
脳が根本から変わったら、いまの自分のレベルで持っている願望は、頭に浮かぶこともなくなる。
そんな願望を持っていたこと自体忘れるだろう と」
「悩みやマイナス感情も、脳が変ったら消えちゃうかもね」
「15年ほど前に、ブリージングで氣功を学び始めた時も、
『氣が本当に高まったら、かっての自分の<屈辱の記憶>を振り返って、自分は何てレベルの低いことで悩んでいたんだろう。
と笑える日が来る』
と古久澤先生に教わって、希望を持った。
しかし、あれから15年経っても、チンパンの『屈辱の記憶』は屈辱の記憶のままなので、まだまだ根本的に変われていないということである」
「根本療法は時間がかかるもんね。チンパン君の才能の問題もあるかも知れないけど(笑)」
「子どもを亡くした母親のエピソードが実話かどうかは分からない。
しかし、多くの人は、起きてしまった不本意な結果を受け入れられない・認められない。
何とかその結果を変えようとする。あるいは『あの時ああしていれば、この結果は避けられたかも知れない』と後悔する。
つまり『結果を結果で変えようとしている』。
それは子供の亡骸を抱えて、『わが子を生き返らせてくれ』と泣き叫んでいる母親の姿と変わらない」
「指導者勉強会でも、胸鎖関節から鎖骨・腕を動かす体操は、意外と出来ていない人が多かったよね。
組手で他の人に腕を持って、上下して貰うとハッキリわかっちゃう。
自分で勝手に動く人、固まる人、肘が曲がる人。その他いろいろ。
胴体からじゃなくて、末端主導で動いている証拠。
骨で動くんじゃなく、筋肉で引っ張っている証拠。
重力に任せて腕を落とせない証拠」
「この体操はシンプルだが、奥深い。
本当に出来ていたら、達人の域に近づいたと言ってもいいくらいである。
凡人は出来ていないのが当たり前。もちろん、チンパン自身もまだまだ。
しかし、その現実・いまの結果を認めないのは、ファイトがあるのではなく、ただ頑固なだけ。
素直じゃない。そういう人に先はない。人を許せる日も来ないだろう」
「下手くその 上級者への 道のりは 己が下手さを 知りて一歩目 だもんね」
「極真空手創始者の大山倍達(おおやま ますたつ)は、
『試合に負けた選手は色々言うものだ。
しかし、百万言を積み重ねても、その試合の敗者が勝者になることはないんだよ』
と言っている。
もちろん、その試合に負けても、次の試合で勝てばいい。
試合に負けたからと言って、人生の敗者になるわけでもない。
そういう視野の広さは必要だが、『その試合の勝敗だけ』に限定すれば、敗者は『永遠の敗者』なのである。少なくとも記録にはそう残る。
『あの試合は、本当は自分が勝っていたんだ』などと不満ばかり言っている選手で、後年チャンピオンになった人は、まず居ない筈である」
「その時点での負け、失敗を認められないのは、プライドが高すぎるって面もあるんだろうね。
人を許せないのも、無駄にプライドが高すぎるのかも?
肩が上がっている人ほど我が強くてプライドの塊。
胸鎖関節から鎖骨を動かす体操が上手になるほど、肩が下がって我が消えちゃう」
「大山倍達が生涯尊敬していた、宮本武蔵の『我、事において 後悔せず』という言葉は有名。
ブリージングにも深い影響を与えている。
これは自分は失敗したことが無いんだと言う、驕りの言葉ではない。
ましてや、自分は反省を知らない人間なんだという言葉でもない」
「反省と言う言葉を知らない人は、ただのバカだよ(笑)。
ブリージングで同じく重視している『易経(えききょう)』でも、『悔い改めれば=反省すれば、大きな災いはない』って教えがたくさん出て来るのに。
武蔵の言葉は、いっけん易経と矛盾しているよね」
「しかし、武蔵が戒めているのは、過去の出来事にいつまでも引きずられること。
恨みが捨てられないのも同じこと。
学ぶべき教訓を得たら、余計な感情を持たずに先へ進むのが武蔵のスタイル」
「これまたブリージングに大きな影響を与えた、心身統一合氣道創始者の藤平光一(とうへいこういち)先生も、人間だから人と争ったり、決別することもあったんだよね。
でも、藤平先生は、別れるときに『色々あったけど、今までありがとう!』って笑顔で別れたそう。
そして二度と振り返らない。
凡人は嫌だなと思いながら、なかなか縁が切れないし、別れた後も引きずって悩むことが多いよ」
「相談者さんも、そこまで長年恨んでいる相手が居ると言うことは、その人は相談者さんに何かを教えてくれるための『逆縁の師』なのかも知れない。
出来れば今回紹介した体操をやり込んで、マイナス感情を別次元の何かに昇華させて行ってほしい。
やや宗教的な言い方をすれば、多分それが『救われる道』」
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(虎徹のワン!ポイントコメント)
ブリージングスタッフ・ふぐじろう先生のペットの虎徹です~。
写真は、赤いリボンが絡みついたボクです。
ブリージングが重視する『観音経』には、七難が出て来ますが、その一つに枷鎖難(かさなん)があります。
枷は罪人を拘束する手枷足枷、鎖も全身を縛ります。
恨みなどのマイナス感情を持って生きる人は、自分の心身を枷や鎖で縛って生きているようなモノです。
賢明な読者のみなさんにはお分かりでしょうが、ボクに絡まったリボンは、枷鎖難の喩えです(笑)。
ブリージングはお経や祝詞を、『音による一種の整体・体操』と捉えます。
だから観音経を読経することによっても、恨みなどのマイナス感情が少しずつ消えて行きます。
まさしく成仏です(笑)。
祝詞やお経の意味が分からなくても、潜在意識をクリーニングして行ってくれます。
2月3~5日にかけて開催された、ブリージング立春合宿では、声が潰れるほど祝詞や神道の祓行を行ないました。
喉は潰れてもすぐ再生します。この時、ヴイシュダチャクラも浄化されます。
普段の言葉遣いが良からぬ人ほど、喉のチャクラが汚れています。
聖書にも「口から入れる物(食べ物)よりも、口から出るモノ(言葉)があなたを穢す(けがす)」と書かれています。
マイナス感情を乗り越えた時に、魂がひとつ高い次元に成長するのではないでしょうか?
その意味では、マイナス感情も必要だから人間に与えられているとも言えます。
Receive joy through sorrow. 苦悩を経て、歓喜に至れ とベートーベンも言っています~。
つづく