(ブログの登場メンバー)
「チンパン」 ブリージングメソッドを分かりやすく伝えるため、日々猿知恵を絞っている。
「杏子(あんこ)」 長年にわたってチンパンの問答相手をつとめる。もはや腐れ縁と諦めているようである。
「虎徹(こてつ)」 ブリージングスタッフ・ふぐじろう先生のペット・柴犬オス。
記事を知的でキュートなコメントで締めてくれる。
「何年もブリージングストレッチをやっていますが、いまだに健康・仕事・人間関係の悩みが多いです。
どんな理由が考えられるでしょうか?
果てしなき闇の彼方に」
「この秋(9月29日~10月1日)に開催された、ブリージング氣功合宿の講義で、この相談への答えが、ズバリ語られていたよね。
その人自身の日常生活における、マイナスの想い・言動が原因だって。
体操や食事法、神社参拝とかプラスのことをやっていても、他人に意地悪したり、悪口ばっかり言っていると、そのマイナスに負けちゃうんだよね。
相殺されてなかなかプラスの氣が積み上がって行かない=いつまでたっても現象面の問題が解決・改善しない」
「その通り。マイナス感情・思考・言動の癖は、子供の頃からの生活習慣で完全に染みついている場合が多いので、なかなか抜けるモノではない。
多くの人は、朝起きてから、夜寝るまでの間に、(内言も含めて)何回人の悪口を言ったか、カウントしたら驚くであろう。
そのくらい息を吐くように自然に無意識に、マイナスの言葉を口から出している。つまり、そういう呼吸になっている。
こうした自分の心・性格の悪しき癖が、向上への脚を引っ張ると言う訳である。もとはこちら=自業自得」
「結局、性格が悪い人は、自分が一番損をしているってこと。罰は自ら当てている。
チンパン君も口が悪いしね」
「振り返れば、人間の頭脳で考え着く限りの悪口を言っていた時期もあるが(笑)、相当運氣を落としていた」
「分かっちゃいるけどやめられないのが人間の業の深さ。だから古典のヨガには八戒(はっかい)って修行段階があるんだよね。
一番最初が禁戒(きんかい)。人の悪口を言っちゃいけないとか、人のモノを盗んじゃいけないとかの戒律。厳密には心の中でそうした感情や欲望を持つだけでもダメだから、大抵の人はアウトなんだよね。
しかもその戒律を苦行のように守るんじゃなくて、喜びながら行えるのが修行の第二段階=歓戒(かんかい)」
「もちろん完全を求めたら、ほとんどの人はヨガに入門さえ出来ない。
しかし、こうした心の問題を無視して、テクニックやエネルギーだけ高めると、反社会的存在になってしまうリスクがあるので、古典ヨガでは八戒を厳しく言うのである。
仏教にも同じような戒律がある」
「ブリージングが体操教室なのに、祝詞やお経もやるのは、そうしたマイナスの心を、少しずつでも消してくれる効果があるからだよね」
「日本は嫉妬の王国。他人の成功やしあわせを妬む一方で、他人の失敗や不幸話は大好き。
その証拠に、SNSには他人のゴシップ情報が氾濫している。
まして芸能人・有名人が何かやらかそうものなら、犯罪者でもあるかのように叩きまくる」
「SNSが無かった時代も、TVのワイドショーや、週刊誌は不幸話のオンパレードだったもんね。
『自分の身を守るためにも、他人の失敗談を知っておくことは大事だから』って言い訳するけど、本音は楽しいから(笑)。
その上、『我が身にも同じ災難が起きたらどうしよう?』ってクヨクヨ心配してるんだよね。しかも、結構リアルにイメージしているし(笑)。
脳は現実とイメージを区別できないから、インプットされた通りに、マイナスの情報を処理、出力してくれちゃう。だから似たようなマイナスの事象を引き付けかねない。
わざわざ他人の不幸に興味を持つと言うことは、自分のチャンネルを不幸の世界に合わせているってこと」
「医者でもないのに、やたらと病氣に詳しくなるのも良くない。昔、『家庭の医学症候群』ともいうべき現象があった。
昔はどこの家庭にも『家庭の医学』が1冊は常備されていた。家庭の医学を愛読し、自分の身体の不調と結び付けてクヨクヨ悩むのが、家庭の医学症候群」
「症状が当てはまる・似ているから、自分は大変な難病にかかっているんじゃないか?って怖がるんだよね。
しまいに本当に具合が悪くなっちゃう。思い込みだけで『家庭の医学』に書かれた症状を引き起こしたりね。
想像妊娠みたいなもの。まさしく引き寄せの法則だよ(笑)。
いまはSNSがあるから、もっと手軽に大量に、病氣の情報を集められるしね。使いこなせもしないのに、専門情報を山ほど集めたって、余計怖くなるだけなのに。
仕事や人間関係の悩みでも、同じようなことをやっている人はたくさんいるしね。
便利な筈の最新ツールが、新たな不幸の種になっている。
ドラえもんのひみつ道具に振り回される、のび太君みたいなもんだよ」
「どうせ共感・共振するなら、他人のしあわせにチャンネルを合わせた方が良い。
他人の成功を妬んだり、自分なんかには別世界の出来事と感じるのは、完全に『分離』しているから」
「『同じような成功やしあわせが、私には訪れませんように』って願ったのと同じことだよね」
「それよりも思い切り祝福して、最後に『それは私です』と内言でよいから付け加える。
脳は現実とイメージを区別できないから、潜在意識はその成功やしあわせに向かって動き始める。
だからスケールは違うかも知れないけれど、同質のプラスの出来事が起きやすくなる。
最近は言わなくなったが、昔の日本人は、他人のしあわせを目にすると『あやかりたい』=『影響されて、自分も幸運になりたい』とよく口にした。
だからチンパンはこの技を『あやかりの極意』と名づけた」
「そのためには、まず自分を肯定出来ること。『どうせ私なんか』って思っていると、引き寄せたしあわせを受け取れないもんね。
その場だけでもいいから、『私は素敵だ』って思うことが大事」
「自己肯定感と深い関わりがあるのは、胃を始めとする消化器。お腹の具合が悪い時は、どんな人でも自己肯定感が落ちる。
だから酵素断食などで、消化器を浄化したり、整えておくことは大事なのである」
「そして身体が緩んでいることも必須。他人に共感するには、社会的立場とか、専門能力とかよりも、身体=特に胸が緩んでいるかが決め手になっちゃう。
緩んでいればプラスのイメージも湧きやすい。しあわせじゃない人って、未来への不安とか、過去の嫌な記憶とかは、すごく鮮明に脳内に描くのが得意。だからいつまでも不幸が止まらない。
でもしあわせな状態を臨場感を持ってイメージ出来ないんだよね。本当にアリアリとイメージ出来たら、脳にとっては、既にしあわせになったも同然。
だから不幸もしあわせも、自分で選んでいるってこと。不幸な人は、本当は不幸なままの自分が好きなんだよ」
「『マイナスの心の癖を消さなくては』と自分にダメ出しし続けるのは、正直余り楽しくない。
他人の成功に同調できる心の癖=『あやかりの極意』が習慣になっていけば、反比例してマイナスの心の癖は減って行く」
「そっちの方が取り組んでいて楽しいよね。合わせてベースになる身体=胸を整えて行けば、ますます手堅い。
ただ、ひとつ疑問なのはさ、他人の不幸を楽しむのは良くないけど、同情するのもダメなの?
他人の不幸に全然無関心って、人としてどうなのさ?」
「これも合宿中の講義で軽く触れられたが、他人の不幸に共感できることは必要。しかし同情は良くない。
時間の関係もあって、講義ではここまでであった」
「共感と同情って何が違うの?」
「古久澤先生の師・伊藤昇先生の著書『スーパーボディを読む』にヒントがある。
P126に歌手や舞踊の表現力と胸の関係が説かれている。
『胸の動きは情感の表現に欠かせない。しかし胸だけ動いても、股関節の捉え=下半身の安定がないと、妙にクネクネして見えるだけになる。
確固とした足場が無いと、ただの哀訴や媚になってしまうのは実人生と同じである』
と言う意味のことが書かれている。
他人の不幸を見ても、まったく感情が動かないのは、確かに人として異常。
やがては人間社会の中で生きていくことが難しくなるであろう。
胸が柔らかい動きを取り戻すと、共感能力が甦って来る。
だが地=現実に足が着いていないのに、胸だけやたらと動く人は、共感を通り越して、相手に完全に同化して引きずられてしまう。
共感=『相手と共に感じる』にはちゃんと自分があるが、同情=『情を同じくする』では、自分が相手と同化して消えている。
待っているのは共倒れ。
いわゆるダメンズ好き=ダメ男遍歴を繰り返す女性も、同情の病」
「たとえば健康法指導者をやっていると、生徒から病氣の相談を受けることが多いもんね。
共感力がない指導者は、病氣の生徒の心身の辛さを無視して、健康な生徒と同じような体操をやらせたりするから事故を起こしかねない。
でも、生徒に同情して、病氣治しにばかり意識をフォーカスしちゃうのもダメ」
「確かに苦しんでいる生徒が目の前にいれば、何とかしてあげたいと思うのは人として自然な感情。
しかし、健康法指導者は医者でも治療家でも身体の修理屋でもない。
生徒に身体の整え方を教え、サポートすることが本業。
身体が整うことで、本来の自然治癒力が発揮されて、不調が治って行くケースも多々ある。
健康法指導者の社会的な存在意義はそこにある。
ただ、全員が治る保障もないし、いつどの症状が治るかは人によってみんな違う。神のみぞ知るである」
「とにかくこの症状だけを消してほしい って願う人は、医者や治療家のところに行くべきだよね。
同情すると、健康法指導者である自分の立脚点・立ち位置を忘れちゃう」
「木=症状ではなく、森=身体と心全体 を観ることが健康法指導者には必要。
『治す治し方』と『治る治し方』『治さない治し方』の違いとも言える」
「こうした心の話は、今回の合宿が初めてじゃなく、ブリージングの一年講座やセミナーで何度も繰り返し勉強した内容だもんね。
でもすぐ忘れちゃうから、合宿で復習の意味もあって講義されたんだもんね」
「チンパンにとっても良い復習になった。講義は心の話がメインだったが、氣功合宿のキモとも言うべき内容である。
他人のしあわせや成功に意識をフォーカスすることで、自分にも福がやって来るなら、その分だけ楽しい人生になる」
「キーワードは、『それは私です』だよね」
(リンク)
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(虎徹のワン!ポイントコメント)
ブリージングスタッフ・ふぐじろう先生のペットの虎徹です~。
写真は、ふぐじろう先生にダッコされて、海の浅瀬を渉る(わたる)ボクです。
ボクは水が苦手なのです。
これも氣功合宿の講義で説かれたことですが、氣功の世界では、
I am you, you are me.=『私はあなた あなたは私』 なのです。
誰しも出来ないこと・苦手なことがあって当たり前。それは他人がやってくれます。でも氣的には自分がやったのと同じことなのです。
現実には(色の世界)、自分が出来ることをしっかり果たしていればOK。エネルギーレベル(空の世界)ではキッチリ循環しているからです。
ボクは色の次元では、ふぐじろう先生に世話を焼いてもらっていますが、空の次元では誰にも出来ないほど、ふぐじろう先生を癒しています。
氣功合宿最終日の早朝に、雷が轟きました。来年(氣的には2月4日以降)は九星で言うと、三碧木星(さんぺきもくせい)。雷が象徴の年です。雷とは革命レベルの激しい変革です。
このように天はいつもメッセージをくれています。共感力が高い人は兆しと言う形でメッセージを貰えます。共感・共振は人間相手とばかりとは限りません。
『易経(えききょう)』にも天に雷が轟く卦があります。
ひとつは『雷天大壮(らいてんたいそう)』。激しい変化発展を意味する、イケイケの状態の卦です。ただし陽が過剰になり勝ちなので、やり過ぎて正道を踏み外すな と戒める卦でもあります。
もうひとつの卦は、『天雷無妄(てんらいむぼう)』。災厄を意味する卦です。
雷の語源は、『神成り給う(かみなりたまう)』だと言う説があります。怒れる神が降臨したら、人は成すすべがありません。
昔の人にとっては、雷が激しくなる嵐の時は、本当にお手上げだったはずです。
易経の卦の解説にも、『天命が援けてくれないとどうにもならない』と書かれています。
でも、逆に言えば、天命が援けてくれれば何とかなるわけです。
天命=自分の本来の役割に則って生きる人には、役目を果たすまでは天が死なせない筈です。
大祓などに親しんでいると、自然に自分の天命に近づいていくようです。
兆しやメッセージをプラスで受け止めるか、マイナスで受け止めるかで、来年の運勢が全然変わって行きます。
もう一度ボクの浅瀬渡りの写真をご覧ください。
般若心経の『羯諦羯諦(ギャーテイギャーテイ)』=彼岸へ渉れるよ のマントラのようではありませんか。
『私はあなた あなたは私』で、新しい次元に飛躍出来る年にして行きましょう~。
つづく
次回更新は12月3日(日)予定です。