「わらしべ長者」に学べば、運のいい人になれる | 「チンパンのブログ」

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(ブログの登場メンバー)

                                     
「チンパン」 ブリージングメソッドを分かりやすく伝えるため、日々猿知恵を絞っている。



「杏子(あんこ)」 長年にわたってチンパンの問答相手をつとめる。もはや腐れ縁と諦めているようである。



「虎徹(こてつ)」 ブリージングスタッフ・ふぐじろう先生のペット・柴犬オス。

記事を知的でキュートなコメントで締めてくれる。

 

 

「これまでの人生を振り返って、『自分は運が悪い人間だ』と思います。

 

 ブリージングでは『偶然を活用することが、人生を飛躍させる秘訣だ』とか、

 

 『素敵な出会いや、チャンスは偶然を装ってやって来る』などと教えていますが、

 

 そもそも私はそんな<素晴らしい偶然>を経験したことがありません。

 

 改善する方法はないのでしょうか?

 

 

                                              毎日がつまらない男」

 

 

「運を良くしたかったら、『まず身体と呼吸を整えましょう』って言うのがブリージングの教えだよね。

 体操の教室なんだから当たり前(笑)。

 

 特に大事なのが顔つき。もっと言うと目つき。自分の目から発信している波動が、それにふさわしい人を引き寄せるから。

 

 そもそも目が変わるってことは、脳が変ったって言うこと。

 

 脳内空間が変れば、考え方も感じ方も変わる。当然生き方も運命も変わって行っちゃう」

 

 

「そのとおり。そして身体を整えながら、運を良くするための頭の勉強も必要。

 だからブリージングでは中級者以上には、『易経(えききょう)』などの古典の勉強を勧めている。

 

 特に易経には宇宙の偶然と必然の織りなす法則性が、全部書かれている」

「でもさ~、いきなり『易経』はハードルが高すぎないかい?

 

 もう少し手軽なテキストはないものかね?」

 

「うんと簡単なところでは、昔話。子供でも分かるように偶然との付き合い方、活かし方がイキイキと描かれているから。

 

 中でも『わらしべ長者』が抜群にいい」

 

「ビジネス書とか、スピ系・人生論の本にも、『わらしべ長者』に触れたモノが時々あるくらいだもんね。

 ある意味じゃ鉄板ネタ。

 

 

 むかしむかし、ある所に貧乏な若者がおりましたとさ。

 

 ある晩、若者の夢の中に観音様が現れました。

 観音様からは、『明日の朝、家を出て最初に手に入れたものを大事に持って旅に出なさい』ってお告げ。

 

 翌朝、家を出た途端に若者は転んじゃう。立ちあがった若者は、手に一本の『わらしべ』を持っていることに氣づいちゃう」

 

「普通はわらしべなど、『こんなつまらないもの』と捨ててしまうところだが、若者は観音様の夢を思い出して、わらしべを大切に持って旅に出る。

 

 このように偶然の始まりは、平凡なモノ、ちっぽけなモノにしか感じられない場合が少なくない。

 しかし、若者はそれを西洋風に言うと『オーメン(予兆)』として、大切に受け止めた。

 

 こうした微差に氣づく力が、運の良し悪しを分けていく。氣づくポイントは胸を柔らかくすること。

 だからブリージングストレッチには胸郭や肋骨の体操が多い」

 

 

「その割には、若者はわらしべを軽く扱っているよね(笑)。

 

 だってその後飛んで来たアブを捕まえて、わらしべに結わえちゃうくらいだから。

 

 まあ、観音様からの授かりものだったとしても、それを神棚に祭り上げることなく、有効に活用しちゃう精神は大事かも?

 よく言えば大らか。

 

 そしてモノは使ってこそ、初めて価値を発揮する。どんな宝物でも、使わないんじゃ無いのと同じだもんね。

 

 身体も同じ。現代日本人はせっかくの骨とスジ(インナーマッスル)を使わないで、肉(アウターマッスル)ばかり使っているもんね。

 だから苦労の割には結果が出ないし、故障しやすい。

 

 骨とスジを使った方が、遥かに楽に効率よく動けて、健康にもなれるのに」
 

 

「アブのついたわらしべを、旅の無聊の慰めとして、若者はテクテクと歩き続ける。

 飛び回るアブを陰、そのアブをつなぎ留めている『わらしべ』を陽とすれば、陰陽が結ばれた状態。

 

 その『結び』が新たな偶然の出会い=縁を引き寄せた。

 

 若者は親子とすれ違う。子供がアブのついたわらしべを欲しがったのである。

 

 普通に考えたら、わらしべもアブも『つまらないモノ』の代表である。しかしそれを結びつけることで、効用が生まれた。

 

 若者にとっては旅の無聊を慰めるツール。子供にとっては素敵なオモチャ。

 

 自分にしか価値がないモノは趣味の領域だが、それを他人が欲しがるとお仕事・商品になり得る。

 

 

 そして肝心なのは自ら発信すること。若者は別に見せびらかす氣は無かったのだろうが、アブのついたわらしべを持って往来を歩くこと自体がアピールになっていた。

 

 呼吸で言えば、発信するのは『息を吐く力』。受信する・出会いを引き寄せるのは『息を吸う力』。

 

 古久澤先生は20代前半の頃、

 『呼吸法をやるとシンクロニシティ=意味ある偶然の出会い が増える』と教わったそうである。

 

 実際に呼吸法の実践で、様々な出会いが増えたので、その教えが真実であることを確信されたとのこと」

 

 

「子供がアブ付きわらしべを欲しがって仕方ないから、母親は若者にミカンと交換してくれるよう頼むんだよね。

 

 若者は快くOKして、子供は大喜び。

 

 いい話になっているからスルーし勝ちだけど、冷静に考えたら、

 『あんた、観音様から授かったわらしべを、そんなに簡単に手放しちゃっていいの!?』

 

 ってツッコミどころじゃない?

 

 夢のお告げ=『最初に手につかんだモノを大事にして旅に出ろ』とも矛盾してない?」

 

「それは首から上の判断に捉われているから。若者はすべてを観音様の導きに委ねていたとも解釈できる。

 

 だから起きる偶然はすべて拒まず受け入れる。

 

 確かに、わらしべは若者から消えてしまったが、代わりにミカンが手に入った。

 わらしべがミカンに姿を変えたとも言える。

 

 般若心経で言う色ではなく、空の観点に立てば、若者の言動に矛盾はない」

 

「今あるモノを手放すから、新しいモノが手に入るってわけか。

 

 四つんばいの手指反らしは、手放す力を養う体操でもあるよね。

 執着が強い人ほど、この体操は苦手。つかむ力=屈筋ばっかり強くなってるから」

 

 

「ブリージングの歴史も手放すことの繰り返し。

 最初は足のリフレクソロジーのお店として開店し、お客さんもたくさんついた」

 

「でも二年ほどで整体院に変わったんだよね。経営も順調だったけど、そこから数年かけて、体操教室にシフトチェンジ」

「体操教室としても、ほぐし系の体操がメインだったが、次第に氣功や胴体力の体操を導入。

 

 やがて神社参拝、祝詞奏上、大祓筆写なども行うようになって現在に至る。

 

 路線変更するたびに、古久澤先生は『せっかく上手く行っているのに、なぜ変えるの?』と関係者や知人から言われたとのこと。

 しかし、やりたいことが明確だったので、慎重に準備した上で変更されたと言う」

 

 

「わらしべ長者に話を戻すと、次に若者は、バテて道端にうずくまっている若い女性とボーイミーツガール。

 

 女性は若者からミカンを貰って、すっかり元氣を取り戻しちゃう。

 お礼に上等な反物を貰って、また旅に出る若者であった。

 

 すると今度は道端でへばっている馬に遭遇(笑)。

 馬の持ち主の侍は、

 『どうだ若いの、反物と馬を取り替えないか?』って話を持ち掛けるんだよね。

 

 若者は馬を一生懸命看病したら、すっかり馬は回復。

 馬に乗った若者は、快適に旅が出来るようになっちゃう。

 

 ピンチはチャンス!仕事だってトラブル解決を通して、ステージアップする人は多いもんね」

 

 

「若者がある村に着いた時、その村の長者が、『なんて立派な馬だ』と感心して、若者を家に招く。

 

 滞在するうちに、長者はすっかり若者を氣に入った。

 

 『私は数年間旅に出るから、君の馬を譲ってほしい。

  代わりに私が帰ってくるまで、我が家は君の好きに使ってくれ」

 

 と言い残して、長者は旅に出た。それっきり何年経っても帰ってこなかったので、若者は長者の家屋敷・財産を相続し、『わらしべ長者』と呼ばれるようになった。

 

 伝承によって、細部に多少の違いはあっても、基本的に『わらしべ長者』はこういう話である」

 

 

「始まりは一本のわらしべだもんね。それがミカン、反物、馬、家屋敷へとグルグルと姿を変えていく。

 般若心経で言う、『色即是空(しきそくぜくう)・空即是色(くうそくぜしき)』そのもの。

 

 この循環を氣=エネルギーで説くと、氣功になるし、お金で説くとビジネス書・経済論になっちゃう。

 

 お金も氣が形を変えたモノだから、同じことだけどね」

 

「わらしべ=氣の象徴・依代(よりしろ)が、色々なモノに変化していくキッカケは、すべて偶然。

 若者はその偶然を上手く活用したから、最後はしあわせになれた」

 

「若者が成功できたのは、変に『我』を張らなかったからだよね」

「そのとおり。

 

 若者は『わらしべ長者』の主役なのに、まったく自己主張することなく、『わらしべ』から始まった『モノ』の運び屋・媒介者に徹している。狂言回しのような役割り。

 

 現実世界でも『我』を出すほど上手く行かない。

 何かを発信する際にも、お金や名声だけが動機の人は、ギラギラしているから警戒される。

 

 『私が扱っている商品、サービス、メソッドなどの素晴らしさを、世の多くの人々に知ってほしい』

 という想いで発信する方が成功しやすい。『我』が主体になっていないから。

 

 

 我が強い人は自分の価値観にこだわり過ぎて、独りよがりになるリスクもある」

 

「自分が興味のあることが、他人も同じように興味があるとは限らないもんね。

 

 相手が欲しがるモノを提供できることが、仕事や人間関係をハッピーにする基本だよ。

 

 『わらしべ長者』の若者は、自分が持っているモノを欲しがる相手と、ジャストのタイミングで偶然出会えたから上手く行ったんだもん」

 

「古久澤先生は、ブリージングを立ち上げる前から、体操などの身体メソッドを指導されていた。

 『若い頃ほど、生徒が求めるモノよりも、自分がやりたいことばかり教えていた』とおっしゃっている。

 

 たとえば、年輩の生徒にいきなり胴体の体操を教えても、難しくてきつくてやめてしまう。

 手足の末端の体操を導入してから、生徒の定着率が良くなった」

 

「リピーターになってくれなきゃ、教室運営が成り立たないもんね。

 生徒のニーズに応じた柔軟な指導が出来るためには、指導者は多くの引き出しを持たなきゃいけない」

 

「そして教えるメソッドが普遍性を持っているほど良い。普遍性とは『空』そのもの。

 

 たとえばヨガの難ポーズがいくら上手に出来ても、アクロバティックな動きと言う意味では、サーカスを見ていた方が面白い。

 

 武術の凄い技を見せたって、興味のない人にとっては、その価値が分からない。人が倒れて、それで終わりにしか見えない。

 

 つまり『色』の世界だけだとマニアにしか受けない。

 

 

 自分の仕事や趣味への応用の可能性を見出すから、大勢の人が飛びついてくる。

 

 古久澤先生の師・伊藤昇先生が開発された胴体力メソッドは、あらゆる身体運動を『胴体3つの動き』と言う観点から整理体系化したもの。

 

 スポーツ・ダンス・武道などに応用可能なため、大ブームになった。

 更に胴体力メソッド以後は、身体運動を『胴体』と言う観点から捉えることが常識になった。

 

 だから胴体力は、単なるブームで終わらないエポックメーキングなメソッドだった」

 

「普遍性=空を踏まえた対応が出来るには、頭と身体に柔軟性も必要だよね。やっぱり体操しなきゃ」

 

 

「もちろん、相手のニーズに応えることが大事と言っても、何もかも合わせる必要はない。

 

 よく使われる喩えだが、八百屋に来て、『魚を売ってくれ』と言う客の注文には、お断りするのが正解」

 

「八百屋さんは、いい魚を仕入れるルートは持ってないもんね(笑)。野菜ほどには魚の専門知識もないだろうし」

 

「完全に自分を無くして、すべて相手の言う通りにするのは、『空』ではなく『無』になっている。

 それも悪い意味での無(笑)。

 

 『自分が提供できるのはここまで』と言う<幅>を決めよう。

 その意味では、自分の『色』を守った方がいい」

 

「『相手は何を求めているのか?』と、『自分は何を提供できるのか?』がピタッと合った時に、良き縁が結ばれるってことさ。

 

 ぴったり合うのは偶然でも、背後に必然性があるから上手く行っちゃう。

 

 『偶然に徹して、必然に委ねる』ってそういうことだよ。

 

 自分の『色』を守ることは、『軸を持つ』って言い換えてもいいかも?」

 

 

「そのとおり。軸があれば無駄に迷わなくなる。情に流されることも減る。

 

 人の一生は決断の連続。自分の選択によって、新たな出会いが生まれるが、今までの仲間と縁遠くなる場合もある。

 

 ブリージングも路線変更するたびに、新しいお客さんや生徒さんも入ってきたが、『前の方がよかった』と足が遠のく人たちも居た。

 

 しかし、古久澤先生は『教室が目指す方向』と言う軸を明確にされていたので、ブリージングは変わり続けた。

 

 軸立たば、憂いなからん」

 

 

「ブリージングストレッチには、柔らかい軸と、空なる柔軟な対応を同時に養う組手があるもんね。

 『柳に風』って言う組手。

  

 パートナーがあらゆる方向から、立っている受け手の身体を掌で優しく押す。

 受け手は逆らうことなく、押される方向に身体を揺らす。風に揺れる柳のように。

 

 ユラユラと動く受け手の動きが段々静まってきたら、パートナーがまた押す。

 受け手はどんな方向にクニャクニャ動いてもいいけど、両足は床から動かさない=軸を崩さない。

 

 2~3分行ったら受け手とパートナーを交代」

 

「柳に風をやっていると、『偶然に出会う力』『偶然を活かす力』も高まる。

 

 心身の緊張が強いは、不測の事態が起きると固く反応してしまう」

「満員電車の中で、他のお客に押されたら押し返す対応が典型だよね。実人生でも同じことをやってるんだよ」

 

「柳に風も、緊張が強い人ほど、パートナーに触れられた瞬間に身体が固まる。

 押された方向ではなく、自分の頭で予測した方向に勝手に動く場合もある。

 

 しかし、上達するに従って、動きがドンドン柔らかくなっていく。

 『風』とは出会いを運んでくる、『偶然』の象徴」

 

「風の便りって言うもんね」

「風に応じて、柔らかく自分の姿勢を変えられるということは、『偶然への対応力』が高まっていることを示す。

 

 しかも変化しっぱなしで崩れることなく、風に揺れる柳のように、必ず最後は元の姿勢に戻って来る。

 人生において大事なのは、『踏ん張る力』ではなく、『戻って来る力』」

 

 

「柳に風が上手になるほど、身体の動きが柔らかくなる、身体の深部の疲れが取れる、人とのコミュニケーションが上手になるって効果があるもんね。

 

 動く瞑想だから。シンクロニシティも起きやすくなっちゃうよ」

 

「相手が居ない場合は、イメージして一人でやってもいい。中国拳法の酔拳のような動きになる。

 

 武術だとカウンターを取るのが上手くなる。武術でも相手は勝手に動く=偶然性。偶然への対応力が高まるから当たり前」

 

 

「最後に、現実に『偶然の出会い』を活かして、しあわせになった人の例を紹介してくれないかね?」

「ボクサーの花形進の例を紹介しよう。この話もボクシングに詳しい人には鉄板ネタ。

 

 花形は昭和40~50年代に活躍したボクサー。

 世界チャンピオンにまで上り詰め、引退後に色々な仕事をやったが、あまりうまく行かなかった。

 

 一時期は焼き鳥屋の店員をやったこともある」

「焼き鳥屋を経営していたんじゃなくて、店員をやっていたのか」

 

「花形は元世界チャンピオンと言うことで、ボクシングの試合の解説者として招かれることもあった。

 

 ある地方会場で、客席からチラチラと自分を見ている男性に氣づいた花形は、試合後に声をかけた。

 

 その男性は、花形が所属していたジムの後輩で、『花形先輩には昔、お世話になりました』とお礼を言われた。

 

 しかし、花形にはまるで記憶がなかった」

「一体、どんなお世話をしたの?」

 

「花形は2~3回、その後輩に牛乳をおごったことがあった。

 

 花形はすっかり忘れていたが、当時スター選手だった花形に牛乳をおごってもらった体験は、その後輩の中で光り輝く想い出となって残っていたのであった。

 

 

 この再会後、花形と後輩の交流が始まった。

 後輩は実業界で成功しており、花形がボクシングジムを出すなら、場所を提供したいと申し出た。

 

 花形は淡い期待を持ちつつ待っていたが、一年以上たっても実現しないので、諦めかけた頃、後輩から『ビルを抑えた』との連絡が入った。

 

 こうして花形ボクシングジムが誕生し、世界チャンピオンが出るまでのジムに発展した」

「牛乳を奢ったことが、ジムにまで発展したわけか。リアルわらしべ長者だね。

 

 相談者さんも頭と胸を柔らかくしてくださいね。毎日が、人生が楽しくなりますよ~」

 

 

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(虎徹のワン!ポイントコメント)

 ブリージングスタッフ・ふぐじろう先生のペットの虎徹です~。

 写真は、飲食店のテーブルの下で、おすそ分けを待つボクです。

 どんなごちそうが貰えるのか、偶然に身を委ねています。

 

 

 偶然と必然は裏表です。

 たとえば日照りが長く続くと、マスコミはもう永久に雨が降らないような調子で騒ぎます。

 

 でも日本は砂漠じゃありませんから、必ず雨は降ります。雨が降るのは必然です。

 ただ、いつ、どこに、どのくらいの雨が降るかは偶然です。

 

 このように必然は偶然の姿で現れ、偶然の背後には必然が存在します。

 必然的偶然、または偶然的必然と言えます。

 

 

 恐怖マンガ家の楳図かずおは、

 『奇跡は一度誰にでも起きる だが起きたことには誰も氣づかない(「わたしは真悟」より)』

 

 なるフレーズを残しています。

 

 でも、奇跡は一度どころか毎日起きています。毎朝目が覚めること自体が本当は奇跡です。

 身体が緊張して、鈍感になっているから、氣づけないだけです。

 

 胸を柔らかくして、感じる力を高めましょう。

 

 

 これもスピ系で有名ですが、ユーミンの『やさしさに包まれたなら』は、『奇跡は毎日起きているんだ』と教えてくれる歌です。

 

 同じくユーミンの『デスティニー』は偶然が悪い方に転がった例を歌っています。

 別れた元カレと、安いサンダルを履いている時にバッタリ会って、ばつが悪い想いをしたという歌ですね。

 

 こういう人はタイミングが悪いんです。身体と心を整えて、タイミングのいい人になりましょう。

 

 Seize the fortune by the forelock.   幸運の女神には前髪しかない

 

 とレオナルド・ダ・ヴィンチも言っています。

 

 タイミングが悪い人は幸運の女神が過ぎ去ってから氣づきますが、女神には後ろ髪がないから、もう捕まえられないんです。

 だから出会いがしらに前髪をつかめ という教えです。

 

 偶然を活かして、人生を楽しくしましょう~。

 

                                            つづく

                                            次回更新は9月3日予定です。