トリジローのTHE BEATLES全曲解説 & My Best Ranking

トリジローのTHE BEATLES全曲解説 & My Best Ranking

THE BEATLESファン歴は、約半世紀にて、また、研究し続けて、早40年の、トリジローと申します。

まだ、誰も成し得ていない、全213曲+のランキングと解説を、同時に、そして独自に掲載していきます。

これぞ、究極のTHE BEATLES解説にも挑みます。

ランキング自体は個人的な好みのものではあることは前提としてありますが、何故、この曲がランキングで上位なのか?練りに練った解説で、その理由も分かって頂けるかなと自負しております。

あなたのBEATLESの好きな曲と照らし合わせて頂いても面白いかも知れません。
そんな違いも、私自身も楽しめたらと思います。

それでは、変則的ではありますが、途中である150位から~1位に向けて、毎日、少しづつ発表していこうと思っております(変更もあり)。
(※151位以下は、途中で挟みながら掲載する予定であります)

宜しかったら、どうぞ、曲を聴きながら、解説を読んで頂けたら幸いです。
THE BEATLESのファンの方と共有することが出来たら、この上ない喜びです。

どうぞ、ご覧下さいませ。
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★62位

【Got To Get You Into My Life】

<REVOLVER>1966.8/5==

 

BEATLESで初めてブラスセクションが使われた曲で、革新的な楽曲。

 

モータウン系のソウル寄りのR&B的な曲であるが、もちろん、元はシンプルなロックソングでもある。

 

ポールは、「RUBBER SOUL」の頃からモータウンやR&B系の作風を取り入れた名曲を書くようになるが、ここに来て、遂に本物のブラスを入れたのである。

まあ、辛口で言えば、RUBBER SOULでは、黒人音楽のスタイルを演奏した白人ミュージシャンを皮肉り、この年(1966年)のソウルブームに対してポールは、いとも簡単に、この曲で、このスタックス系のサウンドを皮肉ったのだ。

それにしても、単純にいっても素晴らしいナンバーだ。「~風」で名曲をサラっと書いてしまうポールの独特な個性と才能は、古今東西、誰にも真似が出来ないものである。

それらしい曲風を真似するのは、音楽的な才能があればだれでも出来る。しかし、何々風の“名曲”を書くのは、意外と誰も出来ないものなのである(他で思い浮かぶのは、QUEENのオペラ風くらいかな?)。

しかも、ポールは、どのジャンルでも名曲が書けてしまうのだから、開いた口が塞がらない。

で、このソウルブームを皮肉った名曲は、後に、EARTH WIND&FIREがカヴァーしてヒットさせるのだかから、世の中は面白い。正に、逆輸入現象だ(^^;。

 

メインエンジニアとなったジェフ・エメリックは、同じアルバムに収録の“Eleanor Rigby”でも、嫌がる弦楽四重奏のミュージシャンたちにマイクを近付けて録音したが、この曲のホーンセクションの面々の管楽器の口にもマイクを近付けて録音した。

今では、当たり前となったこの手法も、ポールの“こういう音が欲しい”という発想や、ジェフ・エメリックの大胆な手法から初めて生み出されていったことを知って欲しい。

 

ブラスのホーンセクションは、トランペットが3台、テナーサックスが2台である。

ポールのBassは珍しく基本が4ビート。時折入る16のビートが心地良い。

 

ポールは、G→Fのコード進行部でも、Gのままで弾いていたりする。

自分もベース弾きだったので分かるが、普段はオンコード(分数コード)でコードと違うルート音を弾くことが多いが、その逆の手法のことである。これが効果的になることもあるのだ。

 

ジョンは、ポールの作品に対しては割と辛口発言が多いが、絶賛している曲も実は少なくない。

もちろん、音楽的な楽曲を褒める場合も多いが、歌詞についてその傾向が強い気がするのだが、そういう意味でも、ジョンのお気に入りの曲の1つだそうだ。

その歌詞だが、ジョンは「LSD」のことだとだと言った。タイトル通り「僕の人生の中に君を取り込まなければいけない」の“君”はドラッグのことだと決め込んだのだ。そして、歌詞を絶賛したのだ。

実際、ポールの見解は、LSDではないけれど、マリファナかな、と言っている。

 

ミックスは、ステレオとモノでは、ポールの最後のアドリブVoが全く違うのです。

しかし、このポールのアドリブVoは、黒っぽくて渋くて良いねぇ。

 

しかし、リアルタイムで、この曲を聴いた人は驚いただろうなあ。

いや、デビューからアルバム毎に常に、ファンを驚かせてきたのだから、今度はそう来たか!とは思ったでしょうね。

Got To Get You Into My Life (Remastered 2009) - YouTube

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★72位

【I'll Be Back】

<A HARD DAYS NIGHT)>1964.7/10=2:20=

 

個人的には、ジョンの才能を深く感じさせる“哀愁”の名曲。

 

とにかく、歌い出しからすでに、切なさと色気を感じさせるVoの説得力は圧巻だ。

メロディも素晴らしい。

 

すれ違う男女の繊細な歌と捉えても良いが、実は、父親とのことを歌った歌でもある。

この曲を録音する2カ月前に、ジョンは5才で捨てられた父親と18年ぶりに再会している。有名になったジョンにすり寄る形で。

複雑なジョンの胸の内は計り知れないが、そんな頃の歌なのである。そう思って聴くと、また味わいも違うというもの。

 

ヴァース部分はAm(マイナー)で始まり、5小節目で早くもAメジャーに転調している。更に、エンディングでは、このAをメジャーとマイナーが交互に行き来しながらフェイドアウトしていく。

このマイナー←→メジャーの転調の流れに、メロディの流れに刻まれた複雑な感情の起伏が表現されていて、独特の陰影を醸し出しているのである。

 

ジョンの弾くJ-160Eのリズム感と音色が瑞々しい。

ジョージは、ジョンのギターに沿うように、珍しくクラシックギターを弾いている。

 

Voは、ジョンのダブルトラックに、上をポールがハモる。

面白いのは、その上をジョージがハモるのだが、ずっとEの音で歌っていることだ。ここが独特だ。しかし、実を言えば、ずっとEのままでも、コード進行の流れに、すべてE音が含まれているので不協和音にはならない。

計算された尽くしたハーモニーには、もはや驚嘆するしかない。

 

ジョンとポールは何かのテーマや、影響を受けた同じものから、それぞれ別に曲を作ることも多かった。

“Penny Lane”と“Strawberry Fields Forever”、“Mother Nature's Son”と“I’m Just A Child Of Nature(Jealous Guy)。”Girl”と“Michelle”、“And I Love Her”と“If I Fell”のように。

この曲は、ポールの“Things We Said Today”と同じように、デル・シャノンの“悲しき街角”のコードに手を加えて作ったのである。

 

アルバム「A HARD DAY’S NIGHT」は、働きづくめでキツい1日だけど、家に帰れば君が抱きしめてくれる叫ぶタイトル曲で始まり、君の元へ…またここへ戻ってくると歌うこの曲はラストに収められている。

そう、このアルバムは、この曲で終わるのが素晴らしいのだ。

 

 

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I'll Be Back (Remastered 2009) - YouTube

 

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★1位

【A Day In The Life】

<SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND>1967.6/1==

 

BEATLESが残した最高傑作にて、音楽史上における最高傑作である!!

 

一大叙事詩である。

 

ジョンは、この曲をポールと一緒に作っている時がBEATLESで一番楽しかったとも語っているのですが、それがすべてですよ!

こんな名曲を作っている時なんて、至上の喜びでしょう。

 

レノン/マッカートニーの頂点でもあり、BEATLESの総力でもあり、ジョージ・マーティンやジェフ・エメリックまでも含めたBEATLESファミリーの総決算でもあった。

 

オーケストラを演奏というだけではなく、演出というコンセプトで用いてしまったことは極めて独創的で、かつ前衛的である。

間奏部分とエンディング部分の、重厚極まりないオーケストラサウンドが次第に高揚していく様は、緊張感と恍惚感を聞き手側に与え、最後のピアノ3台(奏者は4人)による強烈なコード音の圧倒的な迫力と、何処までも続くような余韻は、正に、SGT. PEPPER'S~というアルバムの最後に相応しい音世界で示されるのである。

 

まずは、ジョンの持って来た曲からスタートした。

しかし、パートはバース部とサビしかなかったので、中間部を空けておくことになった。

そこに、逆にミドルしか出来上がっていなかったポールの未完の曲を繋げて1つの楽曲となった。

そこで、注目なのは、この2つの曲は曲調も違うし、キーもすらも違うにも関わらず繋げようと思ったことだ。もっといえば、拍も変だし、ギターとピアノのコードが違う(凄い!)

全く違う曲を2つを何故、この曲たちを繋ぎ合わせようとしたのだろうか?その発想自体が凄く、そして、その強引な接合にストーリーをもたらす発想が恐ろしい。しかし、これが完璧なのだ。

ここがまずBEATLESマジックだろう。

 

まず、ジョンのパートだが、ジョンの書いたメロディ(歌詞も)が余りにも素晴らしく秀逸だが、流石にそれを歌うジョンの歌がまずもって良い。淡々と歌っているのだけど、その浮遊感が素晴らしいのだ。適度なリバーブ感が透明感を増し、独特な感じにしている。これは、チーフ・エンジニアのジェフ・エメリックがテープエコーを使った成果も凄く出ている。さすがエメリックである。但し、これは誰の歌声でもその効果が出る訳ではなく、ジョンのあの声質があってこそ生きるものだということは書いておきたい。

ジョンの歌うパートの最後に出てくる短いフレーズではあるが、この曲のサビともいえる要中の要である「I'd love to turn you on」のメロディと歌詞はポールが書いたが、ジョンは歌詞もメロディも絶賛している。

この部分の儚く弱々しくジョンのVoがストリングスの洪水の中に消えていく様は、1億回聴いても鳥肌が立つ。

 

続くポールの歌うミドルのパートは、それまでのジョンが夢の中であったかのように目覚まし時計が鳴り響き(これは偶然の産物でもあるが)、ある男の1日の始まりを歌う。この繋ぎが上手いなあ。

淡々と歌うポールのVoは、ジョンとVoとは敢えて対照的過ぎるくらいに意識して、朝の1人の男の歌を現実的に歌っていて、ジョンの部分とクロスオーバーするこの対比感がこの曲に与えている効果は計り知れないのだ。このポールのVoは大好きだ。

なのに、それは突如舞い上がり、足は地から離れ、またジョンの「浮遊感」な世界に落ちていく。このスキャット風に歌うジョンのVoは史上最高とも思えるほどのアート感がある。ジョンの声って本当に唯一無二の素晴らしさだと思わせてくれる。

(この部分は、ポールの特徴であるコード進行「C→G→D→A→Eと5度から5度へと進行していく」から、ポールが作ったという意見もあります。Anthology 2 Versionではこの部分は空いているので、それを踏まえても、この部分はポールが作ったと見るべきでしょう。ただ、ポールやジョンは、この部分までは細かく言及していないので、あくまで推測ではありますが)

そして、再び最初のパートに戻り、最後は、さっきよりも強烈なストリングスの波にかき消されていく。遠くで謎のカウントが聞こえ、ドラムはずっと忙しく転がり回り、そして限界の限界までストリングスが高揚していく。

 

40人(4回音を重ね事実上160人という構成に)が参加したオーケストラの部分は、スコアから録音まで膨大な経緯があるので、ここでは割愛するが、肝心な部分だけは書いておこう。

スコアを書いたのはジョージ・マーティンだが、このオーケストラのパートでのポールの貢献も大きい。

ポールは、上昇していくクレッシェンドの部分について、“他の部分はちゃんと譜面にすべきだけど、あの15小節だけは、一言、『最低音からはじめて、最高音で終わってくれ』と指示を与えるだけでいいんじゃないか、と僕が提案したんだ”と語っている。

それを受けたマーティンが、最初の小節にそれぞれの楽器が出せる最低音を、そして最後の24小節目には、Eメジャーのコードに一番近いところで、それぞれの楽器が出せる最高音を大まかな形でスコアに書いた。

しかし、問題もあった。弦楽器なら弦に指をスライドさせられるので問題ないが、クラリネットやオーボエのようなキーのある管楽器などでは、どうしてもキーからキーへと指を動かさなければならない。そこで彼らには、唇を上手く使って、出来るだけ多く変化つけてくれとマーティンは頼んで指示を出したのだ。

最高音量に達するまでの音量の上昇についての細かいテクニックははもちろんエメリックの手腕によるものだ。

 

そして、いよいよ、あのポピュラー音楽史上に残る最後のピアノの大音響である。

3台のピアノ(グランドピアノ、アップライトピアノ、エレピ)とハーモニウムがスタジオに運ばれた。

ポール、ジョン、リンゴ、そしてマル・エヴァンズの4人(ジョージはこの時、スタジオに居なかったのだ)は3台のピアノの前に腰かけ、同時にEのメジャー・コードを叩いた。ぴったり同じ瞬間に鍵盤を叩くのは難しく、ポールが指示を出しながら、綺麗に音を揃えるために何度もやり直していて、成功したのは9テイク目だった。最後が一番上手く合った。それを3回オーバーダビングし、9台のピアノを12人で演奏したような効果を出したのだ。

加えて、ジョージ・マーティンの弾くハーモニウムを加えたオーバーダブを3回繰り返して4トラック全てを埋めた。

更に、この音を持続させるために、振動が消えるにつれ音量を上げていき、40秒以上残響が残るようにした。なお、音量を上げ切ったことにより、暖房機の音や、椅子などがきしむような音や譜面と思われる紙をめくるような音なども僅かに聞こえるのだ。

なお、1967年のアメリカ盤を除くLP盤において、本作の後に15キロヘルツの高周波の音と、逆回転させた笑い声と話し声が収録されている。

加えて、ジョンは「犬の為にも何かサウンドを入れよう!」と言い出して、人の耳には聞こえないが、15KHzの犬笛の音も入っている。これら部分は「エディット・フォー・LP・エンド」と呼ばれる。

 

演奏面で言えば、リンゴのDrプレイがまた素晴らし過ぎるのだ。

楽曲の良さを異次元まで持っていっていったのが、このリンゴのオーバーダブしたDrプレイである。やや不安定な音像の下で、小気味よく転がっていくDrがかなり素敵だ。浮遊感と自らのドライブ感の狭間でこの2つを繋ぎ合わせてもいる。

だから、リンゴのドラマーとしての才能・凄さは、ここにあるということが良く分かるのだ。

エンジニアのジェフ・エメリックは、低音に拘り、タムもまるでオーケストラのティンパニのように聞こえるくらいのサウンドになっているのがまた凄い。

 

この曲は、ドラッグ描写がいくつもあるということで英国のいくつかのラジオ局ではでは放送禁止処分を受けた。

以前にも出てきたポールの歌詞で「Turn you on」や、「had a smokeから~の I went into a dream」や、ジョンの「He blew his mind」など、数か所も出てくるのです。

過去の歌詞の経験から、取り締まる当局も見逃さなかったのは、以前は分からなかったこういう隠語をドラッグカルチャーとして学んでいた結果なのでした。

 

クラシックとポップのミュージシャンの垣根を取っ払ってしまいたいというジョンのイメージがあり、ポールの発想と提案でクラシック演奏者全員に仮装させようということになった。良く了承したなあ、クラシック畑の方々達は。でも、概ねは楽しんでやっているのです。ギャラが増えたこともあったでしょうが(笑)。

オーケストラ奏者に仮装用のコスチュームの小物が(それからプラスチックの乳首も)配られるとムードが和らいだ。ブライアン・ジョーンズ、キース・リチャーズ、ドノヴァン、ミック・ジャガー、マリアンヌ・フェイスフルなどもレコーディングに参加した。

 

当時は、4トラックのレコーダーが最新機器で、この複雑な音楽を録音するのは不可能であった。そこで、ジョージ・マーティンがエンジニアのケン・タウンゼントに「4トラックのレコーダーを2台同時に同期させる事は可能か?」という打診をし、ケンは片方のレコーダーから信号を取り出して、もう片方のレコーダーに直に配線を繋ぐことでこれをクリアした。もちろん、これもBEATLESにおける世界初の出来事である。

これでBEATLESの4トラックマスターを聞きながら、4トラックのオーケストラの録音が可能になった。

今では無限にチャンネルが使える時代になったが、この当時、良くこれだけのことが出来たものである。音楽に注いだ情熱の賜物である。

 

才能と情熱との絶頂期であった彼等BEATLESが生み出した奇跡の楽曲なのである。

だから、何万回聴いても、必ず心して聴くことにしている。

 

この曲が、その後のミュージシャン(特にプログレッシブロック)に与えた影響は計り知れず、音楽の概念を変えてしまった1曲といって良いだろう。

そのように、ポピュラー音楽やロックの世界では革命を起こしたこの曲だが、クラシック界での評価が気になるだろうが、かのクラシックの巨匠バーンスタインが、この曲を大絶賛したのである。

 

最後にもう1度言おう。

A Day In The LifeはBEATLESの最高傑作であり、音楽史上の最高傑作でもあるのだ。

 

そして、音楽の金字塔である。

 

 

 

 

 

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★2位

【Abbey Road Medley<Golden Slumbers~Carry That Weight~The End>】

<ABBEY ROAD>1969.9/26==

 

終焉に向かって行く壮大なフィナーレである!

 

申し訳ございません、第2位は反則技を使ってしまいました。単独曲ではなく、メドレー曲を1曲として扱ってしまいましたがご容赦下さい。

ただ、そうせざる負えないくらい、この3曲は1曲としての意味がどうしてもあるので、特別に特例的に1曲と判断させて頂きました。

そう、かの有名な「Abbey Road Medley」の最終章のパートです。

圧巻過ぎる、これでBEATLESが終わることを100%分かった上での最後に相応しいフィナーレ曲を、ポールは作り、構成したのである。

 

ポールはこの時期、本当に神懸り的に凄い音楽を世に出した。

ジョンの皮肉で言えば、“僕とヨーコのことがショックで創造的な作品が次々と生まれた。彼の最後の輝きだ”などと揶揄していたが、それだけではないだろう、

アップルの問題、アラン・クラインのとの金銭的な問題、もちろん、ジョンだけでないメンバー同士の離れていく気持ち…すべてに於いてである。

当然、この時期、ポールは凄いストレスを抱えていたが、それを楽曲作りをすることで発散していた。それが、結果的にはジョンの言うように想像力の塊になっていったのは確かで、ポールにとっても、自分達リスナーやファンにとっても良い結果をもたらしたとも思う。

このABBEY ROADメドレーはポールの才能の結集だけでなく、執念の音楽であると思う。

ポール自身、音楽の方に心が向かってくれたお陰で、これらの名作が生まれたことに、本当にありがとうを言いたい。

 

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当サイトには、この3曲共にランクインしているので、それぞれの楽曲については、その解説を読んで頂くとして、このメドレーでは3曲を1曲とした解説をしたい。

 

まず、メドレーである“Golden Slumbers~Carry That Weight~The End”の3曲のうち“Golden Slumbers~Carry That Weight”の2曲は元々、1曲でレコーディングされたものだ。

最初の曲“Golden Slumbers”ではギターが入っておらず(ジョンも不参加)、ピアノとベースとドラムに+オーケストラという異例な編成である。

曲の骨格自体はシンプルなものであるが、ジョージ・マーティンが取り組んだバックのオーケストラアレンジが余りにも素晴らしい。メンバーだけでなくジョージ・マーティンもこのアルバム…そして、この曲からがBEATLESの最後だということを充分と熟知した上で、彼もまた全霊でこのパートの作成に取り組んだのだと思う。

 

若干の無音状態を経て、哀しくも力強いVoと、ピアノとストリングスによる美しい演奏が繰り広げられる“Golden Slumbers”から~ドラマティックなアレンジで一気に勇壮なメロディが歌われるロックオペラ度が頂点に達する“Carry That Weight”へとなだれ込み、強靭な演奏とVo&コーラスが続く。~そこからがらっと雰囲気を変え最終章“The End”のスタート。今までのBEATLESではあり得なかったドラムソロとギターバトルを経て、シンプルで甘美なピアノから美しいコーラスワーク。天に向かうようなギタープレイを伴いながら幕を閉じてゆく。

 

解散を間近にしてレコーディングされたことを思うと、ポールが歌う歌詞や歌う表情が、何となく「昔は良かった」「これで終わりなんだ」「未来はどうなっていくのだろう」というような気持ちを表しているような気がする。

当時はポールもジョンもそれぞれ曲作りはしていたけれど、もはや共作するような状態ではなかった。

でもポールは、2人の曲を1つにしてどうにかして世に出したかったんだと思う。つまり一緒に作るのは無理でも、バラバラのままの作品(WHITE ALBUMのような)ではいけないと思った。そうしてBEATLESを終わせたかった。

思い付きではあったが、メドレー風という“新たな共作スタイル”を完成させたこと、そして同時にBEATLESの終焉をドラマチックに演出する手法にもなったことは、ポールのジョンに対する強い想い入れに満ち溢れていて(ジョンはそう感じていなかったとしても)、BEATLESの楽曲完成度を追求する姿勢は最後まで妥協を許さなかったんだなと思いますね。

 

ジョンはともかく、少なくともポールはこの後半のメドレーに全身全霊を捧げたと思う。

ここから、しばらくの間(ソロのRAMあたりまで)、彼のキャリアは至極、内省的になっていく。もちろん、元々に内省的な要素があるジョンとは違って楽観的な性格ゆえの“内省さ”の深刻さは、バンド崩壊の虚無感と共に、やり切った感もあったのではないかと思うのである。

 

最後に歌う、

The love you take

Is equal to the love you make

(君が受ける愛は、君がもたらす愛と等しくなる)

 

で、BEATLESは、大団円のフィナーレを迎える。いや、迎えてしまうのだ。

だが言おう。

バンドをとりなす状況はどうであれ、最後を締めくくるには、音楽的にはこれ以上はない、最高の楽曲群であったことだ。

 

 

 

 

 

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★3位

【Strawberry Fields Forever】

<Single & MAGICAL MYSTERY TOUR>1967.2/17=4:07=

 

この曲を大傑作と呼ばずして、世の中に傑作なんてものが存在するのかというくらいの音楽の次元を超えた楽曲。

 

本来は、この曲を解説する必要もなく、ただただ圧倒的で、音楽に身を委ねて頂きたいと申し上げたいところだ。

 

ジョンがこの曲を作ってきて、メンバーやジョージ・マーティン、エメリック等全員にアコースティックギターで歌って聴かせた。

聴き終わった後にすぐには誰も言葉を発しなかった。しばらく間が空いてから、静かに口を開いたのはポールだった。

“最高だ”

それだけで、この曲の凄さと価値が分かるというものだ。BEATLESの主なメンバー・スタッフが全員、絶句してしまったくらいに。

 

「Strawberry Field」とは、ジョンが幼い頃に育ったミミ伯母さんの家の近くにあった、救世軍の戦争孤児院の名前であり、「Strawberry Fields」と複数形になると、その建物や回りの木立なとを含む一帯のことを指すとのこと。

そこが、ジョンが幼年期を過ごした家の側にあり、ジョンの遊び場だったのです。

 

とにかく全員のこの曲への意気込みが分かる演奏と取り組み方だった。

まず、イントロは、ポールがメロトロンのフルートの音色で作り出したフレーズだ。もうこのイントロだけでパーフェクトであり、この曲の印象をすべて決定付けている。そして、名曲になることを約束されたような素晴らしさだ。

そして、ジョンの歌い出しから遅れて入るリンゴのフィルインのDrは凄くて素晴らしいの一言。この曲がサイケデリックゆえに流れてしまいそうな部分をこのリンゴのDrがタイトに、かつヘヴィになものにしている貢献度は余りに大きい。

和音弾きするポールのベースに、ギターの低音部をスタッカート気味にアルペジオで弾くジョンの奏法も独特で隠し味になっている。

更に、ジョージは2本のギターを使用しているが、このフレーズと残響音が気怠さを醸し出していて素晴らしい(テープ回転のを遅らせた効果もあるだろう)。もう1本はソードマンテルというインド楽器だ。

 

しかし、この浮遊感のあるジョンのVoは誰にも真似出来ない歌い方だろうね。

“Let Me Take You~♬”の歌仕出しだけですべてを持っていかれてしまう。

曲構成も、イントロから、サビ→Aメロの逆順序の繰り返しで、これがまた浮遊感を増している要因なのだと思う。

その“Let Me Take You~♬”は4回歌われるのだが、ジョンのダブルトラッキングだが、最後の4回目だけポールがハモっているのだ。これが凄く綺麗で良い感じなのだが、よりなら全部ハーモニーにしないのかと思われるかも知れないが、それがBEATLESなのである、1回しか登場しないから、より綺麗に聴こえるのである。

 

この曲が2本の異なるテープスピードのテイクをつなぎ合わせて作られているということは有名である。

曲の開始後約1分のところ"Let me take you down..."の途中から切り替わっている。チェロが入るのと同時に回転数を下げてピッチを合わせているため、Voの声質も重くなっているのがわかる。

元々はシンプルなアレンジのイメージの曲だったが、この時期のことである、いくつもの音を重ね、最高なものにしたいという(特にポールが)ことから、どんどんヘヴィーなロックに変貌していった。出来は良かったが、1週間後にジョンはやり直したいとマーティンに言ってきた。再びレコーディングがされ、マーティンも満足いくテイクが取れたが、ここでジョンが思わぬ発言をする。前回の前半部と今回の後半部のVer.を2つ繋げて欲しいということだった。マーティンは絶句した。テンポも違うし、そのそもキーも半音違うからであった。それでもジョンは言い放つ。“君なら出来るよ”と(音響メカに音痴だったゆえの発言である)。

しかし、さすがマーティンである。閃いたのである。

それは、双方の音源の速度を近付ければ、キーがほぼ同じ状態になることに気付いたのだ。とはいえ、ベストなピッチに合わせるのは、当時の機材や技術では困難を極める。しかし、マーティンはやり遂げたのである。

 

曲の方と言えば1コーラス目はメロトロンやギターのアルペジオやベースで比較的軽いアレンジになっているのに対し、2コーラス目からチェロやブラスが入ってきて極めて重厚なアレンジとなっている。ここが上で書いた繋ぎ目である。

更に、シンバルの逆回転サウンドなどお馴染みのエフェクトも入り、タンバリン、マラカス、ティンパニなどさまざまな打楽器も登場する。

そしてエンディングはそのままフェイドアウトして終わると思いきや、何とフェイドインして不可思議なフレーズでメロトロンを鳴らし、再びフェイドアウトしてようやく終わるのである。その構成も前衛的で見事だ。

 

歌詞に付いてだが、2番の歌詞に「No one I think is in my tree (僕の木には誰もいないみたいだ)」という表現がある。ジョンは幼き頃から他の皆とは違っていたと言う。

「生まれたときからずっと違っていたんだ。他の人と自分は波長が合わない、それは、きっと自分に何か問題があるからだと思っていた。何故って他の人間には見えないものが、僕には見える気がしたんだ。とうとう狂ってしまったか、異常なうぬぼれやなんだと思ったね。自分は狂人か天才かのどちらかだという。人には見えないものが見えるんだから」と。

そんな想いも郷愁と共に刷り込まれた歌詞なんだと思う。

 

余談だが、曲のエンディングでジョンが「Cranberry Sauce (クランベリー・ソース)」とつぶやいているが、これが「I buried Paul (僕がポールを埋葬した)」に聞こえると話題になり、かのポール死亡説の一因とされたのだ。

 

サイケデリックなのに、この郷愁感。こんな曲は天才にしか書けない。

この出現により、ポップスは初めて文学と同じように芸術の域に達した。

間違いなく、ジョン・レノンの、そして、BEATLESのサイケデリック時代の最高傑作である。

 

 

 

 

 

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★4位

【Here, There And Everywhere】

<REVOLVER>1966.8/5=2:23=

 

ポールの書いたバラードの最高傑作であり、史上最高のラブソングである。

 

何たる美しい、美しい、美しいメロディなのだろう。

今でも良くこの曲を聴くけれど、先にも、後にも、こんなにも美しい曲は聴いたことがない。今の今でもだ。

 

しかも、ただ美しいだけではない、素晴らしいものがここには多く隠されている。

まず、特筆なのは、こんな美しいメロディのバラードであるにも拘らず、辛口のアレンジをしていることが何より凄い。

BEATLESのそれまでに作ってきた音楽のキャリアの考えるなら、普通ならアコースティックギターにストリングスなどを入れるような楽曲だが、そのどちらも使用していない。しかも、検討すらしている形跡がない。

驚くなかれ、聴いての通り、アコースティックギターではなくエレクトリックギターを弾いているのだ。しかも、アルペジオではなくコードストロークだけである。驚くべきアレンジの判断である。

更には、弦楽奏等を入れる訳でもなく、コーラスハーモニーだけである。

もしアコギで録音すれば、瑞々しい音で、普通に美しいものに仕上がっただろう。しかし、そうしなかった。余りにメロディが美し過ぎるために、アレンジを甘美なものにしてしまうとイージーリスニングのようになってしまいかねない。それでは一時は評価されてもいづれ飽きられてしまう。10年後20年後に聴いても聴くに足るバラードに仕上げたかった。仮にそれを理論的に判断していなくても、感覚的に分かっていたのだ。ここは辛口のアレンジが絶対に必要だと。

同じ理由で、弦楽奏も入れなかったのだ。

しかも、彼等はロックバンドである。弦楽奏が入る“Yesterday”も“Eleanor Rigby”のポールのVoは低域を強めに、敢えて淡々と歌っている。そう辛口なのだ。だから、この曲でもそれは世襲している。いや、それ以上に徹底している。だから、後世に残るような名バラードとなっているのだと思う。

 

ポール曰く、“ジョンの家のプルーサイドで書いた曲だ。ジョンが起きてくるのを待つ間に殆ど1人で書いてしまった”とある。

無理のない自然な名曲とは、こういう具合に一気に出来てしまうものだろうというエピソードでしょう。

 

さて、楽曲の方だが、ポールの主旋律以外では、何といってもコーラスワークである。

3声の美しいコーラスだが、かの“Because”や“This Boy”にも引けを取らない程のクオリティである。

Changing my life with the wave of her hand~のところで「F#m」になるところで「E」の7thのテンションの音がグッとくる。

旋律への和声付けの際の転換の妙や独自性は、この曲に非常に感じるのである。

 

上記でも書いたが、甘さ控えめで歌っているポールのVoは素晴らしい。

この、やや囁くようなVoは、マリアンヌ・フェイスフルから影響を受けたとポールは語っている。

(曲の影響は、ザ・ビーチ・ボーイズによる “God Only Knows”とポールは言っているが類似性はほとんどない)

ポールのダブルトラックでユニゾンで歌っている。

 

演奏の方は、ギターは3本。ジョンのコードカッティング。ジョージのオブリガード的に入るフレーズ。あとは、エンディングの下降するフレーズ。

リンゴのタムとバスドラの抑えたプレイがとても良い。

そして、最後に出てくる全員で鳴らすフィンガースナップが曲のラストの雰囲気を作っていて大好きなのである。2拍4拍で入るのだが、何故か最初だけ4拍目に音がないのが昔から不思議です(^^;。

 

そして、何といってもコード進行です。

この曲の旋律とハーモニーの豊かさは、とても技術的で、とてもデリケートな表情を持った調性の変化によるところが大きいと思うのです。

この曲における転調は、ヴァ―ス途中の一時転調とサビの本格転調に共通した「短3度」がポイントになっています。すなわち、「短3度下のEキー」と「短3度上のB♭キー」で、後々、ポップスの世界で多用されていく「短3度転調」です。

そもそも、この曲の主旋律のメロディ構成は、ヴァースとサビと一応は書いたけれど、実はがどちらか分からない不思議さがあり(サビがないという判断も出来る)、冒頭のオープニング部を別としたら、不思議な曲でもあります。

詳しく書くと膨大な文章になるので省略しますが、取りあえずのヴァース部は「一時転調」があります。そして、サビ部は普通に「G」から「Bb」への短3度上の転調になります。

その中にも巧みなコード構成がいくつもあり、「技の宝石箱」とでもいうようなもので、ポール・マッカートニーという人の「凄さ」をまざまざと見せつけられます。

そのパイオニア的存在であるポールのこの転調の使い方は、実に巧みにそのキー内の構成コードを自在に扱うテクニカルなものと言えるのです。

ポールの音楽作品の分析をするということは、良質な推理小説やパズルを解いていくような、一生付き詰めたい奥深さがあって凄いのです。

 

歌詞の内容は、タイトルどおり「愛する人を “ここでも、そこでも、どこでも" 必要とする」というもので、ポールが生んだ究極のラヴバラードの1つと言えます。

観念的で奥深い歌詞は、この頃から現れ始める東洋思想の影響も感じさせます。

ちなみに、この曲は発表されてから半世紀以上経った今でも、アメリカの結婚式で流されることが多いようです。それほど普遍的で永遠の愛を歌っているからでしょう。

 

ジョンも、この曲はお気に入りで、亡くなる前の1980年のインタビューでも“これは彼の傑作だね。BEATLESの中でも特に気に入っている曲の1つだよ”とまで言っている。

それもそのはず、ジョンは晩年の1980年に発表した名曲“Woman”は、この曲が下敷きになっているのだ。コード進行も似ているのです。

 

永遠に歌い継がれて欲しい曲…。

 

 

 

 

 

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★5位

【In My Life】

<RUBBER SOUL>1965.12/3=2:25=

 

このシンプルさで、これほどの完成度の高い楽曲があるのだろうかと思い続けてきた名曲中の名曲で、傑作中の傑作である。

 

メロディも歌詞もアレンジもサウンドもパーフェクトである。

 

そして、ジョンの名曲と言われ続けてきたこの曲がジョンとポールの共作であることが判明してきたその後の事実。

レノン/マッカートニーはやはり凄い。

 

まず、ジョンの書いた歌詞だが、味わい深く、リヴァプール人々に対する想いが胸を打つし、ノスタルジックさと愛する人々への想いも響いてくるようで心温まるのである。

とても20代中盤で書いた歌詞とは思えない、詩人ジョンの天才性をも感じる。

 

演奏の方はというと、

ジョンのコードプレイは、ローコードで手で弦をミュートを掛けながら弾く独特のフォームだ。

ジョージは、あのシンプルだが印象的なフレーズをイントロから~ブリッジからエンディングに至るまで同じように弾いている。

ポールのベースは彼にしてはシンプルでコードに忠実だが、Aを7thで味付けをしたりしている。

リンゴは、リムショットの音色も見事で、タンバリンも効果的だ。シンプルだが、この曲でのリンゴのプレイは本当に素晴らしいと思う。

ジョンのメインVoは、ダブルトラッキングで、サビのコーラス部の最初の部分は1回目が「F#m→D」で、2回目が「F#m→B」とコードが違うのだが、コーラスも複雑な音を駆使していて面白い。

 

そして、最大の聴きものはメンバーではない5人目のBEATLEであるジョージ・マーティンが間奏で弾くバロック風のピアノだ。

元々は、ジョンが“バッハみたいに弾いてくれ”と言ったことから始まった。

マーティンは、オルガンで試したが上手くいかず、“A Hard Day's Night”で実証済みのテープ速度を半分に落として(そうするとキーもぴったり1オクータブ上げで合うという)ピアノで弾いてみた。これが効果抜群で、録音後に倍速で再生するとピアノの残響音も半分になってしまうが、これがハープシコードのような音になり、見事なサウンドに変貌したのだ。マーティンのBEATLESにおける最大の功績の1つであろう。これには、ジョンも絶賛したという。

マーティンは、”A Hard Day’s Night”での経験があったからこそ、思い付けたのだろうし、そこまで試行錯誤はしないで出来たのだろう。

 

コード進行だが、全体的には凝った進行ではない。しかし、そこはBEATLES。キーはAで、Aメロは「A/E7→F#m/A7→D/Dm→A」だが、Dメジャーからマイナーに変わる「Dm」が要であり、さすがである。

ここの歌の部分は、

There are places I remember

All my life~の“Life”の部分であるが、ノスタルジー溢れるメロウな感じになるのが素晴らしい。

 

さて、この曲には、未だに結論が出ていない最大の謎がある。

楽曲のメロディをジョンとポールのどちらが書いたか?なのである。

長い間、ジョンが歌詞を書き歌っていることから、単純に「ジョンの曲」と思われていたのだが、後年の2人の発言などから、そう単純な話ではないことが明らかになったからだ。

詳細はこうだ。

ジョン“曲は僕が書いたけれど、中間部はポールが手伝ってくれた”

ポール“歌詞はジョンだが、メロディは僕。ジョンのメロトロンで30分位で書き上げた”“スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ風に作った曲”

と、珍しく2人の意見が全く違うのである。

2人の過去のBEATLESの作品の、どれが誰でどうというのは概ね一致していて、記憶違いを除けば嘘はない。

ただ、時折だが、少し違うことがある(それは昔の曲のことだから全部正確に覚えてはいないのが当然だろう)。

例えば、“Love Me Do”に関しては、ジョンは“ポールの曲で、自分がミドルエイドを手伝った”と言っているのに対し、ポールは“2人の完全な共作曲”と言っている。ポールは結構、謙虚なので。

しかも、ジョンは忘れっぽかったり、割と記憶違いがあるが、ポールは凄く記憶力が良い(ただ、ポールはエゴも多少あるが…)。

そんなポールが、この曲を“詞はジョン、曲は僕”とまで言い切っているのだから、考慮しなければいけないし、信憑性は高い部分もあるのである。

そんな楽曲をどちらが書いたかを分析してみたい。

1つ、ジョンの特徴として、歌詞を全部自分で書くと、曲が共作であれ、割と自分の曲と発言する傾向があること。

歌詞に関してはポールも1行やそこら手助けしたかも知れないが、まあ、ジョンの作詞ということで間違いないだろう。

問題の楽曲だが、この曲の構成をまず見てみよう。

イントロ→Aメロ→Aメロ→Bメロ→Bメロ流れのサビ→(短いイントロフレーズ)→Aメロ→Aメロ→Bメロ→Bメロ流れのサビ→間奏→Bメロ→Bメロ流れのサビ→エンディング……である。

ジョンは恐らくAメロだけを書いたのではないか。

Aメロといっても聴いての通り、凄く短い1フレーズだ。

ここで、もう1度、曲の構成を見て欲しい。Aメロは最初の2回と次の2回しか出てこないのである。中間部(Bメロ)をポールが作ったとしたならば、もうこの最初のAメロ2回以降は全部ポールの作ったメロディと構成ということになる。つまり、ジョンは最初の1フレーズしか作っていないのではないかと推測されるのである。

それに付随すると、イントロ(コードとメロディ)もポールが考えたものだろう。フレーズの音的にもジョンはもちろんジョージが考えた感じもしないのである。

間奏は、あらかじめ空けてあると証言があるので、コードだけ作ったか、丸々空けておいたかのどちらかであろう。

こういう風に解釈するのが、ジョンとポール2人の発言を考慮してみても、1番自然なのではないだろうかと思うのだ。

いかがだろうか?

 

とはいえ、細かい部分はどうであれ、冒頭で書いた通り、これはレノン/マッカートニーの共作であり、ゆえに“BEATLESの”名曲であるということが重要なのだ。

 

ファンの中で言うと、この曲をBEATLESのベストソングという人は結構多い。

それは上手く説明は出来ないが、音楽を愛する人間の琴線の“何処か”に触れるからであり、…そして、誰も作れない、誰も到達出来ないレベルの“何か”がこの曲にはあるからだと思うのだ。

 

 

 

 

 

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★6位

【I Will】

<THE BEATLES(WHITE ALBUM)>1968.11/22=1:45=

 

まるで、メロディがこぼれ落ちるような素晴らしさが散りばめられた、1分45秒の、この世の中で“最も小さな“大名曲”である。

 

素晴らしいメロディとは、この曲のメロディのことを言うのだろう。複雑なアレンジも、凝ったコード進行も、練った演奏も要らない、メロディだけで成立し、メロディだけで名曲足り得る楽曲なのである。

ポール自身もこう語っている。

“メロディだけで完璧な作品。たまには運良く素晴らしいメロディが出来ることがある。インドでドノヴァンが気に入ってくれたんだ”と。

 

そして、この曲がアルバムの後半の片隅に、さり気なく置かれているというのがまた良い。

 

しかし、メロディだけとは言ったが、このポールの弾くアコースティックギターの響きの瑞々しさは感動ものだ。

特に、Aメロの最後に入る12弦風に聴こえるオブリガード風のリフが聴いていて新鮮な響きである。これは、12弦ではなく、ポールのギターのダブルトラックである。シングルで弾きつつダブルで弾く箇所とがあるということだね。

ベースはポールではあるが弾いている訳ではない。というのは、驚くなかれ、口でのスキャットである。これが本物のベースと言われても信じてしまうくらいのもので歌っているとは思えない。

しかし、何故そうしたのか、どこからこのような発想が湧いてくるのかは謎ではあるが、この曲には声による甘いベース音の方が合っていると思うから不思議である。ポールの音のセレクト(楽器のセレクト)は常に間違いはないので、賢明な発想だったのだろう。

ちなみに、モノラルとステレオではその「口ベース」が入ってくるタイミングが異なっている。ステレオでは出だしの「Who knows~」の後からすぐに入ってくるが、モノラルでは1回目の「I will」の後から入ってくる。

 

本物の主旋律を歌うVoの方だが、ポールはシングルトラックで歌い、サビからダブルトラック(ハモっている)で歌っていて、その後はずっとダブルトラックのままである。

 

この曲は、ジョージは不参加で、ジョンも楽器は弾いていなくて、金属片を木片で叩いているだけ(でも良い味は出している)で、リンゴがシンバルとキックに加えて、ウッドブロック、マラカスという軽めのパーカッションのみである。

つまり、本物の楽器をフルに使っているのは、ポールの弾くアコースティックギターだけということになる。

 

コード進行もキーのFメジャーのダイアトニック・コードがほとんどで、特に難しいコードはない。

 

驚くなかれ、こんな楽器数も少なくシンプルな曲にも関わらず、何と67テイクもレコーディングしているのである。

第65テイクをテープコピーしてこれを第68テイクとし、その68テイクにバックVo、ベース風のスキャット、アコースティックギターをオーヴァーダブして完成させる。

この第68テイクを元にモノとステレオのミキシングが行われた。

これだけテイク数がかかったのは、シンプルゆえに目立つギターの出来と、シンプルな歌い方に試行錯誤したのではないかと推測するのだが、いかがだろうか?

いづれにしろ、ポールも会心のメロディラインの楽曲なので、時間を掛けて練りたかったのでしょうね。

あとは、この“I Will” セッション中に、ポールは時々、寄り道をしていくつかの秀作を作っています。その中でも、 “Step Inside Love” は、シラ・ブラックに譲られ、公式に発表されています。

テイク19とされているテイクでは、ジャム・セッションが行われた。これは後に「Can you take me back?」と題され、“Cry Baby Cry”終了後に付け加えるかたちで収録された。

ここでは割愛しますが、その他のテイクも多数あります。

ちなみに、実際に使用された65テイク目ですが、このテイクを録った時にジョンが“これで決まりだろ?”と言ったのですが、さすがですねジョン、ポールとBEATLESとベストテイクをしっかりと心得てる。

 

しかし、歌詞の内容とがヤバ過ぎるポール自身の前曲“Why Don't We Do It In The Road?”に次の曲にこの“I Will”を曲順にするセンスって不思議としか言いようがなく、前の曲であれだけ荒ぶっておいて、一転こんな優しく囁くような声で歌っちゃうポールって、凄いを超えてちょっと怖くなっちゃいますねえ。…ですが、個人的には大好きな流れですね。

 

一節では、この曲の歌詞はリンダへのラブソングというものもあるが、この曲は、個人的な誰かへではなく普遍的な愛を歌ったラブソングのような気がします。

 

メロディが次のメロディを呼び、そのメロディがまた新しいメロディを運んで来る。そして、気が付いた時には曲は終わっている…そんな曲だ…嗚呼…。

 

 

 

 

 

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★7位

【She's Leaving Home】

<SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND>1967.6/1=3:35=

 

上手く説明できない形のまま、初めて聴いた日から現在に至るまで、自分にずっと影響を及ぼし続けている楽曲。

今でも聴くと泣き崩れそうになるくらい。

 

甘美すぎる世界。しかし、歌詞は哀しい。

ポールの作品。リードVoもポールで、ジョンがこ歌詞とそのコーラスを手伝っている。

 

ハープのイントロから、ポールのVoが入り、美しいAメロが優しく、哀しく歌われる。素晴らしい。

そして、もっと素晴らしいのは何といってもサビである。

ここで、ポールとジョンのVoが掛け合いになっているが、前半ではジョンがメロディを歌い、"She's leaving home after..."からの後半ではポールに変わっている。

前半部がポールのコーラスになり、ジョンの入れるギリシャ風Vo(ポールの言い方だと)入るのだが、このパートが余りに素晴らし過ぎて神々しいくらいだ。

ミミ叔母さんがジョンに一絵いた小言がコーラスの歌詞だ。発想も良いが、歌詞のコンセプトにも合っている。

後半部は、ポールが主旋律を歌い、ジョンがコーラス…というか小さな違うメロディのフレーズを被せてくる、いわゆるクラシックでいう対位法である。

サビの中でも、Voアレンジをこれだけ凝れる才能は、ポールが書いたメロディだとしても、正に天才2人の成せる技なのである。

 

ということで、この曲にはジョージとリンゴは参加していない。

でも、“Eleanor Rigby”や“Yesteday”のようなポール1人+ストリングスという構成ではなく、ポールとジョンという最高タッグが、幾分かでも共作し、Voとコーラスを分け合って歌っているのだから、素晴らしいという他ないのである。後述するストリングスアレンジは賛否あるが、少なくともBEATLESサウンドは間違いなくここにある。

 

歌詞の内容は独特なもので、家出をしてもう家には帰らない娘と、その両親の話である。

「デイリー・ミラー」紙の記事“17才のメラニー・コー失踪事件”を読んで、その記事を題材に実在の娘の歌を歌ったものだ。

ポール曰く、「この曲に出てくる彼女とは、まだほんの少女でエリナー・リグビーよりずっと若いけれど、抱えている寂しさは同じなんだ。娘に家出された父親が“何でも与えてやったのに。何故に家出をしたのかさっぱり分からない”と嘆いているとあった。でも実際は、自分でいうほどその父親はなんでも与えてた訳じゃないのさ。娘が本当に欲しいものは与えなかったんだ。だから彼女は家を出たんだ」。

“彼女が家を出ていく/バイバイ”ってくだりはシンプルな歌詞だけど、その文脈を考えると強烈でもある。

娘の家出に悲しむ母親の姿が詳らかに描かれたように、上の事情もあってかポールは、親世代に対してもどこか同情的で温かな目線を向けていました。

 

全編に流れるストリングスとハープのアレンジはマイク・リーンダーが担当した。

それまでは、BEATLESのストリングスといえば間違いなくジョージ・マーティンが行っていた。

ポールから電話で明日の午後にこの曲のアレンジをやって欲しいとポールから依頼されたが、シラ・ブラックのレコーディングの予定が入っていて手が離せなかったので、すぐには無理だと答えた。そこでポールはマイク・リーンダーに連絡を取ったのだが、マーティンは彼が自分を待ってくれなかったので、怒り、とても傷ついたという。

ポール(ジョンもだが)は、曲の構想がまとまると、どうしてもすぐに取り掛からないとならない性格だったし、特に、この時期は創作意欲の絶頂期でもあった訳で仕方のない部分もあるけれど、やはりそれなり対応は必要だろう。

マーティンは傷ついてはいたが、大人の対応として、リーンダーのアレンジしたスコアを演奏するオーケストラの指揮を担当した。ホンの少し修正したようだが、基本的には手を加えなかった(後に、自分にもう少し勇気があればアレンジの変更を申し出たと語っている)。

個人的な意見だが、ここでNoと言わずに担当したのは大人の対応だけでなく、このアレンジが基本的に悪くないと感じていたからではないだろうか。もちろん、BEATLESらしくない煌びやかなストリングス等は気になっていただろうが、アレンジそのもののスコアはNGは示さなかったのだから。実際、素晴らしいアレンジだと思うし、マイク・リーンダー良い仕事をしていると思う。何故なら、想像でしかないのだが、マーティンならもう少し“Eleanor Rigby”のような低域を聴かせたアレンジのスコアを書いたと思うからだが、この曲の持つイメージ、そして、ポールとジョンの掛け合いのVoとコーラスを垣間見ると、楽曲にはマッチしている。少なくとも“The Long And Winding Road”のアレンジよりは遥かに良いと思う。

マイク・リーンダーは実績もあるし、ROLLING STONESとも仕事をしていたし、過去のそれらの作品を聴いていたポールは依頼するにも、来るものがあるから依頼したのだろうからね。

 

余談だが、この曲が収録されている「SGT. PEPPER'S~」の発売前にアメリカを訪れたポールは、「SMILE」をレコーディング中だった仲の良いBEACH BOYSのブライアン・ウィルソンに、この曲をピアノを弾いて聴かせた。

ブライアンは“こんな美しい曲は聴いたことがない”と感動のあまり涙ぐみそうになったという。ブライアンの録音は中断され休養に入ってしまった。それを後年、ステージのMCで語る程、思い出深いそうです。

 

この曲が抜きんでた名曲であると思うのは、ただ美しいからだけではなく、哀しさや、神々しさが加味、備わっているからだと思う。

 

 

 

 

 

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★8位

【Hey Jude】

<Single & Past Masters Vol.2>1968.8/30=7:07=

 

ポールの代表曲でもあり、BEATLESをも代表する大名曲!

 

余りにも有名過ぎる曲だけれども、やっぱり抗えない。この曲だけは抗えないのだ。

そう、威風堂々たる、これからも語り(歌いだろう)継がれていく“Hey Jude”は永遠のアンセムなのである。

 

ピアノに導かれる素晴らしきメロディはどこまでも気高く、低めのコーラスと共にじわじわと盛り上がっていき、ひたすら高揚が続いていくアウトロの大合唱(コーダ)が始まる。

主旋律より長い約4分間続く大合唱の間、様々な声や歌、手拍子、多種アイデアやによって飽きがこなくて高揚感が維持され続けるのが凄いとしか言いようがない。そこには本当に幸福感や祝福感しかなく、いつまでも聴いていたいと思わせる。終わって欲しくないとさえ思わせるこの曲の持つ音楽の力って、本当に特別なのだと思う。

 

タイトルや歌詞に付いては、今更ここに書くまでもなく常識的な話になっているが、「Jude」とは、当時、シンシアと離婚することが決まっていたジョンの息子ジュリアンを励まそうと書いた詞だ。ポールは家族ぐるみの付き合いがあったと言われ、ポールの優しさが垣間見れる。

当初の曲名は「Hey Jules」(ヘイ・ジュールズ)。「Jules」はジュリアンの愛称でした。

ジョンは、自分に向けた励ましの歌だろうと解釈したような発言をしたが(本心は、俺への当てこすりの歌詞だろう…だと思う)、そうじゃないことくらいは本人が1番良く分かっていたはずである。“She Came In Through The Bathroom Window”を多分リンダのことだろうと言ってしまうジョンらしい、痛いところは違う解釈でついスルーしてしまう感覚なのだろう。ジョンは、数年後のソロ時代にメイ・パンの計らいでジュリアンとも再開する。

とはいえ、ジョンは普段、ポールの書く余りにストレートなバラード曲は余り好きではなかったが、この曲だけは絶賛している。楽曲はもちろん、歌詞についてもだ。

書き遅れましたが、本当に素晴らしい歌詞で、いつの時代でも素直に心を打つ。ポールのジョンにも劣らない作詞家であることも分かるだろう。

ちなみに、一時はポールが消そうとした歌詞のフレーズ「The movement you need is on your shoulder」という部分をジョンが「そこが一番いいのに。残しとけよ」といったというエピソードが有名ですよね。やっぱり、この時期からは変な関係だけど、何だかんだと良いコンビだよ。

 

演奏については、まずポールのピアノ。Fというキーもあるのだろうが、とにかく今までで1番低い音で演奏している。一聴すると地味にも感じるが、繰り返し聴くと、この曲の静かな安定感と合っていることが良く分かる。

8小節後の2回目のAメロからジョンのJ-160 Eとタンバリンが加わる。この1カポを付けてEのコードで弾き始めるカッティングが心地良い。

5小節目から控えめだが美しいコーラスが加わり、あメロの最後からリンゴの長いフィルインからのドラムが入る。このリンゴ~という感じのフィンイン、好きだ。

そして、サビからベースも加わり、ここでも必殺のクリシェが登場してくる。

最後のアウトロからはオーケストラも入る。

ジョージは、サビの終わりのリフくらいでほとんど弾いていない、これは、Aメロでオブリガート的にフレーズを入れようとしたところ、曲のイメージが明確にあったポールから却下され、少し口論になった。後のゲットバックセッションの口論の始まりがここであることは当人たちも認めている。

そうそう、ポールの弾くピアノが、「Eb」のところで「Eb6」で弾いていて雰囲気を出している。これもまたポールの得意の技だ。

そして、ポールの優しく歌うVoも、アウトロの大合唱ではストリングスが入り曲のクラシカルさが増大していく中を、アドリブ全開のソウルフルな感じのポールのVoとなって響く。永遠に続く手拍子を始め、そして高揚がゆっくりと通り過ぎていく。

 

コーダ(アウトロの大合唱)のコード進行は、Fから始まりE♭→B♭→Fと循環逆四度進行を繰り返している進行である。これは非常に斬新で、ポールの音楽家としての発想力は正に天才だと実感出来る。

 

この曲のレコーディングから音源になるまでは問題発生が多かった。

まず、録音したトライデントスタジオとEMIスタジオでの差異の問題、7インチのEPを製作するには当時7分以上の曲の為の音のレベル低下の問題、同じく長い曲の為にラジオでオンエアされない可能性。

1つ1つクリアはしていったが当時では限界もあった。最後のラジオ問題は、懸念したジョージ・マーティンにジョンが放った一言でケリが付く。

“オンエアするさ。だって俺たちの曲だぜ”…さすがはジョンである。

実際にジョンの予言通りになり、“Hey Jude”はご存知の通り、BEATLES史上最大の売上のシングル曲となった(全米9週1位)。

 

誤解と批判を覚悟で言おう。

BEATLESのファンやライターや評論してる人の中にも、いくらかだが、この後半の“Na Na Na Na~”の大合唱部が長過ぎるという人がいる。

もちろん、個人の感想なのでそれは尊重するが、名曲を聴かせた後のこのパートこそがBEATLESの本質なのだ。そして、このパートをすべて愛せる人こそが本物のファンであると確信している。

個人的には、このパートを途中で聴くのを止めてしまったことは、数万回聴いた身でも、ただの1度もないのだ。それどころか、いつも、もっとずっと聴いていたいと思う程だ。その思いは初めて聴いてから半世紀の月日が経っても変わることはない。

 

音源的に曲がフェイドアウトしても、未来永劫、永遠に終わることのない曲…それが“Hey Jude”なのである…。

 

 

 

 

 

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