
忙しい合間を縫って四谷シモンさんの人形展を見てきた。
澁澤龍彦さんの著作で彼を知り、早20年以上になるのだが、今回のようにまとまった作品を見るのは初めてだ。
特に興味深かったのは澁澤死後の作品群。
箱に収まった天使像。三作。彼の苦悩がありありと伝わってくる。彼の作る人形で正面を向いていないものなんて珍しいのじゃないか。
特に、作品名「目前の愛1」は圧巻。いつまでも飽きることはないだろう。
澁澤の死後、彼が悩み続ける中で、人形が自己愛の象徴であるだけでなく、ついには人形こそが自分であるという同一性にまで高まっていく様は鬼気迫るものがある。
澁澤は人形と魔術の関係を指摘していたし、シモン自身も人形の呪術性を認識していた。
つまりは、(言うまでもなく)シモンはますます、人形の魔力や呪力に憑りつかれているということなのだろう。
しかし彼はただ、人形に憑りつかれているだけではなさそうである。
作品名「木枠でできた少女3」
この作品で人形として完成しているものは頭部しかない。首から下は木枠のみ。しかも半身しかない。
どこまでそぎ落とすことができるのか。。。彼は、人形の成立に挑戦したに違いない。彼の作った一見できそこないの人形は、むしろ、そうであるがゆえにぼくの想像力を高めた。恥じらいを残す少女にも見えたし、陰猥な売春婦にも見えた。それはその日、シモンの作品をたくさん見たからではない。補う部分が多いことで、ぼくはそこに自分が望む人形を幻視するのである。結果、ぼくはより強い人形愛の世界にひきづり込まれていく。
人形とはなんなのか、そんな問いが込められた作品なのだ。
全般的な感想として、ぼくは箱に入った作品が好き。
なにかが封ぜられている感じがするからだろうか。
そこまで考えて、ハタと気づいた。
京極夏彦著「魍魎の匣」
あれはシモンへのオマージュだったに違いない。
今頃気づくとは、何ともお恥ずかしい限り。。。
それぞれの愛好家で、もしご覧になったことがない方ならば、それぞれの作品に触れてみることはあながち無駄ではないように思える。