日本人の源流 (4) 3万年前の東シナ海渡海プロジェクト! | 鳥取大学医学部保健学科検査技術科学専攻のブログ

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こんにちは音譜

 

台風1台風号が発生していますね

いよいよ夏花火になった気がします

 

今日は、M先生からのお話です風鈴

 

虹   霧   虹

 

「日本人の源流(2024.01..12) 」で沖縄における旧石器時代の遺跡のことをお話ししましたが,ここでもう一度簡単に触れておきましょうビックリマーク

 

日本列島は酸性土壌で骨魚の骨が溶けてしまい残らないのに対して,沖縄はサンゴ礁に由来する石灰岩に守られて人骨がよく保存されています。最も古いものは沖縄島山下町第一洞穴から出土した36,500年前のものです。その他30,000年前から20,000年前にかけて沖縄列島各地から多数の人骨が出ています。ここで特に注目目したいのは沖縄島の港川フィッシャー遺跡(旧石器時代: 20,000年前)で発見サーチされた4体の人骨(男性1体と女性3体)です。中でも男性の人骨はほぼ全身の骨が残されており,顔貌も復元することができました。彼は港川人と言い,身長が155cmで上半身がきゃしゃで,特に肩幅が極端に狭いという特徴を持っていました。これはインドネシア・ジャワ島で出土したワジャク人とよく似ています。50,000年前に現在のタイからインドネシアにかけて広大な平野が広がっており,スンダランドといいます。スンダランドに住んでいた人々が東アジアからオーストラリアの各地に展開していきました。その中にはワジャク人も含まれています。つまり港川人はスンダランドにいた集団の一部が台湾経由で沖縄にやって来た人たちの末裔ではないかと考えられました。

 

この考えはmtDNAの知見からも支持されました。石垣島の白保竿根田原遺跡(20,000年前)から出土した2体の旧石器時代人のmtDNAを解析した国立科学博物館の篠田謙一博士によると,彼らのmtDNAハプロタイプはB4とM7aであり,これらは東南アジアに起源を持つ可能性があるとしています。

 

では,台湾にいた人がどうやって沖縄までやってきたのかはてなマーク という疑問がわきます。沖縄諸島の中で最も台湾と近いのは与那国島で,直線距離にして約105kmあります。ただし,今も3万年前もそこには4ノット(時速7.2km)の黒潮が流れています。祖先たちはここをどうやって渡って来たのか。

 

この問題に挑んだのが国立科学博物館(当時)の海部陽介博士です。海部博士は実際に東シナ海渡海実験をやってみました。

南方の旧石器時代の遺跡から石器はほとんど出ず,出るのはもっぱら貝器です。そこで海部博士は与那国島に自生しているヒメガマを貝器で刈り取り,ツル植物で束ねて6mほどの草舟をつくりました。2016年試験的に与那国島から75km先の西表島を目指して出航したのですが,草が海水を吸い重くなって速度が出ず,8時間ほどして渡海を断念しました。

翌2017年軽くするため竹で筏を組み,台湾の大武(ダウ)から30km先の緑島(リュダオ)を目指しましたが,竹筏も思ったほど速度が出ず,そのうちバラバラに壊れてしまいました。

3回目の挑戦は2019年7月。丸木舟を造り,男女7人が乗り組み,見事45時間10分時計かけて与那国島にたどり着きました。しかし,これにはかなり幸運音譜がありました。2日目の夜星空は疲れもあり,全員が睡眠ぐぅぐぅをとりました。その間も舟は黒潮に流されています。そしてなんと3日目の夜明けに与那国島の灯台の灯が見えました。そこから再び漕ぎ出して与那国島に到着したわけです。

 

もし目覚める前目に与那国島を通り過ぎていたら,もし流される位置がもう少し沖合だったら。今回の成功はかなりの幸運ドキドキに恵まれていたとしか言いようがありません。

 

今回は黒潮に流されることを計算して出発地点を南に下げたわけですが,3万年前は経験的に黒潮があることは知っていたとしても,どれだけ南に下がったところから出発すればいいのかは分からないはずです。新開地で世代を超えて安定して生活を営むには,集団遺伝学的には最低10組の夫婦が必要だそうです。10組20人の男女が与那国島に渡るには,一艘の舟に4組の男女が乗り組んだとして3艘が要ります。成功率を10%とすると30艘240人がチャレンジしなければなりません。一つの集落が100人程度の人口とすると出せるのは4組8人くらいでしょう。そうすると30集落の合意が要ります。直径1mの木を切り倒して削り,丸木舟を造るのは,貝器もしくは石斧であっても大変な作業だったでしょう。一年に一艘か二艘造ったとして,15年から30年時計もかかります。これは何年にもわたる一大プロジェクトです。だれがこれだけのものを企画して実行したのか。そして,何のために!?

しかし,彼らはこれをやり遂げたわけです。それは沖縄諸島に南方出身と思われる人々の遺跡があることが証明しています。

 

そもそも丸木舟は縄文時代の遺跡からは出ていますが,現時点で旧石器時代の遺跡からは出ていません。これも残された問題です。

 

参考文献 : 海部陽介 「日本人はどこから来たのか?」 文藝春秋社 2016年