こんにちは
今日は、朝から天候はよかったのですが
風が強くて、寒い寒いと震えそうでした
今日は後期入試でした
今年度の入試も終わって
受験生の手応えはどうだったのでしょうか
自分の力は発揮できましたか
来週の合格発表まで
ドキドキでしょうけれど
今日はゆっくり休んでくださいね
石黒先生からのお話です
A. 遺伝物質
1859年にイギリスのダーウィンが「種の起源」を刊行しました。そして,1865年オーストラリアのメンデルが「雑種植物の研究」を出版しました。
ただし,この研究は1900年いわゆる「再発見」されるまで誰一人としてその重要性に気が付く人はいませんでした。1869年にはスイスのミーシャーが白血球の核からこれまでにない新しい物質を単離しました。その物質にはリンが含まれていましたが,タンパク質ではありませんでした。ミーシャーはその物質を,核(nucleus)から発見された物質という意味で「ヌクレイン(nuclein)」と名づけました。
わずか10年ほどの間に,現代生物学の原点となる重要な研究が発表されていたことになります。しかし,この時代は遺伝学と生化学との間に接点はなく,互いに関連することはありませんでした。
1880年代になると,ドイツの生化学者コッセルがヌクレインには特殊な有機化合物である塩基,アデニン,グアニン,シトシン,チミン,ウラシルの5種類が含まれていることを明らかにしました。
これにより,それまで単なるリンとタンパク質の化合物と思われていたヌクレインが,実はタンパク質とは明らかに生化学的に異なる物質であることがわかり,やがて1899年にドイツの生化学者アルトマンによってヌクレインを「核酸」と呼ぶことが提唱されました。
1909年には,アメリカの化学者レヴィーンによって,核酸の一つとしてリボースを骨格とするRNAが発見され,さらに1929年やはりレヴィーンによってデオキシリボースを骨格とするDNAが発見されました。
因みに1929年といえば,ニューヨーク・ウオール街における株価の大暴落がきっかけとなって世界恐慌が起きた年です。
B. 遺伝子
遺伝を司るものとして,イギリスの社会学者スペンサーは1864年「生理的単位」と呼ばれるものが親から子へと伝わると仮定しました。ダーウィンは,「飼養動植物の変異」(1968年)の中でジェミュール(gemule)と名づけた粒子が,身体の諸器官から生殖細胞へと送られ,それが親から子へと伝わるとしています。
一方,細胞を塩基性色素で染色すると,細胞の核内に骨組みのような物質が染まること,それが細胞分裂の際に大きく棒状になることが知られ,1882年ドイツのフレミングがこの染色性の物質を「クロマチン(chromatin)」と名づけました。1888年にはワルダイヤーが,この棒状のクロマチンを「染色体(chromosome)」と呼びました。ここで使われているchromosomeという語は単に”(塩基性色素に)染まりやすいもの”というだけのものです。
1907年にはデンマークのヨハンセンが遺伝を担う粒子のことを遺伝子(gene)と呼びましたが,まだ染色体と遺伝子は結びついていません。
アメリカの細菌学者のグリフィスが1928年に行った実験は,遺伝子とDNAの関係を考えるうえで,極めて重要な意味を持っています。
20世紀前半のアメリカの死亡原因の第一位は肺炎でした。肺炎双球菌には2種類の型があることが知られていました。病原性のあるS型菌と,病原性のないR型菌です。グリフィスは,この病原性のあるS型菌を加熱殺菌し,病原性のない生きているR型菌と混ぜた後,マウスに注射しました。するとマウスは肺炎を起こして死んでしまいました。
グリフィスの実験から16年後,細菌学者のエイヴィリーは,病原性のあるS型菌の細胞を壊し,そこからタンパク質,脂質,糖質,DNA, RNAなどを一つずつ取り除いて感染実験を行いました。
その結果,S型菌のDNAをDNA分解酵素で壊すと,R型菌をS型菌に変える能力が失われることを発見しました。これが,細菌を「形質転換」させる物質,すなわち細菌の表現型を規定する遺伝子の本体がDNAであることを証明した最初の実験になりました。1944年のことです。
1944年と言えば,第2次世界大戦のさなかです。日本では国家総動員法によって,科学研究においても戦争に役立つものしかさせてもらえない時代でしたが,アメリカではこのような研究が行なわれていたのです。
そして,1953年かの有名なワトソンとクリックが「ネイチャー」に発表したわずか1ページ半の論文「Molecular structure of nucleic acids. A structure for deoxyribose nucleic acid」により,現在の生命科学がスタートしたのであります。