鳥元が、JKT48を応援するわけは? | 南国の日の丸レストラン

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インドネシアの日本料理店 TORIGEN 鳥元

          2012年9月8日
     JKT48劇場 こけら落とし記念
       ジャカルタ新聞の広告


私が、伊藤忠商事の語学研修生として、最初にジャカルタの
地を踏んだのは、ほぼ40年前の1972年です。
当時は、軍事クーデターで、スカルノ政権が崩壊して、スハ
ルト政権が助走を始めてまもない時期でした。まだ、なんと
なく、きな臭い匂いが、政治面でも残り、インドネシアと言えば、
アセアン諸国の中でも、とりわけ貧困率が高い国と言われて
いました。まだ、バリ島でさえ、誰も知らない時代でした。

インドネシア大学で、1年間の語学留学を終え、日本で、繊維
ビジネスの実務を経験したあと、1976年に再び、ジャカルタに
戻り、5年間、伊藤忠、帝人の繊維合弁メーカーで、営業、
マーケティングを担当しました。

この時代は、インドネシア建国、経済発展の第一期だと考えて
いいと思います。
1972年当事に比べ、心なしか、インドネシアの皆さんが、やや、
自信をもち始め、発展の道を歩き始めたように感じていました。

その頃からです。インドネシアの皆さんは、本来、性格的に
ポジティブ志向で、明るく、エンターテインメントに向いた国民
だと感じていました。まず、愛想がいいです。笑顔がいいです。
カメラに向かう時でも、屈託なく、ポーズを作りますよね。
当時、テレビのチャンネルも一局しかなかったのですが、アデ
ビンスラマットやチチャクスオヨといった子供の歌手兼子役が、
唄って、踊って、司会までやれるのです。

日本の戦後の天才少女美空ひばりが、インドネシアにもいる、
と思っていました。

また、私がいた繊維メーカーSCTI のインドネシア発のトップ
ブランド "カテリーナ”のTV コマーシャルを作る時、当時の
喜劇俳優故ベンジャミンS氏と相方のイダロヤニー女史を起用
しましたが、ファッション素材にコメディアンという意外性が受け、
インドネシアの一世を風靡する空前のヒットCMとなり、インドネ
シアのテレビコマーシャル史に残っています。

意表をついた喜劇俳優ベンジャミン氏の起用が当たり、個性
あふれる演技と上品なギャグが大受けしたのです。
私が、このCMの狙いとヒントを言うと、ものも10分もしないうち
に、「これでどうか?」と反応してきました。私は、びっくりしま
した。私の言いたいこと、やりたいことを、さっと見抜く才能に
驚いたのです。
この方は、「もし、アメリカで生まれていたら、ハリウッドのチャプ
リンだっただろう、日本で生まれたいたら、渥美清だっただろう」
が私の持論になりました。

前置きが長くなりましたが、せっかく、これだけの逸材が、
インドネシアにたくさんいるのに、海外に打って出るだけの
チャンスがなく、残念に思っていました。女優のクリスティン
ハキムさんや鳥元にもお見えになるアグネスモニカさんの
ように、海外でも有名なお方もおられますが、まだまだ、その
数は少ないです。
日本の芸能界でも、以前から台湾、香港、韓国、南米出身
の方々が活躍しているのに、「なぜ、才能豊かなインドネシア
人がいないのだろう?」が私の素朴な疑問でした。

そういうわけで、AKB48の姉妹版が、他の東南アジア諸国
をしり目に、イの一番に、赤道直下のジャカルタにできたの
は、私の評価では、「驚くに足りないこと」だったのです。
世間では、「なぜ、上海や台北やソウルやバンコックでなく、
ジャカルタなの?」と思っていましたよね。

JKT48が話題になる前のNHKのお正月番組のエンディング
で、「今年のキーワードは?」と司会者に訊かれ、AKB48を
生んだ秋元プロデューサーは「まさか」とボードに書かれま
した。鮮明に覚えています。

マーケティングが好きな私は、ピンときました。意外性を追求
するという意味なんですね。言い換えれば、「意表をつく」と
いうことなんです。私の信奉するマーケティング戦略「弱者
の戦略」も、そういうことです。鳥元もずっと、これでやって
きています。

そういうわけで、JKT48が他の海外都市より先に、しかも、
距離的には遠いジャカルタに先鞭をつけたのだな、と感じ
ました。もっとも、日本文化大好きで、極めて親日的な
国であることも、その動機のひとつだったと勝手に推察
しています。

上海やソウルが先では、意外性や話題性にインパクトが
ありません。さすが、秋元さん、計算ができてますね。

とにかく、私にとっては、JKT48の誕生は永年の夢がかな
ったように嬉しいのです。

JKT48劇場には、公演2日目の9月9日に行きました。
デビュー当時の約1年前に比べ、そのスピード成長に
驚きました。同時に、このJKT48は日本の48に比べ、
アイドルという概念を飛びぬけて、「インドネシアの若い
層への応援団」というイメージを受けました。
唄って踊れるチアーガールと言い換えてもいいでしょう。
とても健康的で、エネルギッシュでした。天井に向かって、
突き上げるこぶしは、まるで、インドネシアの独立記念日
に国民が叫ぶ Indonesia, Merdaka !(インドネシア独立!)
と叫んでいるように見え、私はインドネシアが貧困だった
遠い昔のことを思い出しつつ、感動し続けていました。
メンバーたちに、心の中で、「いい時代に生まれてきて、
よかったね」とも語りかけていました。

観客のほとんどが、インドネシアの高校生、大学生だった
のですが、かれらに混じって、一人だけ、ちょっと変わった
感動に浸っていたのです。

JKT48にいいところは、みんな、一生懸命なところです。
そのひたむきさなんです。

歌も踊りもうまい上に、おしゃべりも、とてもうまいですよ。
やはり、私の昔からの思いは間違っていませんでした。

AKB48から移籍してきた高城亜樹さん、仲川遥香さん、
ようこそ、ジャカルタへいらっしゃいました。
周囲の雑音は、気にしない、気にしない !

インドネシアの皆さんはとても優しいですよ。

二人とも選抜された企業海外研修生のようなものですね。
若い時の海外経験は、将来、きっと、役にたちますよ。
志高く、頑張って下さい !