アメリカンドリーム ! | 南国の日の丸レストラン

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思いのままに書いています

1985年から1990年まで、アメリカのニューヨークで、アパレルファッ

ションの仕事をしていました。

もちろん、サラリーマンとしてですが、振り返ってみると、人生の中で、

最も勉強になった時期のひとつです。


あの混沌としたマンハッタンの中での仕事でしたが、やはり、アメリカ

は偉大だと思うことばかりでした。


奇跡のような話が、私の周囲には多いのですが、、今日は、アメリカ

を舞台にして起こった青天の霹靂(英語でも、OUT OF BLUE と言い

ます。) の話を披露します。

サンフランシスコのスタンフォードプラザという大型ショッピングモール

に、当時、私が勤めていたアパレル会社 (イトキンアメリカ) が、フラ

ンスのデザイナーブランド "アンドレクレージュ" のショップを展開し

ていました。店員7、8名のあまり大きくないショップでした。


私は東海岸担当でしたが、何度か、ニューヨークから出張に赴いて、

その店の営業会議などに出たことがあります。


そこのショップに勤務していた女子店員にまつわるエピソードです。

私は、アメリカでの勤務を終え、1990年後半に、日本に戻り、5年後に、

その会社を退職し、商社勤務時代の先輩の仲介で、14年ぶりに、第二

の故郷インドネシアに復帰し、華僑系繊維メーカーに勤めることになっ

たのですが、早速、懐かしいニューヨークに インドネシアの合繊生地

を売り込みに行きました。


その時に、以前の会社の上司から、「以前、サンフランシスコのクレー

ジュショップの女子店員の一人が、ハリウッドの大スターになっている。」 

という話を聞いた時は、信じられませんでした。

でも、あのアメリカでは、そんなことが、起こるんです。まさしく、アメリカン

ドリームですし、こんなことが日常的に起こる自由の国、実力主義の国

はアメリカを措いて他にはない、と痛感しました。


どういう経過を得て、世界のスターになったかは知りませんが、彼女の

映画初出演が1988年とのことですから、私が彼女に会っていたとしたら、

1985年から1988年の間ということになります。


ニューヨークのマディソンアベニューの本社のレセプションの女子社員

が、退社時刻になると、踊りや演技の稽古をするため、ブロードウェイに

通っていたのを、今、思い出しました。


彼女の方のアメリカンドリームはどうなったのでしょうか?


まあ、いいじゃないですか。 

夢を追い求め続けるというのは楽しいことじゃないでしょうか。

たとえ、その夢は実現しなくても、夢をみるだけでも楽しいと思います。


とにかく、アメリカ人は、基本的に陽性だと思います。苦境にも強いと

思います。


日本のバブル期は、アメリカの経済が悪かったのですが、エレベーター

の中で、40歳くらいの男性が、"I AM FIRED TODAY. A-HA-HA-HA."

(今日、首になったよ。あははは。) と屈託なく、大声で友達に言ってい

たのを見た瞬間、元々は裸一貫で、アメリカにやって来た移民の人種

の強さだな、と思いました。

逆に言えば、多少のリスク覚悟で、アメリカの夢に賭ける人間も多いの

でしょう。

会社を首になって、或いは、事業に失敗して、世の中を悲観したり、恨ん

だりする人も少ないように思います。


日本で自殺が多いのは、政治が悪いせいだとのたまった時代錯誤の

大物?政治家がいましたが、その頃、ずたずたのアメリカで、自殺者

が多いとは、トンと耳にしませんでした。


最近、家庭内殺人が増えたのは経団連のせいだと言った大臣がい

たようですが、ここまで飛躍すると、更に抱腹絶倒もので、このような

ことを自由主義社会の世界の常識人が普通に聞いたら、「こんなおか

しなことを言う大臣がいる日本は大丈夫か ?」 と思うはずです。

これも日本にいて、聞いていたら、奇妙だと思わないのか、テレビや

新聞も大きく取り上げません。以前は、バンソーコーだのカップラーメン

の値段がどうだの、枝葉末節のローカルマターで、大騒ぎしていたのに、

なぜ、こうも扱いが違うのでしょうかね。


このところ、日本は自己責任の方向へ向かってきていたので、やっと、

本当の意味の先進国になってきたのかな、と個人的には、思っていた

のですが、今日この頃、またまた、時計の針が逆回転し出したようです。

元の木阿弥になるのであれば、まだ、ましな方です。それを通り越しそ

うなことになる気配です。

「日本は特殊だ。特別だ。」という論理は、もう成り立たないと思います

が、グローバルスタンダードは日本になじまないという風潮が台頭して

きているように感じます。


「お金くれない。チャンスくれない。仕事くれない。」のくれない族を闇雲

に増殖しても日本は強くならないと思いますね。若い人も、歳とった人

も、ひとふんばりし、ジャパニーズドリーム を実現できるようにしていっ

た方が、起業独立も含め、これからの日本には適していると思います。


「高齢者の方も、経験を生かして、もう一汗かきませんか?」と ある政治

家が、高齢者に好意的に言ったのに、その趣旨を曲解し、または、わざ

と、趣旨をひん曲げてまで、「高齢者いじめ。」のような印象の報道がされ、

多くの方々が、真意を知らされなかったのもおかしな出来事でした。


まあ、どう転んでも、国や会社は、そんなに、個人のことを面倒みては

くれません。もう日本に、そんな余裕がないことは明白ですね。


私は、歳のことなど、あまり、考えずに、インドネシアンドリームとジャパ

ニーズドリームの2本立ての夢をみることにします。


もし、だめだったら、アメリカ人にならって、 I FAILED.  A-HA-HA-HA

でいきます。