信じ難い奇妙な出会い ! | 南国の日の丸レストラン

南国の日の丸レストラン

思いのままに書いています

「弱者の戦略」や「大逆転 バカ社長」などのビジネス書出版で著名な

栢野克己さん福岡県出身で、オフィスも福岡市にあり。)と鳥元バンドン

でお会いしたのは昨年9月14日の夜でした。


バンドン在住で、私と同じ福岡県出身の方が、栢野さんが、インドネシア

に見えるとの情報をキャッチし、バンドンで、鳥元という日本食レストラン

を仕切っている変な日本人がいるということで、私を紹介されたのがきっ

かけで、ご対面となりました。


その際、栢野さんの情報収集にお役に立てそうな方にも、急遽、2組、

参加願い、栢野さんのセミナー"九州ベンチャー大学"のバンドン版を、

こじんまりと開催することになったわけです。


同氏のブログ  http://blog.livedoor.jp/kaya0169/


同氏が、ランチェスター戦略、弱者の戦略に精通されている方とは、お会

いするまで知りませんでした。


ランチェスター営業戦略(弱者の戦略)というマーケティング理論を、日本

で、最初に紹介されたのは田岡信夫さんです。それに続いた方が竹田陽一

さんです。栢野さんは、竹田さんに続いた方ということになっていたわけです。


SO WHAT ?  それがどうした? と思われるでしょうが、実は、私にとって

は、偶然とか奇跡とかの話では説明がつかないくらいの超ミラクルの事件

なんです。


今から、説明します。


私が、1976年から1981年の5年間、ジャカルタにある日系繊維メーカー

で、大車輪の活躍をしていた時、片手にもっていたのが田岡さんの本だっ

たのです。 私は、もともと、実践型で、「本など読んでどうする派」だった

のですが、当時の社長さんが、若造の私に、「これ読んだらいいぞ。」と渡

されたので、読まないわけにはいかなかったというのが本音です。


ところが、実戦でやって成功したことが、ちゃんと本に書いてあります。

今度は、本に書いてあることを、トライしてみるとうまくいくのです。

そういうわけで、この本は、その後の私のビジネスのやり方に多大な影響

を与えています。なにせ、まだ、20歳後半でしたから、吸収も早かったの

でしょう。


そして、数年後、大阪本社に戻り、お正月で、大阪から福岡に里帰りした

際、大阪へ戻る新幹線の中で、なに気なく、読んだ本が、竹田陽一さんの

本でした。

実は、その数ヶ月後に、思うところあって、その ビッグカンパニー (強者

というか巨人)を退職し、ファッションアパレルという外見のイメージとは

大違いの切った張ったのアパレルメーカーに転職したのです。(そういう

泥くさい世界が、私には合っていると思ったのです。)


今、振り返ると、新幹線の中で、読んだその本が、若い私の心を揺さぶり、

転職へと背中を押したのかもしれないと思います。(主たる要因ではない

でしょうが、なんらかの影響は与えたと思います。)


そして、なんたる因果か、巡り巡って、「弱者の戦略」三代目の栢野さんと、

赤道直下の国インドネシアのバンドンで、初対面に関わらず、たまたま、

二人が信奉する 弱者の戦略 を語り合うことになったわけです。 


大阪人なら、「そんなアホな!」、と言うでしょうね。


だれも信じられませんよね。 


それも、ランチャスター法則など、しち面倒くさそうな言葉を知っている人は、

そう多くはないでしょう。(戦争戦略、戦争戦術の応用で、多少、数値が

出てきますが、決して、難しい本でありません。 タイトルに気後れする

ことはありません。)


ところで、昨年11月に、福岡天神の栢野 さんのオフィスを訪れました。

その際、栢野さんの著書のひとつをインドネシア語に翻訳して、インドネシア

人起業家の育成、中小企業発展に役立てようと栢野さんと約束をしましたが、

その約束を、まだ、守っていません。 


鳥元ジャカルタオープンなどの多忙にかまけて、さぼっていました。

胸が痛んでいます。


それでも、「弱者の戦略」の翻訳が、3分の2くらいまで進みました。

翻訳家に頼んでもいいのですが、このビジネス論の真髄が理解できて

いない人の直訳では、真意は伝わらないと思いますので、今から、再度、

はちまきをして、頑張りたいと思います。


弱者の戦略の私個人の成功例を、具体的に、おいおい、このブログで、紹介

してみましょう。実際、ビジネスに関係のないお方にも、なにかの参考になれ

ば幸いです。

少し前の相撲界の話になりますが、小兵舞の海が巨漢の相手を倒すの

にどうしたか?を考えればいいだけのことです。


弱者の戦略=舞の海の猫だまし と 言っていいかもしれません。


私は、よく、舞の海商法と言って、人を笑わせたことがありました。


私の変な語録の中のひとつです。