焼酎は、なぜ、売れるようになった? | 南国の日の丸レストラン

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思いのままに書いています

いつの頃だったか思い出せませんが、「焼酎がなぜここまで

日本全国で飲まれるようになったか?」、ということを説いた

記事を雑誌か本で読んだことがあります。


焼酎は、もともと、あまりお金に余裕にない人たちが飲む九州

の安物アルコールという市場の位置付けだったようです。


そう言えば、私の学生時代は、応援団の激しい練習のあとの

コンペなどでは、幹部中心にあるだけのお金を集め、焼酎を

買った思い出があります。ある時、若気の至りで、それをイッキ

飲みして、死にそうな思いをしたことがあります。

その頃は、まだ、イッキ飲みなどという言葉はありませんでした。


ところが、いつの頃か、福岡市の歓楽街東中洲の若い人達が、

価格的にこなれた焼酎をお湯や水で割って飲みようになり、チュ

ーハイという飲み物まで出るようになり、それがトレンディーな

飲み物になっていったというヒストリーが、その雑誌か本の中に

書かれていました。


そうなると、会社の若い部下が「焼酎お湯割り下さい。」「チュー

ハイ下さい。」と言って、居酒屋で、注文する中、会社の上司が

自分だけ、「熱燗下さい。」とは言いにくい状況が出てきたので

しょう。


次第に焼酎を飲む人の平均年齢が上に上がり、やがて、焼酎が

全国に広がっていったそうです。


先にプログで、時代の殻を破るのはいつも若い人達と言いました

が、それは確かだと思います。


この焼酎の話しかりです。もちろん、焼酎メーカーの血のにじむ

ような努力もあったものと推察します。


今をときめくユニクロの柳井社長も、ニューヨークの LIMITED

STORE (普段着の着こなしファッションの店)を1980年台の前半

にみて、これなら、日本でも売れると思われたことがきっかけだっ

たらしいです。


その2年くらいあとに、私もニューヨークで、アパレルの仕事をして

いたし、LIMITED の店には多大の関心があり、何度も足を運び、

定店観測をしていたので、ユニクロの成功はうれしいです。


大手アパレルや大手ストアーは、興味はもっても、どうしても、

過去の成功体験や既成概念にとらわれ勝ちで、新しいものに対し

ては、「そんなもん、売れないわ。そんなやり方は、日本にはなじま

ないよ。」などと言う抵抗勢力が、社内に多くいるため、なかなか、

古い殻を打ち破れないのです。


だからこそ、強いリーダーのいる新規参入の若い会社には、逆に

チャンスが広がるのじゃないでしょうか?


素人商法だからこそ、できることはあると思います。ユニクロの

柳井社長も、ユニクロのコンセプトを考えられた頃は30歳台

の半ばのはずですし、ファッション業界に精通しておられたはず

がありません。しかも、出身は山口県の地方都市である宇部市

です。


結果的に、それがよかったのでしょう。


アメリカでも、その頃は、地方発の起業家が、たくさん、輩出して

いました。「地方の人間は、中央の先駆者に勝とうと思えば、新し

い発想でなければならないので、そういうことになる。」、という話

を、当時、アメリカで、聞いたことがあります。そう言えばLIMITED

もオハイヨー州コロンビアの出身です。


ご存知のように、ユニクロは、今、一人勝ちの状況です。


焼酎に市民権を与えたのは、若い消費者です。やはり、若い力は

すごいと思います。


私も、できるだけ、頭の中だけは若く、柔軟にしておきたいと思い

ます。