生きることの楽しさ。 | 南国の日の丸レストラン

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思いのままに書いています

4月19日(日)、大学のOB会ゴルフコンペ(ジャカルタにて)に参加

しました。

どうしてこんなに下手なんだろうと人も私も思うくらいに下手なんで

すが、参加することに意義あり、と考え、参加させてもらいました。


結果的には、我が文系が理系に勝つことに貢献できたようで、少し、

ホッとしました。


バンドンでは、たまに、ゴルフをやるのですが、ジャカルタでは、

なんと、29年ぶりでした。


ジャカルタのラマワングンという昔からある名門ゴルフ場で、ゴルフ

コンペが行われました。2ホール目くらいから、やっと、少し、落ち着

き、キャディーさんの顔をじって見ていると、遠い昔に会ったような

顔なので、「あなたは、ここで、何年働いているのですか?」 と聞き

ました。答えは、「子供の頃から40年近く、ここで、キャディーをして

います。」 


なるほど、下手な私でも、当時の駐在期間5年のうち、20回や30回

は、このゴルフ場で、ゴルフをやっているし、彼と回った可能性は大い

にあります。(当時、首都ジャカルタにも、ゴルフ場などいくつもありま

せんでした。)


そこで、私の前身の会社の名前を言ったら、1972年当時の支店長の

名前に始まり、懐かしい方々の名前が、じゃんじゃん出てきて、本当

に、涙が出そうになるくらい嬉しくなりました。

名前を聞くと、いろいろと、思い出すのです。


それぞれの方々の性格まで、きちんと覚えているのです。この名門

会社のインドネシアの歴史の生き字引のような存在です。


この会社のある有名な方が、池に落ちそうなボールを、思い切って、

スイングし、ナイスショットになったのはいいのですが、打った瞬間に、

からだごと、池の中に、ドボーンと入ってしまった、といウソのような話

を聞いたことがありました。


だいたい、この種の話は、おひれがつくので、半信半疑でしたが、

今回、私についたこのラティーフという名のキャディーさんが、その

場面を目の前で、モロに見ており、その事実が間違いないことまで

分かりました。もちろん、このドラマを演じた本人さんの名前も覚え

ていました。


(大学も入った会社も私の1年後輩の)田崎しゃーん、「あんたの話

は、ほんことやったね。あんたが、あのお方がやられたことば

また大袈裟に言いよっと、と思とったばい。疑ってゴメンゴメン。ところ

で、このラティーフさんが、田崎さんによろしく、と言っとったばい。」


「人生には、こんな筋書きのないドラマことがあるから面白い。人間

は、頑張って生きらねばならない。」、と思った一日でした。


ラティーフさんは、子供の頃から、このゴルフ場で、ずっと、仕事を

してきたのです。3人の子供さんも結婚し、本人も、生き生きとして、

楽しそうでした。

真っ黒に日焼けした顔は、彼の人生の年輪そのものです。



インドネシアの日本料理店 TORIGEN 鳥元

55歳になったラティーフさん。本当に健康

そうでした。私も、負けないように、頑張り

ます。

ラティーフさん、元気を頂戴しました。ありが

とう。



日本では、「格差、格差。派遣、派遣。」と言って、大騒ぎですが、

このラティーフさんは、インドネシアの超格差社会の底辺付近を、

毎日、毎日が派遣社員の立場で、40年間、人をねたまず、世間

をうらまず、楽しく、頑張って、生きてきたのだろう、と思います。


転職経験のある私は、心の中で、彼を尊敬していました。


「上を見ればキリがない。下を見てもキリがない。」 渥美清のこの

歌が好きです。


植木等の歌に、「金のない奴はおれんとこへ来い。おれもないけど、

心配すんな。見ろよ、青い空、白い雲、そのうち、なんとかなるだ

ろう。。。」 という歌がありました。これも私の好きな歌です。


今の日本は、「社会が悪い。政治が悪い。世間が悪い。学校が悪い。」、

というような風潮が優勢にあるように思うのは私だけでしょうか?


この二つの日本の歌のように、ラティーフさんのように、私たち自身が

もっと、元気を出し、それぞれが、奮闘努力をしたいものです。